ブラームスはお好き

よいどれ気儘ブログ~花から花へ。ア~ダ~モ~ス~テ~!!……ペイ!

反省する元気もなし

2009年05月31日 | 2008日誌もどき
今日は、朝8時頃目が覚め
くたくたテレビを見ながら
うとうと
元気出さねばと焼酎水割り(根本から間違っている!)
そして12時頃までまた寝
本間なんか暇つぶしを見つけねば
体がもたない

打ちっ放し
釣り
ドライブ(飽きた)

打ちっ放しか?

ここかな?
http://www.e-golf.co.jp/gpg/hg/hgr010.htm

ここかも?
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M04015/28201/L28202011900000000057/


相当昔亡き父と青山の奥のほうの
池を利用し、山の方から打つ練習場にいったが
探すとしよう

ダビンチコード文庫本読書
映画は忠実に再現しているような気がする

すいませんだきょうからおべんきょう

2009年05月25日 | なにげに保存箱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2

娼婦だったか? [編集]

『ルカによる福音書』が紹介するものは次のものだけである(ルカ8:1-3, 23:55)。

* イエスに七つの悪霊を追い出していただいた
* マグダレネと呼ばれるマリア
* そのほか多くの婦人たちと一緒に
* 自分の持ち物を出し合って
* 一行に奉仕していた
* ガリラヤから付き従ってきた

カトリック教会では一時期、『ルカによる福音書』(7:36-50)に登場する「罪深い女」と彼女が同一人物とされた。(「罪の女」を参照)

この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていないが、性的不品行と説明されてきたようであり、それが娼婦と理解されていたかもしれない。彼女は(悔悛した)娼婦の守護聖人でもある。

いっぽうでカトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われており、彼女が娼婦の出身であると広く信じられていたわけではなさそうである。諸文学で彼女の娼婦的な過去を扱うものが多いが、職業的娼婦であったとするものは、あまり見受けられない。 しかし、キリストを描いた映画の多くが、彼女がかつて娼婦であったとの設定で登場させている。 [6]

イエスと結婚していた? [編集]

さきの『最後の誘惑』で十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。1982年に英国で刊行されたノンフィクション“Holy Blood, Holy Grail”(日本語版:『レンヌ=ル=シャトーの謎』)で著者らは、イエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供をもうけたという仮説を示した。マーガレット・スターバードもこれに追随し、1993年『マグダラのマリアと聖杯』で、イエスとの間の娘をサラとした。2003年の小説『ダ・ヴィンチ・コード』がそれをストーリー中に使っている。

結婚していたとする論では、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張されている。そもそも西洋美術には作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法があるのである。迫害の対象となるような表現であれば、当然その手法を美術家たちは用いてきた。明示的なものでは、2-3世紀ごろの著作と見られる『フィリポによる福音書』の記述がある。古代社会でも国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は何度も隠蔽と書き換えが行われてきた。この結婚という内容もその隠蔽の1つとみられている。イエスの結婚を巡り、近年さまざまな研究書、追跡書などが出ている。 [7]

世論の変化より第2バチカン公会議を受けて1969年にカトリック教会がマグダラのマリアを「罪深い女」から区別するなど、その地位の見直しが始まった。20世紀の半ばに、異端の書としてこれまで姿を消していた書物がナグ・ハマディ写本の発見など、その姿を現してきた。一方で娼婦を否定し妻とするのは「同じ見方の裏と表」と、エレーヌ・ペイゲルス(Elaine Pagels) は指摘する。ペイゲルスによれば、「男たちは、マグダラのマリアがイエスの弟子でも、リーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないかとさえ思える」と。しかし、史実の対象となる古書の中にイエスが結婚をしていないという具体的な表現もなく、重要な文書が削除され教義が歪曲されたとも考えられないことはない。ペイゲルスの指摘は、太古の時代に地球上のあらゆる文化でリーダーとしての女神崇拝があったことの名残でもあるマグダラのマリアの存在を、「性的」や「ファンタジー」という言葉だけで、逆に貶めようとしている。 [8]

キリスト教美術における表現 [編集]

マグダラのマリアは西欧キリスト教美術において、聖母と並ぶ重要な聖書の登場人物である。聖母は超越的な奇跡的存在であり、多くの宗教画家は最大級に理想化された聖母像をつくった。対して、マグダラのマリアはエモーショナルな存在を象徴する女性として描かれた。聖母とともにマグダラのマリアを常に重要な場面に登場させるキリスト教美術は、そうすることでキリスト教における人間の愛のありようを相互補完的に表した。但し、東方教会・正教会においてはマグダラのマリアにつき西欧で伝承されたようなマグダラのマリア理解の伝統は生まれなかった。

西欧キリスト教美術において [編集]

