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トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

外見は今の方が病的

2021-01-14 05:48:00 | 病気
病状が酷くてつらい時に、

つらいよー
痛いよー

とどんなに訴えても、はいはいという反応がほとんどでした。

どんな感じかというと
育児って大変だよね、私も大変だよ
みんな何かあるからね
明日交通事故でどうなるかわからないからさ
いつか良くなるの?
大別するとこんな感じでしょうか。

家族も、全く伝わってない、、と失望するほどに反応が悪いことだらけでした。

何が言いたいって、理解されないことを憂いてるのではありません。
伝えるのって本当に難しいと痛感しているのです。


ある日、私が1番辛かったときの写真を見返していたら、そこにいるのは髪の毛こそボサボサしていますが申し分のない輝く笑顔で、体つきもスレンダーで幸せとしか思えない女性でした。左手が痺れて使い物にならず、左足の痛みから脳天に突き抜ける頭痛と時折倒れて動けなくなる女性が、この姿で居続けたという現実を私自身が受け入れることができませんでした。

なにこれ?
私?
めっちゃ幸せそう。
これでつらいとか言われても意味わからないね。

主人に聞いたら
「うん、今の方がよっぽど病的だよね、見た目。」
と遠慮もためらいもなく、同意してもらえました。

そうです。
私は今はトドなんです。


外見って大事。
この人幸せそう、から始まってしまったら、つらいとか言われても大袈裟なって話半分にとらえられますよね。。
実のところ内分泌の主治医の先生も、何で薬が効かないのか、良くならないのかと話していた時にペインクリニックで処方されている薬の量と、医師である主人の説明で
「えっ!こんなに、、、?」となったことがあります。
そこから治療方針が変わり、また新たな病気を探す旅が始まりました。
先生はこんなことになってるとはツユにも思わなかったと。当時の私からしたら、いや、今でもだからつらいと言ったのに、と思うのです。しかし、伝わらないのです。
本当に伝えるのって難しい!!

最近になって母に
「あなた、大袈裟に演技しなさい」と指摘されました。

いや、母上、嘘偽りはあきませんで、と呆れ顔で話を聞いていたら

「そうだよ!」と援護射撃の娘。

えっ!そんなに?

2人が言うには、私の発言は全く深刻味がなく、軽く、仮にいろいろ言ってもはいはいって流せちゃうとのこと。そしてこちらが流すと、私も口をつぐんでしまうので、暗黙のうちに了解したとか、やはり大したことなかったと思ってしまうのだそう。
なぜ口をつぐむのかは、私サイドから言わせたらこんなにも主張してるのに伝わらない、その悲しさから逃れたくて口をつぐむにすぎません。助けてほしい、つらいと言い続けるのも、また、受け入れてもらえないのをゴリゴリと押していくのも大変なことなのです。自己防衛がさらに裏目となれば、もうどうしたらいいのかわかりません。

そこで秘策!演技よ!
ではないのですが、そんなことをふたりは思ったようです。
いや、演技とかしなくてもにじみ出る苦悩とかあるでしょうに、と思うのですが、皆無だと言うのです。全く出てないと。悲壮感オーラゼロ。ありがたいんだか、ありがたくないんだか。

他の患者さんはもっと青くなって動かない、痛いと言う時の顔はこんな感じ、とかとまあ、わいわいふたりで演技指導を私にします。そんなに?なんで?痛いって言えば伝わるものではないの?なんで?
もはやふたりは単なる大袈裟マンです。おかしくてたまりません。
そこに帰宅した主人。

