今年の15夜は9月22日の「中秋の名月」で陰暦の八月の
15夜だったが、あいにくの曇天で雲に見え隠れして月見と
までとはいかなかった。今年の13夜は10月20日であと月
とも名月ともいわれ昔から15夜、と13夜のふたつの月を見る
ことを「2夜の月」といって幸運をもたらすといわれている。ど
ちらかの月を見落とすと、片手落ちといって悔いを残すことに
なるという言い伝えがある。
今年は秋のおとずれがおそい
それでも秋の恵みを確実に山野にもたらしている。
銀杏の実がはちきれんばかりに実っている
銀杏の実を拾う人たちが多く、いつもにぎわっている。
柿はまだまだ青い
栗がとげにおおわれて威嚇している
それでも2,3メートル先のわせの栗の木からは、
完全に実り落ちた栗が散乱していた。
山道の脇に彼岸花が咲いていた。鮮紅色で鮮やかであるが
有毒で誤って食べれば死を招くこともある。茎は漢方薬に
なるというから不思議だ。別名まんじゅしゃげともいう。
睡蓮の花
いささか時季を逸しているが、先日の中秋の名月はあいに
くの曇り空でほとんど顔を見せなかったが、わずかな
雲の切れ間を狙って撮った。
睡蓮の花の命は4日間、蝉の寿命
は一週間と極端に短い。
どうしてそんなに短命なの。サル
スベリなんか暑さとともに花をい
っぱい付けて、いつまでもだらだ
ら咲かせている。サルスベリさんよ、
ほかにも少し寿命を分け与えたらど
うなんだい。
名古屋久屋大通公園にある噴水(希望の泉)
は、今夏最高の38度ちかい暑さにもまけじ
と滝のような激しい轟音とどろかせながら流
れ落ちている。
噴水の頂上にビーナスの女神のように立像が水
中のなかで両手突き上げている。噴水の後方に
はテレビ塔が聳え立っいる。
名古屋のテレビ塔は昭和29年に、日本で一
番早いアナログのTV放送用の鉄塔として立てら
れた。アンテナの最上段まで180メートル。当
時としては脅威的な高さだっただろう。
来年の7月には半世紀以上の役目を終えるが、
余生はおそらく観光タワーとして邁進されると
おもうが、より一層の飛躍を期待している。
2006年にドラゴンズがリーグ優勝したときには
テレビ塔周辺にフアン集まり噴水に何人かが
飛び込み、騒ぎがエスカレートして警察官が出
動した。
そんなこと思いながらしばらく緑の樹木に覆われた
噴水を眺めていると、猛暑のことなど一瞬忘れた。
睡蓮の花
ピンクや赤の睡蓮の花があざやかに水面にうかび、散策
におとずれるひとたちを楽しませている。
開花するのは三日間だけである。20枚あまりの花弁が朝早くから開き
始め、午後には閉じてしまい、4日目には開いたまま散ってしまう。
モネも晩年好んで睡蓮を書いたというが、瞬時にして消える
睡蓮の花に彼の画風である光を求めていたかもしれない。
この花もあしたには散るかもしれない
はかない花の命をアッピールしているみたいだ
でも、そんな心配は無用だ。睡蓮は水底の根から芽が出て茎となり、
水面に蕾が出るまでに開花間近な蕾になっている。三日間で花が終
わっても蕾が付いた茎が次々と水面にかおを出して、花を咲かせるの
で盛夏の八月の中旬ごろまではみられる。
桑の実が摂れごろ
公園の散策路を覆うように桑の木が実をつけている。
ほとんどの人が見向きもしないで通り過ぎていく。桑
の実など知らない世代がほとんどだから無理ないが、昔
は養蚕農家が多く桑畑などどこにでも見られたものだ。
5月ころから花が咲き6月になると実が付いて果実になる。
枝にびっしりと生りまるでイチゴのように赤い彩りになる。
桑の実はイチゴのように赤くなったからといって熟したわけ
