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tomoniikiruz

言葉は人を生かすことも殺すことも出来る。傷付け合うのではなく、支え合ってお互いを生かしあうページにしたい。

ある回想録を読んで。

2005年10月02日 | 平和・福祉・介護を考える
私の担当する利用者さんの、”回想録”を先日読む機会があり、戦中・戦後のどさくさで、言葉には言い尽くせない体験を経験されてきたことを知る機会がありました。

この"回想録"には沢山の個人情報もそのまま載っており、元々肉親の方々や、戦争中の知人に読んで貰うために書かれた文章であり、私が目を通させて頂く事も躊躇したのですが、"読んで頂ければ、嬉しいです"と依頼され、本人の意向を断りきれず文章をお預かりいたしました。

現在90歳を超える年齢となられ、1人で暮らしながら、こつこつと昔のことを書き貯められ、それを息子さんがタイピングされたと聞きます。自分の過去の経験と体験を、何時かは書き残しておきたいと云う気持ちは、誰しも一定の年齢になると湧き出てくるものらしいです。Tさんの場合も、やはり、誰が読むのかは分からないが、自分が言い残しておきたいことがあり、文章にして残すことにより誰かに読んでもらえ、共感してもらえるのではないか?と云う思いが読んで見て伝わりました。
昭和一桁代の2年間と、帰ってから叉直ぐに2度目の召集令状が来て、家族と涙の別れをされ、入隊される。戦地での兵役を無事終えられて日本に帰ってきてからの家族との亡き別れなど、まるで小説の物語を読んでいるような気分にさせられました。

何といっても、一番感銘を受けたのは、2回目の召集がかかった時の弟さんとの涙の抱擁の場面です。
弟さんは生まれてからずっと体が弱く、病弱で育ち、常に兄を頼って生きてこられたのです。・・・そんな唯一の頼りの兄を、戦争は2回目の召集という形で奪おうとしている。此れに対して、幾ら抵抗してもそれを止めさせられない悔しさと悲しみが、別れの前の抱擁として描かれておりました。
飾りが無い文体で、とつとつと書きあげられた体験記を読ませて頂き、いっきに読み進んでしまいました。・・・涙で別れた、この弟さんは、まもなく病死され、(復員してすぐに、弟さんが亡くなられた)日本に帰還されてから、弟さんが亡くなったと云われる”はんば”のきっちん宿に訪れられ、1人涙に暮れられた光景には、どれだけの悲しみを嘗められたのかが切々と伝わるものがありました。
戦争により、家族が振り回され、多くの生死を体験しながら必死で生き抜いてきた、当時の人間の声が、この"回想録"の中に沢山含まれていたように思います。

又機会があれば、(Kさんの同意を得て)この”回想録”のことを記事にしてゆきたいと思います。

"キャンプ・ケーシー"をホワイトハウス前に作ろうとするケーシーさんのこと。

2005年09月23日 | 平和・福祉・介護を考える
息子さんの名前に因んで、テキサスの座りこみの場所を"キャンプケーシー"と呼ぶそうだ。ケーシーさんらの支援者達は、今度はブッシュの牙城であるホワイトハウス近くに"キャンプケーシー”を作ろうとしている。

全米各地でのバスツアーも開始され、ケーシーさんの呼びかけに答える幅広い支援組織も生まれつつある。
先日18日に行われた、ニューヨークの教会での集会では、数百人の聴衆を前にしてケーシーさんの訴えが述べられ、多くの賛同を得た。たんに、反戦活動の領域だけではなく、災害救出活動の不備などから、現ブッシュ政権の非難へ向けた一大反対運動へとうねりを広げようとしている。こうなると、もはや、無視出来ない呼びかけとなりつつあり、イラク政策の変更を求める米国民の声を代表する一翼に育ってゆく可能性もあり得る。

今叉、米国ではハリケーンの再襲来に備えて、多くの人々の避難が始まっているとのニュースが届いており、カテゴリー4に分類される『リタ』に備えた災害対策が急速に急がれている。