ママは辛くなさそうだよね!と同意を求めに行った娘。
「うん、全然辛くなさそうだよね。痛いーって言ってるだけの人。わっはっは。」

こりゃダメだ。私は本当に何も外に発信できない人なんだ。
言うだけでは伝わらないんだ。。なんで。。

ということで、娘にはどう伝えるかを今から特訓しています。国語って大事。


あまりに伝わらないために、主人に助けを求めたことが、実は何回かあります。
そのうちのひとつを少し。
MRI撮影後、造影剤の影響かはたまた撮影のストレスか、よくわからないのですが、ものすごく様子がおかしくなってきました。おそらく副腎クリーゼ。時々起こっていてまたかという現象でした。
ステロイド薬をその日の分とは別に、さらに追加で飲むのですが、30分くらいしないとまともになれません。
いつもは待合室や駅のベンチなど座れるところがあればそこでじっと薬が効いてくれるのを待っていました。待っているというより寝ているというか、意識をとばしているというか。動いたら危ないので動かないで良い場所を見つけたらそこで時間を潰しているだけです。

その日もいつも通り待合室で待とうかと(耐え忍ぼうかと)思いましたが、ここは病院です。助けを求めてみようかと、プロの方々にこの症状を見てもらって、アドバイスをもらいたいとも思って検査室に戻りました。
事務の方の案内で空いているベッドに横にならせてもらうことができました。ところが、先生方がいらして、バイタルチェックの後、話をしたら早く家族に連絡してくれと言うのです。
ステロイドが効いてくれば一人で帰れると思うから、もう少し待ってほしい、迷惑をかけたくないのだと伝えると
「あなた、おかしくないですよ、普通です。」
と。

まただ。
私は倒れ込むほどのだるさがあり、明らかに目つきはおかしく、呂律も回っていないのに、おかしくないと判断されてしまうのです。

おかしくなりたいわけではありませんが、演技もへったくれもありません。まさに今は異常な私で、言葉は必要ないレベルに違いないのです。逆に演技をする余裕もないのです。とにかくつらいしヤバイ。なんたることでしょう。

電話をして良いかと尋ねて、主人に電話しました。仕事中ですが、電話だったので何かあったのだろうと判断したらしい主人がすぐに折り返してきました。
「どうしたの?呂律回ってないね。切れたのね」
そうなのです。いつもの私を知っていれば、この状態が異常なのは電話でもわかるのです。でもそのままはじめましてーとすると正常な人なのだそうです。自分のポーカーフェイスっぷりにもはやドン引きです。
事の顛末を軽く話したところ
「は?完璧に異常じゃん。だめだ、僕が説明する。」
と、電話を先生にお渡しして、いかに妻が異常か、そしてどのくらい正常になるまで時間かかるかなどを説明してくれたらしいです。半ば声を荒げて笑。
目の前の先生の口ぶりが変化していくので、なんとなく安堵しながら、ふたりの医師に感謝しました。

その後、結局父に迎えに来てもらい、しかし立ち去る頃には足取りも正しくなるほどまでになっていました。
帰ろうと身支度をしていたら、先生が様子を見にいらっしゃいました。
「おっ」
あの驚いた表情は忘れられません。

「あの、初めてクリーゼの患者さんを見ました。こんなに違うんですね。勉強になりました。お大事になさってください。」

丁重にお礼をお伝えして、私もその場を去りました。
医療の問題点も、私の問題点もいろいろと浮き彫りになる出来事でしたが、そんな風に自身の及ばなかった点を認めてくれるお医者さんがいるということに希望が見えて、嬉しかったです。私がここで倒れたことにも意味を見出せた気がしました。

私の主治医の先生方はサクサクと自身の非は認めて、私に対しても謝ることを厭いません。本当に優しい頭が良い方というのは、こういう方々なんだと、それはそれはご高名な先生方なんですけど、それよりそういう人間性にいつも心があらわれています。
今回の先生はお若いので、きっとそんな素晴らしいドクターになられるんだろうなと感じました。

が、私の伝えられない問題は残ったままです。
はああ。どうしたらいいんでしょう。いっそ本当に演技しましょうかね笑



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病気の私が願うこと あきらめないでほしいということ

2021-01-11 17:20:05 | 病気

 私は下垂体前葉機能低下症と悪性関節リウマチで難病指定を受けることができ、支援の中生きることができています。

 おそらく、外で会う印象とはわけが違って、非常にシビアな状況になることがあります。

 

