あまりにも出来の良すぎるAynurの「Keçe Kurdan=クルドの娘」ですが、気になるのが一体彼らはどれだけの資金を投入してこの民族音楽を装った現代音楽のアルバムを完成させたのかということです。
Aynurは建前としてはシンガーソングライターとなっていますが、これだけの作品群をものするほどの才能があるとはとても思えません。その作品レベルの差はこれ以降のアルバムが如実に物語っている通りです。そこには恐らくクルド人ではない複数の作曲家及びミュージシャンが何チームも編成され、作品作りに勤しんでいたと考えるのが妥当かも知れません。
さらにアコースティックと電子音とのマッチングの良さという録音レベルの高さ、洗練された音楽センスの良さから考えても、2004年当時のトルコ国内でこれだけの作品がつくれたかとなると首を傾げざるを得ません。恐らくはこれらの作品は英国内で収録され編集されたのではないかと考えているのですが、そうなるとアーティストや演奏家、コーラスに支払うギャラ、録音や編集スタジオの経費などもろもろ含めて、この1枚のCDを世に送り出すために億を超える金が費やされたのではないかなどと想像してしまうのです。
加えてその後のヨーロッパ諸国でのコンサートツアーにおいても民族楽団が同行するだけでなく現地オーケストラとの協演なども行っているのですから、その経費の掛け具合は採算度外視の大盤振る舞いだったに違いありません。
ではこのクルドの歌姫をこれだけの資金をつぎ込んで買ったスポンサー筋がどのような意図をもって彼女をヨーロッパの人々に露出させようとしたのかということですが、これは人類の敵、かのジョージ・W・ブッシュが因縁かましてゴリ押ししたイラク戦争と関係しているのではなかろうかと考えています。2003年に始まったこの不条理な連合軍によるイラク侵攻はその圧倒的な軍事力の差によって当初から分かりきった決着を見ることとなっていたでしょうから、戦争のタイムテーブルに合わせてアルバム製作も開始されていたということになります。
2004年にアルバム「クルドの娘」がリリースされ、欧州ツアーが挙行されます。そして2005年にはイラク暫定政権が発足するわけですが、そこでイラク大統領に就任したのがなんとクルド人のジャラル・タラバニということで、同じイラク国民とは言え、アラブ人の国家に非アラブ人が国家元首として就任してしまうという現実をどう捉えればいいのか、国民感情として果たして納得が行くものなのかどうか、まあこの辺はイラクとクルドがどのような関わり方をしていたのかを知る由もない私としては何とも言い得ないわけですが、名誉職としてのイラク大統領だとは言え、シーア派とスンニ派を取り持つ善意の第三者的存在が忽然と降って湧いたような成り行きには不自然さを感じざるを得ません。
ということで、親英米イスラエルであるクルド人を政権中枢に擁立するためにはその名分と、たとえ嘘であったとしてもクルド民族の優秀さを欧州世界にアピールし、クルドのステータスを高める必要があったのではなかろうかと思うのです。敗戦国であるイラク国民の感情などどうとでも言うことを聞かせられる、それよりもイラク侵攻に懐疑的な欧州諸国がどう捉えるかが彼らにとっては気掛かりだったはずで、ここはクルド神話という魔法の粉を欧州の人々に振り掛けて目を眩ませ、一気にイラクを親英米イスラエル国家へと改変させる段取りになっていたのかも知れません。
そのクルド神話という幻想を抱かせるひとつの手段がAynur Doğanではなかったかと思われるわけで、戦争屋に担がれた彼女が一躍引っ張りだこ状態で世界を駆け巡ってどれだけの成果をあげられたのか、はたまた虚構と知りつつも人気歌手をずるずると演じつづけざるを得なかった当時の彼女の心中やいかに、なんていうことは私に分かるはずもありません。
かくしてこのような邪悪な意図のもとに作られたアルバム「クルドの娘」ではありますが、たとえ私の推測が当たっていたとしても決して音楽としての価値が下がるというものでもなく、この作品は他に抜きんでた傑作としていついつまでも賞揚されてしかるべきものではなかろうかと思います。音楽に罪などないのです。