一方、ブッシュ大統領は、『イラクでの活動は終わっていない。任務をやり遂げるまでは、テロとの戦いを継続する』とアピールしても、今までのように派兵に賛同する声は小さく弱まってきており、反対に、『国内での救出活動などに力を注げ』と言う声が日増しに大きくこだましている。

『リタ』の対応次第では、今度はブッシュにとって、致命的な反対勢力の形勢を促してしまうかもしれない。・・・こうなれば、近い将来の、国策変更=イラクからの撤退、があるいは行われる可能性もある。

この意味では、シーハンさんの運動が、反ブッシュ陣営としての大きな機動力となっている事も事実である。
市民運動の盛り上がりとして、今後の米国における反戦運動が、どれだけの階層の人々をひきつけて高揚するのか注目される。
かってのベトナム反戦運動のように、政権自体を突きくづす原動力となって行くかどうか、これは今後のシーハンさん達の運動次第である。

1人の戦死した青年の母(48歳の)の訴えにより始まった座りこみ運動が、こうして大きな社会のうねりと成長した。
このうねりが、ハリケーンの巨大なうねりとなって、現政権を揺るがす運動に成長するかどうかは、米国民の冷静な判断にかかっている。
つくづく思う。母親は剛である。息子ケーシーさんの死亡にたいして、ただ嘆き悲しむのではなく、国家政策の変更を求め続ける彼女の行動力に、敬意を示したいと思う。

”まてどくらせど"さんの意見に賛成します。

2005年09月21日 | 平和・福祉・介護を考える
ブログにて書かれていたい件に賛成する形で、私の意見を書いて見ました。興味のある方は、彼のブログに訪問ください。

彼のサイトはここです。matedokurasedo@goo

ブログの記事に書かれているように、現在一番必要な事は、外国占領軍隊の撤退と、住民による自治です。
確かに、外国軍が不在になって、イラク国内の武力衝突が続くかもしれないけれど、それは、彼らの国家内での抗争です。何時までも、殺し合いを続ける事に反対する勢力は必ず大きくなるはずです。イラクでの平和勢力の成長を促すためには、外国の武装部隊を全て一旦イラクから退いてもらうことが、結局はイラクの自立に一番近いのです。

どうしても軍事援助が必要ならば、国連軍の招請を、イラク政府自身が要請して派遣を求めるべきであり、現在のような米国を初めとした、恣意的な軍事介入からは、手を引く事が必要だと思います。とうの昔に、フセイン政権はなくなり、米国の侵攻の目的は達せられているのです。(米国が断言していた、大量破壊兵器はありませんでしたが・・・)

アメリカ自身も、イラクに軍隊など派遣している余裕はないはず。国内で災害により疲弊していいる地域に、最大限の援助部隊を派遣することが求められているのではないでしょうか?

叉、日本における自衛隊の派遣は極めて危険な性格を持ちつつあり、サマワでの、現地武装組織との軍事衝突が現実のものとならないうちに、撤退をすることが懸命だと思います。

どうしても、イラクへの復興を言うのなら、民間NPOを中心とした技術専門部隊等の派遣や、復興資金の援助にて充分現地の要請に答えられると思います。敢えて、自衛隊がイラクに赴くどんな理由付けも成り立たない、と思います。復興事業に、武器は要らないのです。

民主党の新代表・前原誠司氏に期待するもの。

2005年09月17日 | 平和・福祉・介護を考える
17日、民主党の新しい代表が、前原氏に決まった。党の議員総会で投票され、96票対94票の僅差で、若い前原氏が選出された。無効票が2とされているので、若し2票が菅氏に入れられていたら、同数になっていたかもしれない。前原氏は、菅氏よりも15歳若い、43歳であり、まだまだ此れからが期待できる年齢であり、彼が代表に選ばれることにより、民主党が若いリーダーに牽引される政党へ変身する条件が出来た。