 それぞれ奇病に近く、正直前例もおそらくない状況なので、訴えの多い、文句の多い、うるさい人という認定をされることがあり、今でもそれは続いています。(「うるさい患者」ではないところがまた、悲しいところですね。)

 

 そして、その「病気ではない」とされてしまうことが私の一番大きな敵だったと思っています。そもそも、病気と診断されるまでに2年以上要し、その間の具合の悪さは「気のせい」でしたので、家族も私もとんでもない苦痛と苦難の日々でした。特に家族は逃げられますから、もういい加減にしてほしいと何度も思ったことでしょう。私はと言えば、なんで生きていたのか謎なレベルで苦しみました。痛みとだるさで体が動かないのです。あの、上から押さえ込まれるようなだるさと、脳天をつんざくような痛み、それに耐えているにも関わらず「気のせい」であったため、自分に対して、産後のよくある現象なのだと何度も言い聞かせて、考えないように考えないようにと思っていました。

 私の病気はまさに出産を契機に罹患したもので、出産を皮切りに体調が全く変わりました。気のせいであったり、精神的なものではないと確信していたものの、治す手立てがない以上、気の持ちようで乗り切るしか他ありませんでした。理由はいくつかありますが、傷の治りが非常に悪くなったということが「身体の病気なのだ」という確信があった事象でした。会陰切開をした傷が1ヶ月経ってもよくならないのです。座ることは多大な苦痛を伴いました。1ヶ月検診の時にも、マタニティズボンを履いていきました。まさかのジーパンを履いているママさんがいらして驚愕したのを覚えています。そんなものどうやったらはけるのかと。

 余談ですが、産後の育児は「地獄」だったと表現する知人がいて、その「地獄」と私は同じことを味わっているに過ぎないという暗示もかけていました。みんなこれくらいつらいのだと。つらいということは個人差があって、客観的に見て軽かろうが重かろうがその人の感じ方次第なので、その発言に問題があるわけではありません。しかし、おそらく地獄のレベルは全く異なっていたと思います。でも私も地獄という表現はぴったりで、私は前世に何をしでかしたのだろうかと何度か思いました。乳児の育児はもちろん大変です。生活環境もおそらくとても変わります。ですから、当時の私は多少産後の肥立ちが悪く、気の持ちようで何とかなるのだと思うようにしていました。

 しかし、その暗示もそう長いこと騙し続けることはできません。何度も錯乱するなかで2年が経過した頃、実際に倒れるに至りました。ずっと娘に対して贖罪のつもり(大変な難産であったので、娘に申し訳ないことをしたと思い続けています)で接していたため、精神力一本で生きていました。産んでしまった責任感、それ一本です。娘に罪はありません。お世話しなければ死んでしまいます。

 そうして自分を騙し続けて2年が経過した頃、子どもも2歳になりました。もう放っておいても死ぬことはあまりありません。私の中で役目をひとつ終えたような、そんな気持ちになったのだと思います。寝たきりになりました。

 

 今、こんなふうにパソコンに向かって座っていられる時間があることが、夢のようです。奇跡のような出来事が、まさに私の身に起こっています。病気に関する細かいことや知っている情報は、ゆっくり書きたいと思います。ただ、最初に言いたいことは出産というのは非常にハイリスクなことであり、そして実際にとんでもない体調になっている産婦もこのようにいるのです。産後うつ、産褥精神病、妊娠糖尿病の他にも様々な病気になることがあります。私の内分泌の主治医の先生は、「こんなふうな患者さんが世の中にいるんやろなあ」と何回か発言されたのを聞いています。リウマチの先生は「この病気はうまく診断できる医師が少ないんです。だから、ドクターショッピングしてここにくるんだよ」と話してくださいました。

 

