MVI 2864
鳴海は東海道五十三次の40番目の宿場町として栄
えると、鳴海八幡宮と成海神社は良好な連携を保ち、
宿場町にふさわしい鳴海祭りを町を挙げて盛大に行
ってきたという。
江戸後期の元禄13年(1700)に両神社のあいだで祭
礼をめぐる論争が勃発した。
それ以来、旧鳴海城の城跡を境にして南側は鳴海八幡宮
に属し表方と称して山車5台所有した。一方の北側は成
海神社の傘下に入り裏方と名乗って山車4台を保有した。
これにより両神社は分裂した。元禄時代のように同じ日に
祭礼をする慣例はまったくなくなり、お互いに祭りのテリ
トーリをきずいてそれぞれが別の日に祭礼を行うようにな
った。
ゆかりのある旧東海道を山車を牽きながらねり歩くことの
出来るのは表方に限られている。テリトリーがいまだには
ばんでいるのか。
近年になり元禄時代のように同じ日にお祭りをする融和的
な機運が高まり、このほど初めて表方5台、裏方4台の9
台の山車が一堂に出そろった。
山車回しなど高度な得意技を披露して、江戸時代から途絶
えた空白の300年以上の時空を超越してかつての鳴海祭りを
再現した。

表方、裏方の山車9台が提灯を灯して集結した

豪快な山車まわしは力感にあふれている

表方、裏方の山車が一堂に集まった光景は豪華な一語につきる

鳴海は東海道五十三次の40番目の宿場町として栄
えると、鳴海八幡宮と成海神社は良好な連携を保ち、
宿場町にふさわしい鳴海祭りを町を挙げて盛大に行
ってきたという。
江戸後期の元禄13年(1700)に両神社のあいだで祭
礼をめぐる論争が勃発した。
それ以来、旧鳴海城の城跡を境にして南側は鳴海八幡宮
に属し表方と称して山車5台所有した。一方の北側は成
海神社の傘下に入り裏方と名乗って山車4台を保有した。
これにより両神社は分裂した。元禄時代のように同じ日に
祭礼をする慣例はまったくなくなり、お互いに祭りのテリ
トーリをきずいてそれぞれが別の日に祭礼を行うようにな
った。
ゆかりのある旧東海道を山車を牽きながらねり歩くことの
出来るのは表方に限られている。テリトリーがいまだには
ばんでいるのか。
近年になり元禄時代のように同じ日にお祭りをする融和的
な機運が高まり、このほど初めて表方5台、裏方4台の9
台の山車が一堂に出そろった。
山車回しなど高度な得意技を披露して、江戸時代から途絶
えた空白の300年以上の時空を超越してかつての鳴海祭りを
再現した。

表方、裏方の山車9台が提灯を灯して集結した

豪快な山車まわしは力感にあふれている

表方、裏方の山車が一堂に集まった光景は豪華な一語につきる