Aynurは建前としてはシンガーソングライターとなっていますが、これだけの作品群をものするほどの才能があるとはとても思えません。その作品レベルの差はこれ以降のアルバムが如実に物語っている通りです。そこには恐らくクルド人ではない複数の作曲家及びミュージシャンが何チームも編成され、作品作りに勤しんでいたと考えるのが妥当かも知れません。
さらにアコースティックと電子音とのマッチングの良さという録音レベルの高さ、洗練された音楽センスの良さから考えても、2004年当時のトルコ国内でこれだけの作品がつくれたかとなると首を傾げざるを得ません。恐らくはこれらの作品は英国内で収録され編集されたのではないかと考えているのですが、そうなるとアーティストや演奏家、コーラスに支払うギャラ、録音や編集スタジオの経費などもろもろ含めて、この1枚のCDを世に送り出すために億を超える金が費やされたのではないかなどと想像してしまうのです。
加えてその後のヨーロッパ諸国でのコンサートツアーにおいても民族楽団が同行するだけでなく現地オーケストラとの協演なども行っているのですから、その経費の掛け具合は採算度外視の大盤振る舞いだったに違いありません。
ではこのクルドの歌姫をこれだけの資金をつぎ込んで買ったスポンサー筋がどのような意図をもって彼女をヨーロッパの人々に露出させようとしたのかということですが、これは人類の敵、かのジョージ・W・ブッシュが因縁かましてゴリ押ししたイラク戦争と関係しているのではなかろうかと考えています。2003年に始まったこの不条理な連合軍によるイラク侵攻はその圧倒的な軍事力の差によって当初から分かりきった決着を見ることとなっていたでしょうから、戦争のタイムテーブルに合わせてアルバム製作も開始されていたということになります。
2004年にアルバム「クルドの娘」がリリースされ、欧州ツアーが挙行されます。そして2005年にはイラク暫定政権が発足するわけですが、そこでイラク大統領に就任したのがなんとクルド人のジャラル・タラバニということで、同じイラク国民とは言え、アラブ人の国家に非アラブ人が国家元首として就任してしまうという現実をどう捉えればいいのか、国民感情として果たして納得が行くものなのかどうか、まあこの辺はイラクとクルドがどのような関わり方をしていたのかを知る由もない私としては何とも言い得ないわけですが、名誉職としてのイラク大統領だとは言え、シーア派とスンニ派を取り持つ善意の第三者的存在が忽然と降って湧いたような成り行きには不自然さを感じざるを得ません。
ということで、親英米イスラエルであるクルド人を政権中枢に擁立するためにはその名分と、たとえ嘘であったとしてもクルド民族の優秀さを欧州世界にアピールし、クルドのステータスを高める必要があったのではなかろうかと思うのです。敗戦国であるイラク国民の感情などどうとでも言うことを聞かせられる、それよりもイラク侵攻に懐疑的な欧州諸国がどう捉えるかが彼らにとっては気掛かりだったはずで、ここはクルド神話という魔法の粉を欧州の人々に振り掛けて目を眩ませ、一気にイラクを親英米イスラエル国家へと改変させる段取りになっていたのかも知れません。
そのクルド神話という幻想を抱かせるひとつの手段がAynur Doğanではなかったかと思われるわけで、戦争屋に担がれた彼女が一躍引っ張りだこ状態で世界を駆け巡ってどれだけの成果をあげられたのか、はたまた虚構と知りつつも人気歌手をずるずると演じつづけざるを得なかった当時の彼女の心中やいかに、なんていうことは私に分かるはずもありません。
かくしてこのような邪悪な意図のもとに作られたアルバム「クルドの娘」ではありますが、たとえ私の推測が当たっていたとしても決して音楽としての価値が下がるというものでもなく、この作品は他に抜きんでた傑作としていついつまでも賞揚されてしかるべきものではなかろうかと思います。音楽に罪などないのです。