21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

義援金PRだけでいいのか

2011-04-04 09:52:57 | 雑記帳
 日本中が義援金集めに奮闘する一方で、原発の風評被害が拡大する現実に苛立ちを覚える。決して楽ではない日常の中で、少しでも役に立ちたいとカンパする人々が、不安にかられて福島県や近県の農畜産物を買わない現実がある。だからといって、一概に生活者の行動を責めるわけにもいかない。おぼつかない政府の対応を見せられては、いくら安全と言われても、おいそれと信用できないのも理解できるからだ。実際、後から後から放射能漏れに関する情報が出てくるのだから、不安が広がるのもいたしかたないところだ。

 今回の震災は政府の災害マニュアルをはるかに超えた規模だったということだろう。すべてにおいて一貫性がない対応がそれを物語っている。その顕著な例が、首相のメッセージのひ弱さだ。震災以降、首相は国民を勇気づける力強いメッセージを一度も発していない。それどころか、震災前はうんざいりするくらいメディアの前に登場したのに、震災後は官房長官にまかせっきりで、たまに出てきたと思えば避難所暮らしをしていたかのような疲労困憊した顔で、「落ち着いた対応を、心配いりません」などと言うだけ。とてもリーダーの姿とは思えない覇気の無さである。

 案の定、政府のうろたえ方は尋常でない。特に原発などはことごとく情報が錯綜し、被害者は右往左往、風評被害は広がる一方である。せめて、政府がしっかりと指揮命令系統を確立し、迅速な対応、正確な情報伝達を行っていたら、少なくとも風評被害は最小限に食い止められたはずである。

 カンパはしても、福島の野菜は食べられない、この矛盾を解決する努力すら何ら行われていない。連日、せめてTVでカンパを求める芸能人が「野菜も肉も安全」とアピールするなど、やり方はいくらでもあるはずだが、ニュースが被害の拡大を告げるだけで、対策は何もなされていない。

 原発周辺の被災地の被害者救済、風評被害の生産者救済、難問山積である。連日、TVから流れる「がんばれ日本」の善意の呼びかけの輪で義援金は増え続けるだろう。できれば、その義援金PRの10分の1でもいいから、被災地が抱える問題を取り上げ、具体的な議論と救済を模索してほしい。


 

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