ワールドミュージック的門外漢

音楽やオーディオの門外漢が、そこはかとなしに綴る、
    まことしやかな謬見ときどき真実なブログ。

幻想に生きる

2018-04-16 00:41:48 | 日記
想現実的音響空間にすっぽりと嵌まり込んだ話は以前にもいたしましたが、実は先週末にも同じような現象と再び遭遇することとなりました。
その日、晩飯を済ませ、さて音楽を聴くぞと勢い込んでオーディオを鳴らしてはみたものの、1曲2曲と進む内に俄然として睡魔に襲われすっかり眠りこけてしまいました。我に返ったのはそれから30分ほど経った頃でしょうか、いまだに眠気が去らないまなこをしばたたき、ソファ上で寝崩れた体を起こし直し、どうにかリスニング態勢へと復帰しました。
しばらくして眠気も薄れ、耳が冴えてくるのが感じられます。耳が冴えて来ると言うより、頭の中でひとつひとつの音がくっきりと感じ取れるのです。言い過ぎかもしれませんが、音楽データが脳内直結で流れ込んでくるかのような印象です。もしそのようなものがあればですが、身体じゅうの音楽受容体がすっかり花開いてすべての音を吸収しているのではなかろうかと思えるほどの出来事です。
このような恍惚した状態を打ち切るのがあまりにも惜しく、次の曲も、さらにまた次も聴いてみたいとなって、結局2時間近くも席を立つことが出来ませんでした。
それにしても不思議なのが、どうしてこのような現象が起こるのかということですが、私の音響空間づくりがあまりにも素晴らしいからだと断言するほど厚顔無恥な人間ではないので、他に理由を求めるとしたら脳が錯覚を起こして作り上げる幻想なのではないだろうかと思ったりもします。
ひょっとするとミュージシャンが薬をやって聴いているのがこのような極めて明瞭な音なのではないかと想像を逞しくしてしまったりしますが、いえ、私はやってませんよ、決して。

さて人間歳を取ると涙もろくなると言いますが、つい最近もテレビを見ていてついほろりとなってしまうことがありまして、それが「なんでも鑑定団」だと言うんですから、あんたちょっとおかしくなっちゃったんじゃねえと皆様から笑われる覚悟で申しますと、そのときの鑑定依頼品が「田中一村」という画家の屏風絵で、清貧を貫いた彼の生涯のサマリーとともに映し出された作品の美しさについ心を奪われ、胸にこみ上げるものを感じてしまったという次第です。
奄美大島に移り住んだ彼は「日本のゴーギャン」などと呼称されていると言いますが、なかなかどうしてゴーギャンのような雑漠な絵画など及びもつかない、はるかに高い領域に到達した画家ではなかろうかという気がします。精緻で無駄のない画面構成と……おっと、いけません、絵画においても門外漢の私が評論家じみたことを言うのはおこがましさの極みです。まあここは彼の絵が直感的に私の心を痛く揺り動かしたとだけ申し上げておきましょう。

と、夢かうつつかのような日々を送っている内に、またもやシリアが化学兵器を使って子供や市民を多数惨殺したとして、米英仏が空爆に踏み切ったようですが、これがどうも100発以上のミサイルが命中したという割には周囲にあまり建物がない場所ばかりで、被害が限定的すぎるんじゃねえ、こりゃまたトランプ大統領お得意のフェイク戦争というやつですか、という気がしてしまうのは私の錯覚でしょうか?
というのも、シリアの化学兵器使用のニュースが世界を駆け回ったと同じ日、まるでタイミングを計ったかのようにトランプタワーで火災が発生したというニュースがありました。ひょっとするとこれはシリアへの武力攻撃を促すための脅しだったのかなあ、などと考えてしまうのですが、まあトランプ大統領としてはこうした卑劣な手段を屁とも思わないおぞましい連中の機嫌を損なうわけにもいかず、空爆やむなしとの決定に至ったのかも知れません。
そうなると英仏の首相や大統領なども当然の如く彼らの脅威に日常的に晒され続けているんだろうなあと同情を禁じ得なくなって、実はロシア側もそうした西側首脳が置かれている状況を重々承知しているので、国連での非難や反論の応酬はあの連中に見せるためのアリバイ作りの一環ということとなり、ミサイルを撃ち込むならこことここでよろしくという打ち合わせもしっかり済ませてあるのかも知れないとしたら、まさに幻想に幻想を重ねたフェイク戦争になるという結論になってしまうのですが、はてさてこの戦争にどんな出口があるのか皆目見当がつきません。


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