Tom Joker On The Blog

音楽やアニメ・コミック、そして広島東洋カープなど諸々について語っていく予定です。よろしければお付き合いを。

さよなら、キムタク

2010-04-08 02:13:30 | 広島東洋カープ
木村拓也。広島東洋カープ背番号0。

この名前を最初に見たときは、確か小学校の頃だったと思うが、当時SMAPがアイドルグループとして全盛期を迎えていたこともあって、「カープにもキムタクがおる!」などと無邪気にはしゃいだものだった。けど、まだ彼はトレードで入団したばっかりだったし、この頃は野村・正田・前田・江藤・緒方・(存在抹消済)という「ビッグレッドマシン」が不動のレギュラーとして鎮座していたから、彼を市民球場で見ることはそんなになかった。



だが、彼は自分に与えられた仕事を必死にこなして、いつしか投手以外なんでもこなせる球界屈指のユーティリティープレイヤーになった。



2000年。本来のレギュラーを怪我で欠いて代役として座った「一番・二塁」の座でいきなり結果を出し、彼の努力は開花した。以降、低迷期を迎えた赤ヘル軍団の中でも頼れる存在として、ファンからも愛される存在になった。この頃、本家キムタクとTVで対談しているが、それを見た時、すごく誇らしく思ったことを今でも覚えている。

その後、怪我とかもあってレギュラーを外された後、FA宣言せずに広島に残ると決めてくれたにもかかわらず、マーティーの若手起用方針もあいまってトレードに出されたときは、マーティーやオーナーの糞馬鹿野郎に怒りを覚えたものだ。結果回りまわって喜田剛という強打者を手に入れたとしても。



だから、巨人に行っても、彼を嫌いになることなんてなかった。



移籍後、スーパーサブとして予想以上の大活躍を見せ、広島戦のときも嫌なところで打った印象がある。確かに悔しかったが、(削除)(廃棄処分)のように恨みに思うことなんて微塵もなかった。捕手がアクシデントに見舞われ、マスクを10年ぶりに被って危機を乗り越え、原監督に「よくやった」と讃えられながらベンチに引き上げていった姿、緒方の引退試合で彼の守備機会を与えるセンターフライを打ったときに見せた子供のような笑顔、今でも忘れられない。


引退を決めたとき、正直「まだできる」と思っていた(今考えると予感めいたものがあったのかと邪推してしまうが……)。巨人のコーチになっても、いつかはカープに戻ってきてくれると信じていたのだが―――





なのに、どうして……





でも、どんなに嘆いても、熱く、優しかった彼はもういない。その魂を受け継ぐべき赤き後輩たちは、悲しみを胸に秘め、ひたすらに前へ前へと進んでいかねばならないのだ。

故に今日の結果には心から失望した。

けれど、こんな日にそんな事をぐだぐだ言うのは野暮だ。

だから、キムタクよ。津田さんや三村さんらと、ふがいなくて情けないかもしれないが後輩である赤ヘル戦士たちを空の彼方から見守ってやってくれないか。時には叱咤も込めて。





大好きだったよ、



ありがとう。




『足の速さは誰にも負けない
 風を切り走れ
 木村拓也!!』


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