21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

学力テストくそくらえ

2014-08-26 20:54:47 | 雑記帳
 今年もまた、全国学力テストのランキングが発表され、おらが県の順位を見て一喜一憂した向きも多々あるのでは。

 ちなみに私の住む北海道はまたも下位に甘んじた。感想は、だからどうしたである。

 驚かされるのは、毎度のことながら新聞が煽りたてることである。そりゃあ、地域格差はあって当然だし、やたら勉強ができる県があってもいいし、沖縄のように万年最下位もまた結構なことだ。ただし、だからどうした、気にするなかれである。勉強嫌いとしては、むしろ沖縄がうらやましいくらいである。

 正直、物事に順位を付ける付けるのは嫌いではない。むしろ好きである。スポーツもギャンブルも芸事も勉強も、順位がつくから夢中になるのである。

 しかし、勉強ができることと生きる力は別物だ。塾だ何だと点取り合戦に子供を貶めることが、子供の生命力をむしばんでいる気がしてならない。昨今は、ゆとり世代をバカにする傾向があるが、中年以降の世代はみなゆとり教育だったはずである。なのに、今、なぜ子供から遊ぶ時間を奪って下らない勉強を押し付けるのか。

 はっきり言って、最低限の読み書きそろばんができれば社会に十分対応できることを大人は一番わかっているはずだ。その結果が、今は昔ほど学歴万能社会ではなくなっている。

 不必要な詰め込み教育が九九すらできない落ちこぼれを量産する学校教育のほうがよっぽど問題ではないのか。

 私は高校を卒業するまで、殆ど勉強をしなかった。義務教育の延長のように当たり前にレベルの高くない公立高校に進み、ロクに受験勉強もせずに二流私大に入り、なんとなく卒業して、地元の雑誌社に就職した。

 高校2年までは部活中心で、部活を止めてからは遊び中心、大学に入ってからはバイト中心の生活だった。大学などはひどいもので、記憶があまりない。それでも2年までは論文形式の試験が性に合っていたのか、結構優をもらっていた。3年以降は週に2度くらいしか学校にいくことがなくり、バイト以外に記憶がないのだ。講義を受けた記憶も試験の記憶もぶっ飛んでいる。それでも、学士様の卒業証書はあるので、何とか卒業はしたようだ。

 そして、楽な楽な道と就職の選択幅を狭めた結果、運よく地方の雑誌社に拾われた。

 そんなわけで、学校の勉強を詰め込まなかったおかげで己の頭の中のハードディスクはメモリーにたっぷり余裕があり、社会に出てからものすごく勉強した。とにかく、何かをするたびにとことん勉強した。学校の勉強は苦手でも、社会に出て必要に迫られた勉強は必死でするのだ。そして、しっかり、身につくものなのだ。


 子供のころ勉強しすぎた人間は、メモリー数が減り、肝心な時に頭に入らない。そんな気がする。

 とにかく、学力テストなんぞに血道を上げ、子供の頭のメモリー数をいたずらに減らすことは止めてほしいものだ。

 

 

 
コメント
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