以下、西欧のキリスト教美術における伝統につき詳述する。

概要 [編集]
16世紀に描かれた絵画

* 宗教画においてルネサンス以降の宗教画では、聖書の人物によって衣服の色がおおむね定まっており、聖母が青や紺色の衣やマントを着るのに対し、マグダラのマリアは緑色の下衣、朱色のマントを身につける事が多い。多くは豊かな金髪を見せ、高価な油壺を手にする。時代にもよるが、古い15世紀の絵画などでは聖母が赤い衣に暗濃色のマントであることもある。
* 画題はイエスの受難、すなわち『十字架の道行き』や『磔刑』、『降架』、『ピエタ』、『埋葬』、『磔刑図』、『イエスの復活の場面』の各場面の情景で聖女マグダラのマリアが多く描かれる。
* 多くの宗教画おいては聖母マリアがイエスに近い構図に、マグダラのマリアはイエスの足もと近くの構図へ配置される。
* 『イエスの復活の場面』ではマグダラのマリアがイエスと共に画面に描かれる。宗教画家に好んで描いた主題に『ノリ・メ・タンゲレ 我に触れるな』(Noli me tangere)がある。復活したイエスに気付き、マグダラがすがろうとするのをイエスが台詞とともに制する様子(ヨハネ20:17)である。
* 聖人群像画である『聖会話』などでも他の聖女らの中でそれと判るように、マグダラのマリアはトレードマーク(アトリビュート)である香油壺を手に持つことが多い。幼子イエスを抱く聖母マリアを中心とする聖人群像画『聖母子と聖会話』での主な人物は洗礼者ヨハネであり、周囲の人物にマグダラのマリアが描かれることもある。

『マグダラのマリアの浄化』(ホセ・デ・リベーラ)

* マグダラのマリアのみを描く宗教画は、とくにルネサンス以降の西欧を中心に『マグダラのマリアの悔悛』という主題で多く制作された。晩年の苦行、隠修生活を描いたものでは西欧キリスト教の聖女の中では珍しく肌を露出し、ときに裸身で描かれる(正教会ではエジプトの聖マリアも肌をある程度露出した姿で描かれる)。隠修生活中でしばしば天国に昇り、天使の歌声を聞いていたとして『マグダラのマリアの昇天』という主題でも描かれる。

絵画・最後の晩餐 [編集]

『最後の晩餐』(さいごのばんさん、伊:Il Cenacolo o L'Ultima Cena)はレオナルド・ダ・ヴィンチが彼のパトロン、ルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた巨大な絵画。これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日、最後の晩餐の情景を描いている。ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の情景である。

小説『ダ・ヴィンチ・コード』はレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でキリストの右隣には女性らしき性別の人物が座っており、マグダラのマリアではないかとする説を紹介している。

使徒ヨハネと解釈されてきたこの人物を、髭の無い青年もしくは女性的に描き、金髪で衣装もマグダラのマリアと同じ朱色とするのは、ダ・ヴィンチに始まらず、それ以前からの伝統である。話題の『最後の晩餐』の絵にはキリストと12人が描かれているので、件の人物が使徒ヨハネとして描かれたことは確実である。

この絵は『ヨハネによる福音書』をもとに描かれている。同福音書には、イエスの愛しておられた弟子がイエスに寄りかかっていたと書かれている(13:23-26)。

しかし、この「イエスの愛しておられた弟子」(この表現は別の箇所にもみられる)が他の人物である仮説、あるいはマグダラのマリアではないかとの仮説は、ダ・ヴィンチの絵画よりも以前から囁かれていた。

東欧の正教会美術において [編集]
マグダラのマリア(ヴィクトル・ヴァスネツォフ・19世紀ロシア)

東方のキリスト教におけるマグダラのマリアを巡る事情は西欧とはかなり異なる。

そもそも東方教会・正教会において、イコン以外の美術としての宗教絵画がまとまった形で生まれたのは近世以降にほぼ限定される。イコンにおいては当然の事ながら性的表現・感情的表現は(たとえ技法に西欧的なものが導入されているものであっても)抑制され、マグダラのマリアについてもこれは例外ではない。また、確かにマグダラのマリアは正教会でも篤く崇敬されてはおり、これを元にした世俗絵画も無い訳ではないものの、「生神女(聖母マリアのこと)に続く第二の聖人」と称されてマグダラのマリア以上に崇敬されるのは、エジプトのマリアである。

西欧における聖女に因む名前 [編集]

