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「花見」の思い出

2006-04-01 21:50:40 | 東京写真日記
 四月の暖かな春風の中で桜を鑑賞するのは、日本人の生活において今や欠くことのできない心の拠り所となっている。

 桜の季節になるたび、山や野やあちこちの木々に、果てしなく広がるピンク色の雲がたなびくが如くである。会社の同僚同士で…、マンションのお隣さんと…、家族全員で…、あるいは熱熱の恋人同士で……桜の下に坐って話をしたり、空を仰いで嘆息したり、酒を飲んで歌ったりし、深夜まで眠らない人もいる。

 花見には、日本の国の世相人情が集められ、日本のあちこちで繰り広げられてきた古くからの風雅がしのばれる。

 今年、美しい桜の花の下をそぞろ歩きながら、ふと四年前の事件のことを思い出した。それは、古代から続く桜の夢を打ち破るような事件だった。

 その年は日本列島には珍しいほど暖かな春で、桜の開花が例年より半月も早まってしまったのである。普段から周到に計画を立てている日本人も、これには慌てふためいた。公園は臨時トイレの設置が間に合わない。旅行会社はツアーの日程を変更しなければならない。そして、三月末には、会社の年度決算もある。残業につぐ残業、夜遅くまでの奮闘。サラリーマンたちの怨嗟の声が溢れ、不満は胸に鬱積して、とても花見どころの気分ではなくなった。

 しかし事はそれだけでは済まなかった。まるで天候がわざといたずらをしたかのように、桜が咲いて一週間も経たないうちに、強風と一夜の雨で満開の花はすっかり散ってしまい、後には皆をがっかりさせるような寂しい光景が残るばかりだった。

 その年の「花見」が自然によって深い烙印を押され、忘れがたい記憶を残したことは間違いない。まさにそのことによって、その年の桜は記憶の土壌の中に深く深く根を張ったのである。


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