季節の変わり目
12月に入った。一昨日の真夜中、グォーという激しい風の音で目が覚めた。そこから眠れない夜が続く。最大で18メーターの風が吹いていたらしい。
睡眠のゴールデンタイムと言われている22時から午前2時の間はぐっすりと眠っていたので一安心し、ダラダラと浅い眠りの時間を過ごして4時半に起きた。
フェリーの欠航が続く
先週も火曜日から土曜日まで連続5日間、フェリーが欠航した。今週もすでに2日運航、3日欠航だ。
季節の変わり目になると、何が起こるか分からない。天候は自然任せだ。10年前も今も、島の天候はこんなものだったと思う。
そんな理由で、島に住むお年寄りは、冬季には島を離れて都会に住んでいる子供の家に行く人が多い。体の不調が起こっても何日も島を出ることが出来なくなるリスクが高いからだ。
さて、気になっていたのだが、前回の記事で
「仕事仕事って、子どもがかわいそうじゃない?」「そんなに働く必要があるの?」。
天秤にかけられないものの選択を迫るこうした言葉は「けっこう殺傷能力が高い」というコメントだ。
社会の問題であるべきものが弱い側の自尊心を削って、個人の問題に変換されているというくだりである。
最近の新聞の「折々の言葉」で、あの有名な文豪、夏目漱石先生のお言葉に出会いました。
以下、朝日新聞「折々の言葉」鷲田誠一 朝日新聞 2021・11・10より引用します。
二つの要求を較べると明らかに矛盾である。---ここまではよろしいのです。
「二つ」とは、組織としての統一と、個人生活における自由な骨休みのこと。 夏目漱石
(ここからは哲学者の解説です。)
まとまりと気ままは背馳(はいち)するように見えるが、あくまでも暮らしの両面であって、「二様になるほうがかえって暮らしの両面であって、「二様になる方がかえって本来の調和」なのだと作家は説く。
大事なのは表面上の無矛盾ではなく、「無理のない型をこしらえる」こと。形だけの整合性にこだわる固陋(ころう)をこそ廃すべしと。
講演「中味と形式」から。
ここまでの感想
そもそも、この2つは両立するべき事であって、それが本来の調和なのである。それでは、その2つとは何なのか?
ここで思い出してほしいのは「論語と算盤」です。以下、以前の記事から核心部分を引用します。
このブログの2021年5月26日「まじめな負け組と金の亡者、対極のバランスをとる」
論語と算盤の立場に身を置くなら、片方の価値観だけでは「価値がない」とされてしまう人よりも、もう片方の価値観でカバーすることができます。
算盤の価値観では負け犬になってしまう人を論語で称揚し、論語の価値観では金の亡者になってしまう人を算盤で評価することができるのです。
その意味では、論語と算盤は全く純粋ではありません。対極にある二つの価値観を混ぜ合わせて、ある意味不純にしてしまうからこそ、社会でより多くの人を取りこぼすことなく、抱え込むことができるのです。ここに対極をバランスすることの深い意義があると私は考えています。
引用終わり
まとめ
社会問題と個人の問題、金儲けと倫理、それを漱石は「無理のない型をこしらえる」事と言っています。
無理のない型こそが、「対極のバランスをとる」という事で、論語か算盤かどちらか100%ではなくて、時に応じて論語80%、算盤20%、や逆に論語30%、算盤70%とバランスを変える事が大事だと思います。
だけど、何故、誰もがこの問題に苦しむことになるのでしょうか・・・・
外国の事は分かりませんが、わが国では、その背景に雇用形態があるのではないかと思っています。
次回、それについて説明します。
だいぶ前に藤井風さん(姓が藤井、名前が「かぜ」)の楽曲を紹介しましたが、12月なので、チャイコフスキーのピアノ曲(だと思いますが)、「四季の12月-クリスマス」のリンクを貼ります。
自分の好きな曲の一つです。
演奏はAlexander Malofeev (アレクサンダー・マロフェーエフ)、ロシアの男性ピアニストで2001年10月21日生まれの20歳で2014年の若手音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールで第1位を受賞し、一躍注目を集めたそうです。
会場は、あのマリインスキー劇場で、若いエネルギーに満ち溢れた演奏を楽しんでください。youtubeにアップされたのが、一昨日の12月1日でした。