拡張型心筋症で休職中

~社会復帰できるのだろうか?~

続ICU

2011-05-26 10:12:20 | 闘病
お腹が痛いです、おはようございます。

4月8日、9日と検査で忙しくしていました。
とは言っても私はベッドに固定されたまま、看護師さんや看護助手さんの手によってベッドごと各検査室へ運ばれます。

検査の合間、病室に戻って休んでいる私に向かって医師が
「清水さんは『心不全』です」
「心不全?」
「そうです」
「やっぱり死ぬんですか?」
「そうならないために検査・治療をしています」
「ペースメーカーですか?」
「どちらかというと『心臓移植』です」
「(ドナー)見つかるんですか?」
「難しいですね。だからそうなる必要の無いように何とかしましょう」
「私の心臓はどうなっているんですか?」
「ポンプ機能が非常に弱っています。健康な人の『6分の1』です。それから心臓と肺とお腹に水が溜まっています」
「心臓にも溜まるんですか?」
「溜まっています。今、利尿剤でバンバン水分を出しているところです。ここに運ばれてきた時の体重は分かりますか?」
「76kgです」
「ベスト体重は?」
「65kg位です」
「それだけで単純に10kgの水が溜まっています。苦しくありませんでしたか?」
「年明けから階段を上がるのがきつくなってきて、今週はちょっとした上り坂でも息切れしていました」
「体重が増えたのはいつ位からですか?」
「暮れに職場のみんなが『太ったね?』って言ってきたので多分その頃からではないかと」
「とにかく今は心臓を休めてください。心不全の薬も点滴しています。安心してゆっくり休んで、今この危機を脱しましょう」
「脈拍が120とかあるんですけど」
「1回の拍動で十分な血液を送り出せないから、どうしても増えますね。それも心臓が疲れている原因の一つです。とにかく清水さんはまだ若いんですから、焦らずじっくりいきましょう」

次回は『救命病棟の様子』についてお送りする予定です。

ICUにて

2011-05-25 10:32:25 | 闘病
おはようございます。
今日も何とか生きています。
『うつ』ってホント嫌ですね?

今日は『救急搬送』された話です。
正直言って何も覚えていません。
4月7日未明に運ばれたのですが、私には全く記憶がありません。
ずっと気持ちよく寝ていたのですが、一度だけ両脇を抱えられ『体重』を計った時、一瞬だけ気を取り戻しました。
「清水さ~ん!ここ、どこだか分かりますか?」
「どこ?」
「病院ですよ」
「何病院?」
「○○大学病院です」
「どっちの?」
「どっちのって(笑)」
ベッドに横にされた途端、すぐ眠りについたので会話は以上でした。

7日の夕方、一度ベッド上で目を覚ましました。
腰をベルトで固定され、鼻には酸素、腕には点滴、胸には心電図、陰部には導尿バルーン……。
紛れも無く『ICU』です。
すぐに再び寝ました。

そして8日。
医師に告げられました。
「薬物中毒に関しては特に問題はありません、もう退院していただいて大丈夫です。が、重大な問題を見つけてしまいました」
「何ですか?」
「心臓に異常が見つかりました」
「心臓?」
「入院して治療する事に何か支障はありますか?」
「明日は『ドライバー』なので会社に行きたいのですが……」
「通院、となると朝一番に来院していただいて点滴、そして夜、ご自宅へ寝に帰る、という形になりますし、日数も入院した場合の数倍かかります。」
「治療しないとどうなるんですか?」
「正直言って、清水さんが今生きてらっしゃる事が……。睡眠剤で運ばれなくても、翌日に心臓で運ばれてきたと推測できます。」
「入院期間は?」
「2週間、いや3週間です。」
「それで治るんですか?」
「いや、あくまで検査メインの入院です。もちろん治療もしますが、あくまで調べる事が中心です。治療はそのあと一生続くでしょう。」
「分かりました、入院させてください!」
「絶対安静ですからね!トイレに行く事も許しません。水分は一日500mlでお願いします。」
一瞬にして点滴が4種類に増えました。

自覚症状は無かったのか?と尋ねられましたが
「全部『うつ』のせいだと思っていたので……少し考えさせてください」
と答えました。

続きはまた次回!

goo初登場!

2011-05-24 14:17:31 | 闘病
『うつ』と闘いながら何とか働いていたのですが、とうとう『心不全』になってしまい、現在『休職中』の清水です、こんにちは。

医者や看護師に問われ思い返してみれば、数々の自覚症状はありました。
しかし、まさか『心不全』によるものとは全く考えず、ストレスのせいだろうと思い、当時通っていた精神科で薬を増やしてもらってしのいでいました。
元々『精神的ストレス』が肉体に出る『仮面うつ』といわれていた事もあり、身体に現れる『各症状』は全て『ストレス性』だと思い込んでいました。

3月後半頃から、『自分で思っている以上に自分が働けない』という葛藤に悩み始め、更に『体調悪化』も進行したので『Xデー』を意識し始めました。
4月に入り、ますます状況は悪化し、精神状態は最悪でした。
前の職場で言われた
「清水さん、3分でいいから『本気』出して動いてください!」
という言葉が頭によみがえり
「このままではダメだ」
という『焦り』ばかりが募りました。
4月4日と5日は出勤が困難な状態で、職務態度もボロボロだったと思います。

そうした経緯で私は決心しました。
4月6日、今日が『Xデー』だと。

帰り道のスーパーで『バーベキュー用のコンロ』『炭』『ライター』を購入。
一酸化炭素中毒狙いです。
最初は『車中』で、と思っていたのですが、『布団の上で死にたい欲求』に負け部屋で決行、大量に飲酒し部屋の戸をガムテープで目張りし、ありったけの睡眠剤を服用し、炭に点火しました。
あっと言う間に部屋中は煙で真っ白になりましたが、私は眠るどころか苦しくて苦しくて、さらに睡眠剤を追加して飲みました。

結論から言って部屋では無理ですね。
私は生きています。
やはり車でどこか山奥に行って決行するべきでした。

救急搬送されてからの件は次回に!