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to-ko's room

日記帳

W.シェイクスピア『マクベス』を読む

2006年05月04日 | Weblog
『マクベス』を12年ぶりぐらいに読む。
あのときは大学の授業のために半ば強制的だった気がする。
文書は古典的で、シナリオ的で、読みにくい。

ストーリー的には下剋上のよう。
王につかえる夫婦(マクベス)が魔女の誘いに乗り
王を殺し、新しい王になる。
そして、自分もまた殺される。

解説がないと意味不明な感じだ。
読み進めていくうちに大学での記憶がよみがえってきた。

こんな授業だった。

男は「ロマンティスト」女は「現実主義」

(王を殺したマクベスがマクベス夫人のところに戻ってきて)

マクベス:この(王の血で真っ赤に染まった)手は、なんだ?
     俺の目玉をえぐりだす。
     ネプチューン(ローマ神話の海神)が司る大海原の水を一滴残さず使えば
     この手から血をきれいに洗い流せるのか?
     駄目だ、逆にこの手が七つの海を朱に染め、
     青い海原を真紅に帰るだろう。

マクベス夫人:私の両手もあなたと同じ色。
     でも心臓まであなたと同じように蒼ざめるのはごめんだわ。
     (ノックの音)扉をたたく音が。
     南門ね。-----寝室に戻りましょう。
     水がほんの少しあれば、やったことはきれいに消える。

                   松岡和子訳『マクベス』より

男(マクベス)は、大海の海の水をつかってもこの手についた血(罪)を
洗い流すことはできないと言っているのに対し、
女(マクベス夫人)はほんの少しの水で血(罪)を洗い流すことができる、
としている。

訳者の解説として面白かったのは、
マクベスとマクベス夫人を「一卵性双生児」とし、

マクベス:(王を殺すことを)しくじったら?
マクベス夫人:しくじる?

のところの原文の「We」に着目し、
「しくじる」のは実際の犯行を行うマクベス自身という解釈ではなく、
マクベス夫妻の「しくじり」と解釈している。
ほかにもそんな風に訳しているところが見受けられた。


解釈されると、「なるほど」と思うが自分で解読するには難しい本である。

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