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時の関守

神の存在証明 (4)

私が知人の婦人を通して関わったK君。
自衛隊のレンジャー部隊にも所属していたことが、彼のプライドにあったのはまちがいありません。
私にはそう見えました。

頑強(がんきょう)で鍛えた肉体と精神力で、どんなことも乗り越えられるという自信もあったと思います。
兄妹(きょうだい)とも仲違いしていましたが、知人の婦人には最後に、助けをもとめました。
でも、ちょっとした行き違いから、その助けも、自ら拒否することになりました。
私も婦人も、あまりの常識はずれの行動に少し、腹を立てていました。

食事も満足にとってなかったと思います。
それでも、たすけを求めようとはしませんでした。
彼のプライドが、それを拒否していたのだと思います。
人は窮地に立ったとき、絶体絶命のピンチになったとき、それでも、不思議に力が、わいてくるときがあります。
でも、それも限度があって、最低限度の身体を維持したり、気力を回復する場所は必要なものです。
つまり、ギリギリこの身体を維持できる環境がもし、ないのであればそれは誰かにたよらなければなりません。

生きるということは、どこか、ほんとうはよくわからないのですが、不思議にわいてくる心の力と。
最低限度の身体を守っていくための適度なたすけ(援助)が必要なのだと思います。
自らの深いところからわいてくる心の力と、どこかわからないけれど深いところで繋(つな)がっている周囲の援助。
人が生きるということは、この二つのどちらが欠けても、成り立たないものなのだと思うのです。

このことは、次の言葉に置き換えることができます。
生きるということを発見する。
どんな人でも、(ここでは)役に立つことがある。
もう一度、言います。
こんなにも生きるということを、シンプル言い表している言葉を私は知りません。

残念ながら、K君はプライドが邪魔して、ただ一言、「助けてほしい」という言葉、そして、(深いところでつながっている)周囲の援助を求めることができませんでした。
では、私自身に罪はなかったのかというと、そうでもありません。

私自身、「ここまでしたのに、その好意を拒否されては、もう打つ手がない。あとは彼自身が心を改めるしかもう手段がない。あとは彼自身がどうするのかは、彼自身の問題だ。」
そう決めつけていました。

コメント一覧

星のカガセオ
理想的でないモノを
受け入れるのか
切り捨てるのか
いつも試されている
ような気がします
tokinosekimori-kitaiwahara
@aoisora725 さんへ
私はブログに書いていますように、自分はやれることはした。
だから、後悔はなかったとこのブログを書くまで、そう思っていました。
では、ブログを書いていて、考えが変わったのかというと、それは違うということがわかりました。
10年もまえのことをなぜ、思い出してるのか。そして、なぜ違うと
いうのか、実は短い言葉では言い表せません。
もし、別の機会にでも書ければよいのですが…
ただ、その答えをだすのに、10年以上の月日がかかってしまいました。ブログ神の存在証明(5)には少しだけ書いていますが…
aoisora725
おはようございます。
伝えようとする事、わかる気がします。
私の周りにも自分が一番正しいと思い、人の言うことを聞かない人がいます。
その中の一人は80代のおじいさん、もう一人は40代後半から50代くらいの女性。
おじいさんはお向かいさんで、自信たっぷりの人。人を批判し、自分の自慢をし、お金の管理を自分が握り、奥さんや息子さんにも必要最低限のお金しか出さない人でした。
お向かいさんと言うこともあって、波風立たさないようにお付き合いはしてきましたが、
奥さんとはよく立ち話をしていて、その話に入ってきては延々と自慢話と人の批判。
ある事でその人に怒鳴られた事がありました。
奥さんが居たから仲良く立ち話もしましたが、奥さんに先立たれ、寂しくなったのか
話しかけてきますが、私は旦那さんと二人で話すことなど何もありません。
自分の虫のいどころが悪かったのか、ある事で怒鳴られ、お向かいさんだからと我慢してきた事も我慢の限界を超えました。
そんな人だから、3人居る息子さんが帰ってくる様子は一切見られません。
もし万が一その人に何か起きたとしたら
人としてやらなければならない最低限の事はしますが、それ以上の感情は全くありません。歳をとり、実権を握り援助を求めてきた息子さんに『出す金はない!』と言い放って来た結果が、一人寂しく日々を送っています。今はまだお元気ですが、いつ何が起きてもおかしくない歳です。
体の自由が効かなくなった時、助けてくれと息子たちに言えるのだろうかと、人ごとながら思ってしまいます。
若い時はそれでもやって来られた事も、いつかは誰かに頼らなければならない時が必ず来ます。
でも私は、冷たいようですが、私から声を掛けるつもりは一切ありません。
人はいつか必ず誰かの世話になり最後を迎えます。その為にはやはり人を大切にする心がなければ、そのお世話もしてもらえないまま最期を迎えることになるでしょう。
そうなった時、私は、声を掛けてあげていれば良かった、、と思うのでしょうか。
長くなってごめんなさい。
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