大いに、今後の党改革を期待したいが、一方では、彼の政治姿勢が気になる部分も存在する。憲法9条については、改憲論者として数えられているし、労働組合との連携が、冷え切る事も考えられる。確かに新しいタイプの代表では在ろうが、何処まで現在の民主党を建て直せるのか?未知数である。
此れからの、新代表の行動力と、古い体質の改善策に期待し、自民党に代わる政権担当政党として、前に進めて欲しいと思う。大事な事は、自民党に変わる、次の責任政党を築き上げることであり、日本における政権交代機能を確立して国民の前に自民党の次に任せられる政党集団を形成することだと思う。

今回の選挙で、民主党は、後少しの所で、小泉政権を追い詰めることが出来ず、逆に後退を余儀なくされてしまった。確かにこれは痛い。
しかし、気落ちしている暇はないのであって、次に攻め込んでゆく仕事に着手しなければならない。この意味では、選挙後に早々と、民主党の新代表が選出され、新しい1歩を踏み出したことは懸命であると思う。

党の若い活力を前面に立てることは、歓迎したい。しかし、党という大きな船が、誤った方向へ向けられないためのチェック機能も必要である。ベテラン議員の知恵を聞き入れて、日本の未来を任せられる頼もしい政党へと成長することを期待したい。今回、前原氏の選出により、民主党は、岡田体制から、叉一つ新しい装いに変わる。きっと、国会内では、過半数を制する小泉政権との厳しい議会運営が待っている。他の野党と連携して、有効で、粘り強い議会内での論戦を期待し、数の上での劣勢を跳ね返す戦いを繰り広げて欲しい。

此れからが、意地の見せ所だよ!頑張れドラゴンズ!

2005年09月11日 | 平和・福祉・介護を考える
中日が、連敗して、阪神が連勝・・・とうとう5ゲーム差となりマジック15が点灯しました。普通に考えれば、もう此れで、おしまいの展開です。

しかし、まだまだ、諦めてはいかんのです。
野球というものは、最後の最後まで、しぶとく食い下がるチームに対して福が笑うように作られているのです。9回のツーアウトから試合がひっくり返って、逆転したゲームか数え切れなくあるのです。残り試合が少なくなって、自力での優勝には、後は全勝するしかないような危機的状況でも、気持ちの持ち方一つで、前向きに戦える筈です。もう一度、ドラゴンズの底力を搾り出すような試合が見たいです。

もう後は、数字的に難しい話しは無しにして、精神力で何処まで進めるかでしょう。
だって、数字的には、ほんと、厳しいものだという事は判っているので、可能性は?と云われれば、9割は、阪神優勝のパターンであることは間違い在りません。

ただ、このまま、阪神にどんどん勝ってゆかれては、ファンとしては納得いかないわけです。最後の最後まで、競り合って、野球の醍醐味を味わい、盛り上げて欲しい、というのが正直な声です。

今年の中日は、5月以降の交流戦で躓き、阪神の背中を見ながらペナントレースをずっと2位で走ってきた。そのうち追いつける!と思っていたが、何時も、ここという直接対決で、突き離され、悔しい日々を送った。・・・だから、このままあっけなく優勝戦線から引き下がることは、ファンとしては納得いかないのです。

前回のブログ記事で、今後の阪神と中日の優勝争いでのポイントを4点指摘しましたが、指摘していた4点とも、中日には凶と出ました。
先発は打たれて、リードされる事が続き、抑えはピリッと相手打線を封じることが出来ず、結果的には勝てる試合の取り溢しと、相手チームにラッキーボーイを作ってしまう。・・・昨日の試合でも、巨人の小久保に、2発もホームランを打たれていては、それを上回る打棒の爆発がなければ勝てるわけないのです。

目の色を変えて、今日からの試合に全力投球して欲しいと思います。
今年、中日は、連勝で勝ち続けたことが何度かあります。そのつど、低迷から立ち上がって、浮上してきた実績があるのです。

次の阪神戦までに、もう少し、差を縮めておいて欲しい、と云うのが、今年のセリーグを面白くするための唯一の方程式です!

『多くの米兵家族の意見』は正しいか?