ではない、桑の実の完熟は表面がつぶつぶになり紫ぽい色
合いになってくると完熟です。独特の甘酸っぱさもあって美味です。
養蚕では蚕が食べる桑の葉が必要であって、桑の実は副産
物であった。食糧難時代には子どもたちが口を紫色にしなが
桑の実をきそってたべていた。
現在ではいろいろな桑の実の成分が研究され解明されています。
桑の実独特の色はアントシアニンでその抗酸化作用が注目を集め
ています。 もともと桑は漢方の材料であることから、更に多くの効
用あるものとして期待されています。一般家庭では、桑の実のジャ
ムとか、桑の実の酒とか桑茶とかいろいろなニーズにあわせてそれぞ
れ造らているようです。
有松絞りまつりの括り作業の実演コーナーを見る
有松絞りは数十種類あるとされているが、手蜘蛛
絞りは元祖的存在で、唯一有松が発祥の地だという。
現在、手蜘蛛絞りが結えるのは今年88歳の本間と
め子さんただ一人だけになってしまった。8歳のと
きから絞りを始めたというら80年も手蜘蛛絞りに携
わってきたことになる。
本間さんは50歳代から60歳代までが一番あぶらがのり
きったった時代だったと述懐しているのを聞いたが、
いかに手蜘蛛絞りの難易度が高いかが分かる
手蜘蛛絞りは他の絞りのように、あらかじめ絞る
位置を染めてはいない。真っ白な生地に自分の感性
だけで蜘蛛の巣の形や、大きさや並びなどをすべて
を自分でイメージしながら独創的に結っています。
生地を括る両手の動きはとてもリズムカムで力強い。
手蜘蛛絞りは江戸時代、東海道の土産物として、当
時、大変人気があったというが、本間さんの絞りを
結う姿を見ていると、そんな江戸時代がふと頭をよ
ぎった。
400年以上つづいたものが後継者がなくて消滅の危機
にあると聞くが、何十年もの経験が必要されるもの
などは、だからといってにわかに出来るものではない。
なんとか本物の技能の伝承をしてほしいものだ。
露どきの晴れ間をまって近くの山登りをした。
谷間の狭い小川は美しい清流がが、ここ数日
来の集中豪雨で濁流となり、岸辺の雑草がな
ぎ倒されている。
それでも辺り一面に覆い茂っている若葉が緑
の濃淡に彩られて、心地よい涼風とともに梢
から差し込む木漏れ日が、川面に陽だまりを
つくっている。
桐の花
桐の花が見事に咲いている。梢の部分に集中的的に咲くので
間近に見ることは出来ないが、薄紫の花で房状に垂れ下がって
見るからに高貴な雰囲気を漂わせている。
桐の花を見ているうちに、北原白秋の桐の花の歌集を思い出した。
白秋は当時住んでいた隣家の人妻と不倫関係におちいり、女の夫
に姦通罪で告訴されて投獄される。世間からも白い目で見られて自
殺も考えたらしいが、結局、不倫相手とは罪滅ぼしの意味もあって
結婚して三崎の城ヶ島に住む。そのときの体験が「城ヶ島の雨」に
なったらしい」白秋は桐の花の歌集で不始末の謝罪を巻末に書いている
さくらんぼ
桜の花もさくらんぼとなり小鳥がついばんでいる。
大きな桜の木にびっしりと実が付いている。
ふたりが採ったさくらんぼを見せてもらった。
袋にはいっぱいさくらんぼが入っていた。キャビヤのように小粒で光
沢がある。一つもらって食べたが甘酢っぽくてあまりうまくなかった。
これは食べるために採っているのではないといい、焼酎漬けにして夏
に氷で割って呑むと、とてもおいしいといった。盆には息子や孫たちが
家に帰ってくると、喜んで飲んでくれるとうれしそうに話した。それでこの
時期になるともう20年もさくらんぼの焼酎漬けをやっているという。
池の岸辺に杜若が集中的にかたまって咲いているが、
花しょうぶは時期的にまだ少し早くて咲いていなかった。