「毎日モーツァルト」というNHK-BS2で毎朝放送されている10分間番組があります。楽しみに視聴しています。番組冒頭、毎日ゲストが登場し自分なりのモーツァルトを語るのですが、時々「ちょっとこれは飛躍しすぎた解釈じゃないの?」と首を傾げることがあります。ゲストが自分の感じるモーツァルトを語っている分には「そういう解釈もあるんだ」と思えるのですが、時々”モーツァルトがこの曲を作り上げた意図はこうだ・・・”と云わんばかりの論評を披露されるのには、ほとほと閉口します。
漱石が教鞭をとっていたときに、質問好きの生徒が何かと漱石に質問をぶつけてきたとき、「そんなこと君、描いた本人だってわかりゃしないよ!!」と言い放ったそうです。僕は漱石のこの言葉は本当だと思います。漱石にしてもモーツァルトにしてもあまりに著名で研究を重ねる方は多くおられると思いますが、できあがったものにあれやこれやとうがった解釈を加えられるのには、漱石などは遠慮なしに渋い表情を表すのではないかと、想像するとおかしくなります。
漱石の弟子の寅彦は、「夏目漱石先生の追憶」という随筆の最後にこう書いています。
---自分のここに書いたこの取り止めもない追憶が、さもさも自分だけで先生を独占していたかのように読者に見えるとすれば、それはおそらく他の多くの門下生各自の偽らぬ心持ちを代表するものとして了解してゆるしてもらわれるべきだと思う。---
寅彦のこのような謙虚さは目にして美しいものとして僕の目には映ります。
精力的にブログを書いていますね。
いつも楽しく読ませていただいております。
謙虚な姿勢はいいですね。
精力的でもないんですよ。
お金も気力もなくて、いまのところブログが自分を表現する唯一の道なので、何とか書いているという状態です。(∋_∈)
もうすぐ当地は梅雨入りです。好きでない季節の始まりです。