うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

船塚山古墳:関東ナンバー2の大きさ

2020-05-23 08:00:00 | 神社仏閣

世界最大級の墳墓という「仁徳天皇陵古墳」は今や世界遺産だ。

昔、それを見たくて、仕事の途中こっそりとよってみた。

さすが宮内庁管理できれいだが、近くだと大きすぎて良くわからなかった。

 

関東にも古墳はたくさんある。

古墳にコーフン協会さんのデータによると

1位)兵庫県:18851
2位)鳥取県:13486
3位)京都府:13016
4位)千葉県:12765
5位)岡山県:11810

茨城県は

20位)茨城県:1862

中くらいの位置。

だが、東日本で二番目に大きな前方後円墳がある。

国の史跡。長さ186m、幅100m

下は案内板にあった空撮写真

 

後円墳の樹林(ここから入ることになるので入り口か?)には鹿島神社が祀られている。

 

石岡市の説明板によると、5世紀前半のもの。wikipediaによると5世紀後半

 

周りは畑に囲まれている。

前方の一部にはどちら様のかしらないが、お墓がある。

 

古墳以外に見るものはないが、春のうららの散歩気分。

私たち以外はだれもいない。

高さ11mの墓頂?からは筑波山が見える。

 

撮った写真をパノラマで合成して、186mをつなげた。

 

そのうち、東日本ナンバーワンを見に行きたい。

群馬県の太田天神山古墳(おおたてんじんやまこふん)が一番だそうだ。

コロナが明けたら、日帰りのドライブだね。

 

ではまた、ぶらり。

 

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民話の神社:五十瀬神社の泉はもうない

2020-05-03 13:00:00 | 神社仏閣

茨城県南部牛久市。

前回アップした、常磐線ひたち野うしく駅に掲載されている民話、「酒島の霊泉」とはどこかなと思っていたら、先日の地元情報誌にその話が出ていた。

小野川横の田んぼの真ん中にある五十瀬神社

広い田んぼのど真ん中に神社があったので、不思議に思って以前立ち寄ったことがあった。

ここが民話の舞台だという。

 

写真の右手100mほどに小野川があり、圏央道の高速道路が走っている。

 

小野川は大地を削って流れている。

この辺り、少し上がると一面畑だ。

関東ロームの火山灰地が広がる。

消費地東京に近く、露地物の近郊野菜としてざまざまな野菜が作られている。

ブルーシートの横は里芋です。

 

(これは冬の写真なので、何もありませんが)

 

今は、お酒が湧かないせいか?、ほとんど人が来ない。

ひっそりとした五十瀬神社でした。

 

この地区の方は正月にお社で酒を酌み交わして、八兵衛さんを偲むのでしょうか。

 

ではまた、ぶらり。

 

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天台宗般若院(龍ケ崎):しだれ桜の老木

2020-03-31 15:00:00 | 神社仏閣

コロナウイルスで東京では花見もままならない。

日本人の生活ではサクラを見ないで春を過ごすと、大切な忘れ物をしたような気がする。

 

茨城県南部、龍ケ崎の市街地、根町にある天台宗般若院(はんにゃいん)。

その境内にあるしだれ桜が有名と聞いて,訪ねた。

 

このしだれ桜は樹齢400年といわれ、樹高10m、目通り5m程度のエドヒガンという品種。

全部咲き誇って、空をおおうと見事。

花の色味は比較的淡い。枝のくねくねも趣がある。

老木だけあって、ほとんどの枝がささえ木で下から、または支柱につられたワイヤーでつられている。

ちょっと痛々しい。が、大事にされている証拠だろう。

 

それほど広くない境内。となりが墓地なので、見学のみなさん滞留時間は短い。

入れ替わり立ち替わり人が来る。カメラマンも多い。

 

車で行っても平日なら境内に数台とめられるが、狭い。

市役所の駐車場に停めて歩いて行くと、10分程度でつく。

 

 

この寺、天元元年(978年)に道珍法師によって創建とある。

龍ケ崎市のホームページをみると、詳しい説明があった。

天正1573から江戸時代末期までかなり勢力をもった寺だったという。

「3代将軍・徳川家光のとき、雨乞いで江戸の大干ばつを救ったとして「虎の尾」を拝領」とある

このあたり(龍ケ崎の市街地)はすべて寺領で修験道の道場だったらしい。

牛久にくらべて政治や文化は龍ケ崎が格段と上だったのでしょう。

 

しかし、安政3年(1856年)、暴風雨で壊滅的被害を受けた。

そして、再建されたのが昭和38年(1963年)とある。

100年以上もたってからの再建。どうしてこんなに時間がかかったの?