2005年08月25日 | 平和・福祉・介護を考える
24日、米国大統領のブッシュは、アイダホ州ナンパにて以下のように語ったと報道されている。座り込みを続けているシーハンさん達の撤退論に対して、イラクでの戦いを止めるわけにはいかないと語った。

いわく、「私が大統領である限り、我々は踏みとどまり、戦い、テロとの戦いに勝利する。・・・彼女(シーハンさん)が抗議する権利は認める。彼女の苦痛も分かる。しかし、彼女の考えは此れまで私が会った多くの米兵家族の意見を代表していない」
このように語って、シーハンさんの意見が、米国の多数の意見を表してはいない、と指摘した。
しかし、増え続ける米軍の犠牲者に対して、彼ら若い戦死者が”米国の自由の星”となったのかどうか?極めて疑問である。多くの犠牲を払いながら、尚且つその数倍以上のイラク人の犠牲者を増やして、何がテロとの戦いであろうか?
増え続ける死傷者の連鎖を、何処かで断ち切る必要があるのです。力による押さえ込みは、必ず、叉力による血の復讐が続くことを歴史は示しているのです。

米軍に反抗する武装勢力を皆テロリストと呼ぶ米軍の見方には同調することは出来ない。フセインを打倒し、イラクを米軍の支配化におくまでの作戦は筋書きどおりかもしれないが、その後の占領体制の継続には、多くのイラク勢力の反感を生んでいる。ましてや、開戦当初に取り沙汰されていた、フセインの”大量破壊兵器”などは見つからず、米軍を始め、同盟国の大儀名文すら、不確かな空文句となっている。

イラクでの自立を促すためには、現在の占領軍=米軍を撤退することから始めてゆく必要のあることは、多くのイラク人達が望むことであり、希望することではないのか?膨大な軍事予算をつぎ込んで、喜んでいるのは、軍事産業の部門だけである。おぞましい戦争勢力をこれ以上つけ上がらせる必要はないと考えます。

国連を初めとして、軍事力によらない民間レベルでの平和的援助こそが、今後のイラクの自立を側面から支える鍵であると思います。

ブッシュとその取り巻き連中たちは、シーハンさん達の訴えに耳を貸そうとはしませんが、彼女の訴えに代表される平和へ向けた叫び声をしっかり耳を傾けるべきであると考えるのは、決して少数の人だけではないのです。

一日も早い撤退をすることにより、多くの米兵だけではなく、その数倍のイラクの人たちの犠牲者を食い止めることに繋がると考えます。

『多くの米兵家族の意見』は正しいか?

2005年08月25日 | 平和・福祉・介護を考える
24日、ブッシュ大統領は、アイダホ州ナンパで演説したという。内容は、下記の趣旨と報道されている。
曰く、『私が大統領である限り、我々は踏みとどまり、戦い、テロとの戦いに勝利する。・・・彼女(シーハンさん)が抗議する権利は認める。彼女の苦痛も分かる。しかし、彼女の考えは此れまで私があった多くの米兵家族の意見を代表していない。』

ブッシュはこのように語り、最近盛り上がっているイラク派兵の、即時撤退論に釘をさした。・・・イラクで死亡した米兵の母、シンディー・シーハンさんの座り込みに対して、その抗議行動に理解を示しながらも、イラクからの撤退は、ありえないことを明言した。
現在のブッシュ政権にとって、撤退という方策は選択肢として存在しないことが明らかとなった。彼らは、是が非でも、力ずくで、イラクでの硬直状態を打開することを宣言した。ここまで、米軍の死者もうなぎ上りに増えているが、その何倍ものイラク人が犠牲となっている。武力での問題解決だけでは、にっちもさっちもいかなくなっているのに、未だ米軍の撤退を考えようとはしない。・・・ここに、ブッシュの袋小路が見えている。

恐らく、イラクでの憲法制定会議の進み具合で、米軍の動きも微妙に変化するであろうが、政局の混沌は、そう簡単には収まらないのが、現在のイラクでの政治情勢である。スンニ派と、シーア派の妥協点はまだまだ見えておらず、そこにクルド人の利益が絡んでいる。時間をかけた話し合いが続けられなければ前に進まないであろう。こうした緊張関係を踏まえて、ブッシュ政権がどういう政治目標にて、米軍の撤退を決意するのか?・・・この点については、未だ良く判らない、というのが事実である。

