
道端に置いてあった「雪平鍋プランター」。誰が作ったものかは分からないけど、生きている力強さを感じました。
豊間へ行ってから1週間が経ちました。1週間も経てば、少しは冷静にあの日のことを書けるかと考えていましたが、とてもそうはなれないみたいです。そうなれないのなら、なれないままに書いちまえ、ということで3回目。


今日で震災から100日になるのだそうです。被災された各地では、亡くなった方の100日目の法要が行われたりしていたようです。本当にもう100日になるんですよね。なのに被災地はあの日から何も変わらない。とくに福島は、あの日よりももっと過酷な状況下にあるということを、絶対に忘れてはいけないと思います。
テレビや雑誌からの情報では分からないことはたくさんあります。私がいちばん感じたのは臭いでした。
風向きによって強烈に鼻を突いてくる腐臭。それは海から打ち上げられた魚が放つ臭いだけではなりません。被災した状態のままの海産物加工工場の冷蔵庫から暴力的に放たれているものでした。
この土地に残って生活を続けている人たちは、毎日、津波が去ったときのままの風景を目にし、日に日に強烈さを増す腐臭を感じ、放射能の恐怖におののきながら生活しているんです。100日も。そしてこれから何日続くのか分からない状態で…。




主催者からもこの人が来るなんてことは聞いていなかったし、地元の人たちに訊いてもまったく知らなかったらしいのです。地元のおじさんが言っていました。
「何しに来たんだっぺな」


「ゴミのひとつでも拾って帰っていったんだっぺな」
被災地と政治家の間の距離感をリアルに感じることができたのは、ある意味収穫だったかもしれません。
自分の中でいろんな感情が噴き出してしまった日でしたが、少しホッとする風景も目にしました。津波によってそこにはあるはずもない海の砂に覆われてしまったところに、たくましく生きている命が…。



またチャンスがあれば、東北のどこかにボランティアに行きたいです。いや、行きます!