 

ではまた,ぶらり。

 

般若院

茨城県龍ケ崎市根町3341

35.911766, 140.188409

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牛久の八幡神社:巨木の神社,学園西大通り沿い

2020-02-22 08:00:00 | 神社仏閣

常磐線ひたち野うしく駅からつくば方面、学園西大通りを北に行く。

住宅地がきれたその先に,木がこんもり茂ったところがある。

八幡神社である。

八幡宮は全国にあるが,大分県の宇佐神宮が総本社とか。

 

 

何本ものスギの大木に囲まれた,それなりに由緒のある神社らしい。

境内に入ると社殿は大きい。

だが,閉められていてちょっと寂しいし,殺風景でもある。

 

ケヤキの大木の横の鳥居は新しい。最近,建て変えられたようだ。

少し前の写真には江戸享和2年という背の低い鳥居が写っていた。

 

 

裏に回ると,

 

鹿島神社も祀られている。

 

 

境内は広い。

小さな土俵まである。

 

 

昔は子供達が相撲をとって遊んだことだろう。

お祭りで奉納相撲などあったのかもしれない。

でも,最近はしばらく誰も使っていないようで,俵も大分痛んでいる。

 

調べてみると、この神社は1623年にこの地に移されてきたという。

牛久市の文化財保護員の栗原氏のウェブサイトにこの辺りの歴史を詳しく調べた資料があった。

なぜこの地に源氏の守護神である八幡神があるかなどの解説もあり,地方史の勉強になる。

 

それなのに,今は寂しい神社である。

西大通りを近くの牛久英進高校の生徒達が歩いたり自転車で駅に向かっている。

自分もそうだったが,若い子はまったく興味ないだろうなあ。。

彼らも年齢を重ねると関心を持つようになるのだろう。

不思議だ。

 

ではまた,ぶらり。

 

 八幡神社

36.014423, 140.146025

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泊崎太子堂:茨城県牛久沼に突き出すつくば市の南端

2020-02-01 12:00:00 | 神社仏閣

茨城県の南、牛久沼の最先端にある七浦弁財天は以前紹介した。

そのすぐ上の丘に泊崎太子堂がある。

泊崎を、「はっさき」、と読むとは龍ケ崎市のU-Tubeで知った。

入り口の看板には、

泊崎太子堂は弘法大師(空海)が大同年間(806-810年)にこの地を訪れ、座護摩を修めたところに建てられたとある。

縁結びと長寿にご利益らしい。

お詣りすると、長患いをせずに人生の最後を迎えられるとされ、信仰を集めているとの説明。

 

 

お堂の近くには、江戸時代の寛永通宝のさび付いたさい銭が広がっていた。

たぶん銅の一文銭。

(寛永通宝を調べると、wikipediaには裏の文字や書体の違いで100種類以上に分けられるらしい。)

 

高台なので牛久沼を一望にできる。

昔から眺めのよい場所は人々に利用されてきたのだろう。

1000年以上の歴史を感じさせる。

 

入り口に「茨城百景牛久沼」という石碑があった。

茨城百景なるもの、県のホームページをみると、昭和25年05月10日 告示第211号、とある。

ずいぶん古い告示である。

ここは今はひとけが少ないが、昔はもっと親しまれていたのであろう。

そのうち、百景を一つずつクリアしていこうか。

 

ではまた,ぶらり。

 

泊崎太子堂

茨城県つくば市泊崎43

35.948146, 140.122422

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