・・・歴史は如何転ぶのか分からない。しかし、一つだけ確かなことは、何時かは米軍の撤退を決意する時がある、ということだ。そして、一日でも早く撤退が行われれば、それだけ犠牲になる人が少なくなる、という事。このことは、確かである。

かって、60年前、44年の沖縄戦では、本土決戦の前哨戦として、日本軍に巻き込まれて、多くの沖縄の人達が戦死した。民間人としての沖縄の人達が、好んで日本群と戦ったわけではなく、沖縄の日本軍が、沖縄の人民を楯にして玉砕先方を取った。此れが、沖縄での悲惨な戦闘の図式である。・・・この先行きのない戦いを止めなかったのが当時の日本の軍指導部であり、約1年間の間に太平洋戦争の3分の2に当たる多数の民間人の犠牲を招いた事を忘れるわけにはいかない。

この日本での経験を、イラクに例えれば、出来るだけ早い米軍の撤退こそが、イラクでの民主主義と平和を導く鍵であると言えるのではないか?
もう、これ以上のイラクでの破壊と、人の命の奪い合い入らない。
勿論テロリスト達の行動も、止めさせなければならない。・・・しかし、これは、力による静止ではなく、米軍の撤退により、テロの終結を、イラクの国民的運動として進めてゆけるのである。

ブッシュ政権の戦争政策に反対する運動が広がっている。

2005年08月20日 | 平和・福祉・介護を考える
シンディ・シーハンさんの息子さんは、昨年、イラクへ派兵されて戦死しました。米国は、戦争で無くなった兵士を国家のために殉職した人物として勲章を与え、"名誉ある戦死"として持ち上げていますが、シーハンさんは我慢がなりません。

シーハンさんは、ブッシュ大統領との面談を希望して、ブッシュ邸近くでハンガーストライキを継続中とのことです。直接面談して、ブッシュに息子の死について問い質したいというのが、彼女の真意です。
今、全米で、彼女の勇気ある行動に対して、賛同する人たちの運動が始まっているという事です。

イラク戦争では、米軍は、1861人の死者を出しています。
取り分け、フセイン政権を打倒してからの、都市ゲリラに手を焼いています。

きっと、今後も、米軍の犠牲者は増えることでしょう。

しかし、大事な事実は、米軍の何倍ものイラクの民衆が戦争の犠牲となっていることです。
泥沼の戦争から抜けられない現在の状況の中で、何時になれば、米軍はイラクから手を引くのでしょうか?

じっくりと、シーハンさんの訴えに、米国民は耳を傾けるべきだと思います。

そして、早期の戦争終結を促すべきです。

救えたはずの数百万人の命の重みを知る。

2005年08月15日 | 平和・福祉・介護を考える
60回目の戦争終結(敗北)の記念日が来ました。・・・当時、命からがら生き延びた体験を持つ方々が、段々少なくなって来ています。一方、戦争の悲惨な状況を知らない世代がどんどん増えて、戦争体験の風化の危惧が叫ばれています。・・・勿論、戦争を知らない事は、幸せではあります。しかし、当時の辛く悲しい戦争の体験が、忘れられてゆくことには危機感を感じておられる人も多いのです。せめて、今日の60年の平和と繁栄が、何百万人の尊い命の犠牲の上に立てられたものであることは、忘れてはならないと思います。・・・そんな思いで、今日、自分は、日記を書いたのですが(daialy参照)14日のA新聞社説でも、自分と思いを同じくした内容の社説が書かれていました。「何故戦争を続けたのか」少し、その内容を噛み締めて見たいと思います。

まず、この戦争で亡くなった310万と言われる日本の戦死者。勿論、この死亡者の中には、近隣諸国や、連合国側の戦死者は入っておりません。きっと、双方を合わせると、其の倍以上の人達が、この戦争の犠牲となっていたことは疑いないでしょう。この数字に、ドイツや、ソ連・ヨーロッパの犠牲者をプラスすると、1500万から2000万人と言う、途方もない数の死者を数えることになると思う。
此れだけの犠牲を出して、人類は、何を得たのでしょうか?
文明は、膨大な軍事力を作り出し、人をして人を殲滅せんが為の近代兵器を多数創造しました。・・・しかし、其の破壊兵器を作って、結局は、地球上の殆どの地域で国家を相互に破壊し合う悲劇が演出された。失った物はあまりにも多く、得たものは、癒える事のない悲しみと、今も未だ消えない戦禍の痛みでした。


