姫路城の御堀から飾磨港まで流れる2級河川「外堀川」。
WEB百科事典では
外堀川(そとぼりがわ)は、兵庫県姫路市の南部を流れる野田川水系の支流で、二級河川。外濠川とも表記し、一般には三左衛門堀(さんざえもんぼり)と呼ばれる。野田川を介して姫路港につながる。
「三左衛門堀」の名は、姫路城を本格築城した池田輝政の異名に因む。
歴史
姫路へ入府した池田輝政は姫路城本格築城の一環として、市川水系下流部の大規模な付け替えを試みた(船場川も参照)。三左衛門堀もその一つで、かつて船場川(当時は妹背川または三和川)の支流だった飾磨川の河跡を利用し、播磨灘から姫路城外濠までの約4kmに運河を開削、軍船を入れると共に舟運を興そうとしたのである(「飾磨川の河跡利用」については異説あり)。
しかし播磨灘と外濠とでは水位差が10m以上あり、城付近ではかなり掘り下げないと運河として機能しないこと、輝政が慶長18年(1613年)に死去したことなどから、計画は放棄され、流路のみが残った。なお姫路城下への運河構想は、池田家に代わって姫路に封じられた本多忠政が船場川を用いて実現させた。
戦前までは清流を保ち、両岸には松並木が並んでいたが、戦後に入ると水質が悪化しドブ川となってしまった。このため昭和37年(1962年)に都市計画で「運河公園」を立案、汚泥の除去などに努め、昭和49年には「二級河川外堀川」に指定された。
ふーんそうなんだ、しらんかった
4kmの長さであるが、JR姫路駅からお城の御堀までどこを流れているのか私は知らない。
JR姫路駅から南の河川沿い約1km越には桜がある。
写真は三ざ衛門ばしで撮影。この橋の両側の2本の桜はことのほか早く咲く。
すでに散り始め、葉っぱも出ている。
ほかの桜は1つとして咲いていない。品種が違うのだろうけど普通のソメイヨシノに見える。日当たりの問題?ひょってして死体が埋まっている。
「梶井基次郎」の『桜の木の下には』という作品。 昔この人の全集買ったが(全3巻?)どんな内容だか忘れてしもうた。
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外堀川(そとぼりがわ)は、兵庫県姫路市の南部を流れる野田川水系の支流で、二級河川。外濠川とも表記し、一般には三左衛門堀(さんざえもんぼり)と呼ばれる。野田川を介して姫路港につながる。
「三左衛門堀」の名は、姫路城を本格築城した池田輝政の異名に因む。
歴史
姫路へ入府した池田輝政は姫路城本格築城の一環として、市川水系下流部の大規模な付け替えを試みた(船場川も参照)。三左衛門堀もその一つで、かつて船場川(当時は妹背川または三和川)の支流だった飾磨川の河跡を利用し、播磨灘から姫路城外濠までの約4kmに運河を開削、軍船を入れると共に舟運を興そうとしたのである(「飾磨川の河跡利用」については異説あり)。
しかし播磨灘と外濠とでは水位差が10m以上あり、城付近ではかなり掘り下げないと運河として機能しないこと、輝政が慶長18年(1613年)に死去したことなどから、計画は放棄され、流路のみが残った。なお姫路城下への運河構想は、池田家に代わって姫路に封じられた本多忠政が船場川を用いて実現させた。
戦前までは清流を保ち、両岸には松並木が並んでいたが、戦後に入ると水質が悪化しドブ川となってしまった。このため昭和37年(1962年)に都市計画で「運河公園」を立案、汚泥の除去などに努め、昭和49年には「二級河川外堀川」に指定された。
ふーんそうなんだ、しらんかった
4kmの長さであるが、JR姫路駅からお城の御堀までどこを流れているのか私は知らない。
JR姫路駅から南の河川沿い約1km越には桜がある。
写真は三ざ衛門ばしで撮影。この橋の両側の2本の桜はことのほか早く咲く。
すでに散り始め、葉っぱも出ている。
ほかの桜は1つとして咲いていない。品種が違うのだろうけど普通のソメイヨシノに見える。日当たりの問題?ひょってして死体が埋まっている。
「梶井基次郎」の『桜の木の下には』という作品。 昔この人の全集買ったが(全3巻?)どんな内容だか忘れてしもうた。