 子どもと共に、自殺してしまうお母さんは、多くの方がこうした病気を抱えていると思うのです。

 ぜひ、諦めないで医療機関なり保健所なり、とにかく頼ってほしい。もし、否定されても次、次、とどんどん模索してほしい。そのダルさは、辛さは、決して気のせいでも間違いでも怠けているわけでもないと思うのです。次、次、と模索している時点で、間違っているわけないじゃないですか。医療機関に誰が好き好んで乳飲み子を抱えて行きたいのでしょうか。大丈夫です。決してその感覚は間違っていません。

 何としてでもご家族とお子さんのために諦めて欲しくないのです。生きてほしい。かくいう私は何度か諦めかけました。でも、今こうして座って文章を書けるまで回復したのです。ここに奇跡がある。それを知ってほしいのです。

 湯水のように医療費を使い、自立支援制度も利用させてもらいました。社会福祉協議会のお世話にもなっています。生きていていいのかと思ったことは何回もあります。でも、娘が、夫が、両親が、私が生きていることを望んでいて、必要としてくれました。主治医の先生方がこんな私を諦めないでくださった。ヘルパーさんたちが精一杯支えてくださった。そして友人たちがこうして私に希望をくれました。

 今、私にできることは、こういう人間がいる、だから諦めないでと伝えることだと思っています。それくらいしかできないので恐縮ですが。

 

 産婦人科は出産後の患者は興味がない、という表現を聞きました。私の体験上はまさにその通りだと思います。ですので、産後具合が悪くて産婦人科にかかり、問題なしと言われても決して諦めないでください。

 そして、医療機関で私は何度追い返され、怒られ、叱られたかわかりません。決してこちらが好戦的だったのではないのですが、つい辛いという訴えを多くしてしまっていたので、あまり記憶にありませんが、食い下がってしまったのだと思うのですね。ある時は「いろいろ考えていないで、とりあえずこの薬のんで様子みるってことが何でできないの?」と諭されたことがあります。とりあえずなんていう時間も余裕もないから病院に来たのに、もう望みがないのだとその場で口をつぐみ、すみませんを何度か繰り返して、お金をしっかりはらい、いらない処方箋をいただいて、家で大泣きしたことも何度かあります。今だから言えることですが、翌日その処方箋を握り締めて何とか薬局に行ったのですが、やはり全く効きませんでした。それはそうに違いありません。私には違う病気があったのですから。

 市区町村の保健師さんに連絡して相談に行ったこともありますが、大丈夫でしょうと様子見されてしまいました。要するに精神的には大して問題がなかったということの裏返しなのだとも思いますが、一方で様子見をされてしまっては私は次の一手を自分で探さなければならないので、再びやり直しなのかと、どこを頼ってももうダメなのだろうと、絶望もしました。疲れて次の手を探したくない私は、私自身の気の持ちようの問題なのだと暗示をかけるに至りました。

 今でも抜けきらない、気のせいではないかという自問自答の日々。まだ苦しみ続けています。それでも頑張って生きています。楽しいこともあるので。泣きながら、笑って頑張っています。

 

 周りにもし私のように苦しんでいる方がいらしたら、と思ってお声かけもしてきましたが、さすがにそう多くはいらっしゃいませんよね。なので、こうしてブログに書いてみたいと思うようになりました。

 苦しんでいらっしゃる方、何かの病気が隠れているかもしれませんから、どうぞお一人で悩み過ぎないで、しかし相談した先で邪険に扱われても諦めないで、ご自身が回復するまで頑張ってほしい、そう願って書くことにしました。

(一方で、どこに相談したらいいのかわからないという問題が転がっていますから、話は全く簡単ではありません。とにかく今私に言えることは、諦めないで、次、次、と模索してほしい、それだけです。)

 今後、何か私自身がご連絡をいただいて助けになるようなことができたらいいのになと思ってはいます。ただ、自分自身の紆余曲折ぶりと現時点でも迷い続けている状態から、人さまのお役に立てるような状況にないと感じています。友人たちに相談してみようと思っているところです。

 

 どうか、尊い命がひとつでも救われ、笑いの溢れるご家族が増えますように。そう切に願っています。


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