日本では、1944年から、45年にかけて、無意味な戦争の続行のために、若者は"特攻を強制”されて短い命と散り急ぎ、多くの都市では、空襲によって、人々が家や財産を焼かれ、はたまた友人・肉親達が焼夷弾によって焼死させられた。南方の戦場では、勝つ見込みのない肉弾戦を命じられ、国で待っている家族を尻目に命を粗末に戦い死んでいった。・・・なんで、此れが、お国のため、天皇の命令であろうか?死んで誰が喜ぶのか?・・・こんな疑問を、当時の人たちは、はさむ余裕すらなかったと推測する。亡くなっていった一人一人の兵士の心境を思うと、本当に遣り切れない想いが伝わってきます。ここまで、人々を悲惨な死へ追い遣った責任を、一体誰に問うたら良いのか?この責任は曖昧には出来まい。

当時、軍内部でも、44年頃から、この戦争はもう、勝ち目がない事を知っている人達が居たらしい。・・・しかし、腹立たしいことには、こうした意見を、自分の命をかけて天皇や、当時の大本営の責任者に意見を具申する者がいなかったことだ。
44年7月には、当時の東条内角は総辞職している。この時こそ、先を見越して、連合国との終戦(敗戦)和睦を進める好機であったのだ。ところが、当時の軍属達は、そうした国家の舵取りを放棄し、理不尽な戦争を突き進めた。・・・この結果、1年で約200万人という数の人達が、其の命を落としてゆく事となった。この責任は、(繰り返して言わしてもらうが!)果てしなく重い!
例えば、45年の2月に、近衛元首相は、天皇に対して、「敗北は、如何ながらもはや必死である」と戦争終結を促す提案をしていたと云われている。何故、ここで"無条件降伏をしなかったのか?
ボクシングで云えば、もはやダウン寸前で、勝ち目のない戦いの中で、セコンドが何時タオルを投げるのか?と同じことだったのです。次の戦いに向け、よりダメージを少なくするためには、早めの"ギブアップ"が必要であることは、明らかだった。

しかし、こうした提言が、何の効果もなく、当時の戦争遂行体制に影響を与えることが出来なかったわけである。
誰も、其の責任を取らない泥沼の戦況を継続した罪は重い。
爆撃と、核兵器を使った、米国から見て、其の責任を、国民が取らねばならない、と判断されるかもしれない。(だから、彼らは、未だに、日本への空襲と核兵器使用による殺戮の責任を取ろうとしない!これは、日本人として、許してはならないことなのだ。)
しかし、日本の当時の国民は、国家の戦争遂行に楯として協力させられただけなのだ。誰も反対できない体制を造られ、ストップが掛からない戦争を始めてしまった事の結末が、最後の1年間で被った空襲と被爆と、家族の死を日本国民に突き付けたのです。
こうして振り返ると、民主主義が崩壊して、軍部の独裁が確立した地点で、既に、こうした悲惨な終結のストーリーは予告されていたのかもしれない・・・。此れを警告し、国民に警鐘をならすことがなされなかった。

この戦争から何を学ぶか?沢山の教訓を含んでいると思いますが、私は、一つ、どんな時でも、間違いを非として主張する勇気を残してゆきたいと思います。
当時の日本には、戦争の終結を勇断する決意が、時の指導者と政治家に欠如していた。それにより、200万の人の命が失われた。このことを、心に覚える事が、最大の今日(8月15日)の記念日に寄せた教訓であると思います。


