2005年10月26日 感涙。アンルイスも感涙す、るに違いない。

2005年10月26日 23時33分11秒 | Weblog
今日は、ひさしぶりに感動して泣きました。
何が㌧を泣かせたって?

それは、「映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」ですよ!

この映画の前作「オトナ帝国の逆襲」から
クレヨンしんちゃんの作風は変わっていました。
うる星やつら的なドタバタ劇ではなく、
シリアス且つ、ヒューマンドラマ(ER的な?)あり、
家族愛あり、と超オススメな90分!

いつも思うのだが、表現の手法が実写でなく、
アニメーションというだけで、
低レベル、ヲタク向け、コドモ※向けと勝手に思い込むのは、イクナイ!
ヲタキングこと、岡田斗司夫も、『オトナ帝国』
と『戦国大合戦』については超高評価!
よくPTAがどうのこうの言ってますが、
この2作を見てからいってほしいもんだ。


※現代では「子供」と書いてはいけないのは、常識なのだが、
 例の、したり顔する先輩は知っているんだろうか??
 「子供」ではなく「子ども」と表記するのが一般常識だそうな。
 「供」は、目下、格下の者を意味するそうで。

 でも、そもそも、日本語で、「ども」は、
 結構、身分の高い人に使っていた言葉で、「手前共」という使い方は、
 本当は間違っているらしい。

 「正しい」というのは正当性・正統性ではなくて、
 一般的かどうか、つまり、大多数がそう信じているかどうか、ということだ。
 なので、過去の云々を正当化(以下略)とか言うが、
 時代時代で、大多数の人がそう思ったことが正しいんだから、
 ナチス、大東亜戦争、なんちゃらかんちゃら、
 当時の人は「正しい」って思っちゃってたんだから仕方ねーべな。
 前にも書いたかもしらんが、世の中に絶対的に正しいものなんて、無い。
 コギト・エルゴ・ズム=我思う、故に我在り。
 自分が今、存在しているかどうか、と考えられるんだから、
 少なくとも自分という存在は、絶対的に存在しているだろう。
 という大前提を作って、今の「現実」という世界が構築されている。
 端的に言えば、人を殺しちゃいけない理由なんて無い。
 人を殺してはいけない、と決めたから、殺しちゃいけないんだ。
 だから、大多数の人間の頭の中に「人を殺してはいけない」
 ってインプットされ、倫理、常識、規律、規範が生まれ、
 それが当たり前のモノ=絶対的なモノとして、なんとなく、
 絶対的なモノとしてふるまっている。
 でも、その根幹のコギト・エルゴ・ズムは、飽くまで「前提」だ。
 そう決めただけにすぎない。
 それこそマトリックスや攻殻機動隊みたいな話になってくるけど、
 今、自分が「正しい」って思っていることに、どれだけの根拠があるのか?
 イデオロギーによって、「正しい」と思わされているだけかもしれない。
 北方領土だって、実は、本当は、日本固有の領土じゃないかもしれない。
 日本政府の見解として、日本固有の領土だ!って言ってるだけでしょ?
 なにを根拠に??

 文が破綻してきたから、ここらへんで。
 あ、芥川が迎えにきた!

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