* 聖女マグダラのマリアに因んで女の子にその名が付けられることも多い。したがって同名の別人も多い。英語では 「メアリ・マグダレーン」(Mary Magdalene)。映画にもなったジューン・ゴールディング著『マグダレンの祈り』は聖女の名を冠する修道院を舞台とする。
* フランス語では「マリー・マドレーヌ」(Marie Madeleine) となる。ヴェズレイのマドレーヌ聖堂、パリのマドレーヌ寺院はこの聖女を祭る。お菓子のマドレーヌもこの名に由来する。
* 愛称は「マルレーン」もしくは「マレーネ」(Marlene)。マレーネ・ディートリッヒもこの名前である。イタリア映画『マレーナ』もこの名前を持つ、美しくも運命に翻弄されるヒロインを描き、モニカ・ベルッチがその役を演じた。[9]イタリア語では「マリア・マッダレーナ」(Maria Maddalena)。ちなみにモニカ・ベルッチは映画『パッション』でもマグダラのマリア役を演じている。
* ノルウェーの女性シンガーソングライター、レネ・マーリン(Lene Marlin Pedersen)もこの名前。すなわちレネもその愛称。彼女のデビュー・シングル『Unforgivable Sinner』(邦題:天使のように...)のSinnerは聖女の異名「罪の女」を意味する。
* 聖女の名は教会だけでなく教育機関などにも冠されることが多い。また地名も多くある。

脚注 [編集]

1. ^ 『諸聖略伝 八月』(日本ハリストス正教会教団発行)、および『The Orthodox Study Bible』ルカ福音書7章36節から50節の注解:1378頁(英語:『正教聖書研究』ISBN 978-0-7180-0359-3)にも、罪の女(Sinful Woman)とマグダラのマリアを同一視する見解は皆無である。
2. ^ 出典:『諸聖略伝 八月』(日本ハリストス正教会教団発行)
3. ^ 新共同訳では「マグダラの女と呼ばれるマリア」と訳されているが、これはマグダラ出身の女と解釈した上での翻訳。
4. ^ 新共同訳では「マガダン地方」
5. ^ もともとはユダヤ教の文書タルムードの中で、イエスの母マリアについて使われていたもの(Sanhedrin 67a and Chagigah 4b of the Babylonian Talmud)をJohn Lightfootが発見した。 Catholic Encyclopediaもこの説を紹介している。
6. ^
* キング・オブ・キングス(1961年)
* 偉大な生涯の物語(1965年)
* ジーザス・クライスト・スーパースター(1973年)
* 最後の誘惑(1988年)

いずれもアメリカ映画。

* サイモン・コックスによる『ダ・ヴィンチ・コードの謎』(2004年)では、研究者リン・ピクネット女史によるとマグダラのマリアはエジプト人かエチオピア人であり、ブラックウーマンだった可能性があるという。
7. ^ この中でマグダラのマリアが2カ所で触れられており、1カ所では「イエスの伴侶」と紹介されている。

三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母マリアと彼女の姉妹と彼の伴侶と呼ばれていたマグダレーネーであった。

もう1カ所では、弟子たちすべてよりイエスが彼女を愛しているのを見て、弟子たちはその理由を求める。

主は、マグダラのマリアをすべての弟子たちよりも愛していた。そして、主は彼女の口にしばしば接吻した。他の弟子達は、主がマリアを愛しているのを見た。彼らは主に言った。「あなたはなぜ、私たちすべてよりも彼女を愛されるのですか?」救い主は答えた。「なぜ、私は君たちを彼女のように愛せないのだろうか」

– 「フィリポによる福音書」, 『ナグ・ハマディ文書』(荒井献訳、岩波書店)より

正式な夫婦と認められていたとすれば、弟子たちの問いはやや妙である。妻ではなかったと主張される場合の根拠としては、「伴侶」とされる箇所は原典のコプト語では単なる「連れ」であり、配偶者の意味はないということ。また、接吻についても、グノーシス文書において、接吻は特に性的な意味がなく、イエスは男性信者に対しても接吻をしていたことが挙げられる。
8. ^ There’s something about Mary, April 11, 2006, Minesota Women's Press
9. ^ 『マレーナ』作中では、裁判にかかったマレーナが自らの正式名を「マグダレーナ」と名乗るシーンがある。

関連書籍 [編集]

* 岡田 温司 『マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女』 中央公論新社〈中公新書〉、2005年、ISBN 4121017811。
* マーガレット・スターバード 『マグダラのマリアと聖杯』 英知出版、2005年、ISBN 4754220404。

関連項目 [編集]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズには、マグダラのマリアに関連するマルチメディアがあります。

* 罪の女
* エジプトのマリア
* ベタニアのマリア
* シオン修道会
* 聖母マリア

外部リンク [編集]

* マグダラのマリア
* マグダラのマリア 黄金伝説より
* MAGDALENE.ORG(英文)
* Mary Magdalene Imagery(英文)

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2" より作成
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歴史の真実は闇の中

2009年05月24日 | 2008日誌もどき
先週のダビンチコードおもろかった
少々難解
そんなときは主演女優に助けられ

イエスは結婚し、その娘がいた
当たり前ちゃうか
元日に初詣(日本新道)
彼岸に仏教
クリスマスにキリスト教
ぐちゃぐちゃの宗教観を持つ人間には
そんなの当たり前やんけ

バチカンカソリックが怒るのは無理ないが

シオン修道会
映画の基軸になっている

ちと勉強した
http://www.marre.jp/davinci/main.html

何が真実かわからないし
わかったつもりになっても
それは真実ではない