"障害者自立支援法案"の問題点をあらう。

2005年07月01日 | 平和・福祉・介護を考える
国会では、上に述べた法案が審議されている。この法案は、日本における障害者の法案として、一つの転換をもたらすものとされているが、それは、本当なのか?・・・介護保険の改正法案に関しては、其の問題点がある程度日の目を見ているが、障害者の法案については、まだまだ其の問題点が明らかにされていないのではないだろうか?
『障害者自立支援法案』は、障害者が能力と適性に応じて自立した生活が出来るように、必要な福祉サービスを提供し、安心して暮らせる地域社会の実現、を目的に掲げています。身体・知的・精神・の3ツの障害サービスを一元化する事を狙って居り、今までの応能負担から、応益負担へと転換する事も合わせて規定しております。
定率1割の負担でサービスをつかうやり方は、例の介護保険の考え方と方を同じくさせており、行く行くは両制度の統一も射程距離の中に置いている。(政府案では、負担上限を設けて、最高で、月額4万2千円 施設利用者は、食費などを自己負担する方向が打ち出されている。

しかし、この案には大きな問題がある。
この案でゆくと、沢山の介護が必要になる障害の高い人には、(障害の重い人には)沢山の自己負担を強いる事となる。先進国の中で、こんな制度を採用している国は無い。障害者の中ではこの部分に猛反対が予測されている。
因みに、障害者の多くが貰っている月額66200円の2級年金、これは、生活保護の受給金額よりはるかに安い、此れでは、自立せよと行っても、とても暮らせないことは誰でも分かる。
家族や、親族で、資金的な援助が見込める人は未だ救われている。何処からも援助の無い障害者は、一体誰を頼りに生きていったら良いのか?此れでは、到底、障害者の自立を促進する法案とはなりえないことは明らかである。むしろ、現状の既得サービスを奪うものとなるのではないか?と危惧されている。

約70の障害者団体が加盟する、”日本障害者協議会"では、今年3月に、政策委員会を開き、今後は支援の必要度に基づく施策の確立を求めてゆくこと、今までの様な医学的な診断を中心に判断する事を止める。という報告書を出していると云う。
政府の方も、障害者の定義において、今までのような曖昧な規定を見直すことを準備している。
例えば、05年版障害者白書によると、日本では,身体・精神・知的を合わせて障害者の総数を656万人としている。人口の5%という事になる? しかし、この数字は、日本の障害者福祉の遅れを象徴するものである。

先進国では、概ねこの数字は、10から20%である。・・・日本には、障害者の数が少ないのでしょうか?いえいえ、政府の統計の土台が、障害者の現実を捉えていない、と云う事が本当のようです。米国では10%、豪州ニュージーランドでは20%、北欧では30%を超える国もあると云う。此れだけの違いを知れば、如何に政府の障害者をめぐる規定が時代遅れのものであるかが分かる。若し、私が、障害者になれば、当然、福祉政策の厚い国で暮らしたいと思うはずです。障害者の気持ちになれば、現在の法案の問題は深刻ともいえるだろうと思います。
巷では、郵政の民営化法案が取り沙汰されて居りますが、本当は、そんなことより、こうした、今後の日本の障害者の福祉について、もっと時間をかけて論議して頂きたいと思うのです。
勿論、障害者自身の意見をもっとよく聞いて、相応しいあり方を決めるべきだと思います。
障害者が、社会参加して、もっと仕事に付ける機会を得る事は必要であるし、それは進歩的な側面を持ちます。しかし、どうしても生きるために必要なサービスを一律的に”応益負担化”するやり方は少し乱暴ではないかと考えます。
こんなやり方では、障害者から「総すかん」を食らうだろうと思うのです。私達は、何故障害者の人たちと敵対しなければならないか?良く考えるべきです。障害者にとっては、この法案は、健常者の独断で決められる、ケシカラン法案、という事になるわけです。

もっと、もっと、健常者も、障害者の事をよく知るべきです。何が障害なのか?ということを含めて、健常者にはもっと勉強して頂く必要があるでしょう。この意味では,日本はまだまだ、先進国の仲間入りは出来ていない、と云えるでしょう。
「福祉後進国日本」、このレッテルを不名誉と思うのか、それとも、無視して、益々障害者を社会の隅に負い遣ってしまうのか、今問われていると思うのです。