帰海~KIKAI~

永久停止中

考察

2006年02月19日 | 駄文ぶんぶん
 そういえば、俺と親の関係は企業のそれと似ている。

愛情や承認が欲しければ、社長の欲のままに動き、社長のご機嫌を必ずどこかで伺い、果ては社長を仙人や神だとさえ崇めなければいけない。
本人が本気で「俺には仙人がついている」とか言っていた。冗談ではなく、そういって欲しいという無言の欲求が俺に向けられていた。心がレイプされている感覚に陥る一例だ。
「そんなの跳ね返せばいい」それが出来ないのだ。俺は生まれたときからマインドコントロールに近いものを受けているからだ。今日の文章はその構造も解き明かせるといい。

 こちらが要求をすればこっちの要求が先だと暗に示し、根本的な間違いに近づけば近づくほど「俺が、私が何したって」と暴言を振るう。

そもそも、親と子の関係が企業化されているという事がおかしいことに気がつかない俺がいけない。

なぜ愛情を要求するのに先にこちらが与えなければいけない。

なぜ愛情が欲しいとわかっているはずなのに欠点をからかう。

なぜ甘えたいのに、それと何かを同等に置かなければいけない。

子が、親に無償で甘えることは許されないことですか?

子は、心を削って親に奉仕しなければ甘えられないのですか?

子は、親に心を犯される代わりに養われているとでもいうのですか?

 はたから見てもおかしい話だし、自覚してもいる。
でも、俺の頭にはその考えが染み付いてしまっている。
小学生頃の時、よく俺は考えがフリーズする事があった。根本的な違和感があったのだろう。
今考えれば、俺の根っこが、正体のわからない敵と必死に戦っていたのかも知れない。
甘えること=何か完璧なものを与えることが基本的な考えに根付いてしまった俺には、他人を頼ることは何より無理なことだ。
「自分は完璧じゃなくていい」と思ってても、心の奥では「自分が完璧でなければならない」と思う。変な考えだけど今でもそうだ。
これを助長する原因が他人依存だということは重々承知しているが、その影響は年々酷くなってくる。
この半年ほどは特に酷く、学校でも一週間に一言も言葉を発する事が稀だ。
恐らく、今は一ヶ月ほど誰ともしゃべっていない。それほど人としゃべるのが怖い。

 間違っていると理解していても、まるで癌のように企業化された考えはそこを動こうとはしない。
こうやって書いている自分は、一時的にその束縛を外から観察することが出来ている。
でも、ほんのひと時だ。
またすぐに問題が顔をもたげれば俺は心をレイプされている感覚に陥るし、親が戻ってくればただひたすら無言の抵抗を続けるしかない。
昨日寝付くときもまた、「俺が悪いのか」という錯覚に陥ってしまって、ついには動悸が酷くなり、左半身が不快感に襲われた。
この抵抗はあまりに防御的で、あまりに攻撃性を秘めすぎる。一言で言うと、殺意をためすぎるのだ。
だが、殺したら本当に取り返しがつかないことは知っている。何かあるたびに、頭痛は酷くなる一方だ。

 今朝、父が俺が寝ている(本当は目が覚めているが、二人のいるところに行きたくない)にも関わらず、仕事のカバンを「ドーン」と床に落としただけで、物をめちゃめちゃに破壊したくなった。
足がドンドンと寝ている俺の顔をかすめるほど近くを踏んづけていくと、足を叩き割りたくなってくる。
母がカップラーメンのためにお湯を沸かし注ぐだけで、もったいぶってトイレにいったり、とろとろ行動し、果てはため息をついたときも殴りたくなった。
これほどで、と、自分は弱い心だと思った。でも、シャワーを浴びてなんとか我慢した。でも、不快感は消えない。
こういうときも、心をレイプされている感じがする。心は頭脳、または記憶だという人には頭がレイプされているといったほうがいいのかも知れない。


 もうすぐだが、高校を卒業して大学に進学し、親と一生関わらない環境を手に入れたとしても、何か変わるとは思っていない。
この問題は、自分で片付けなければいけない。
正直この荷物を降ろしたいし、人間関係をやり直すにしても人が怖いのではどうしようもない。
それでもやらなければ、と思うことにしている。やる気が無ければ全く意味がないようにも思える。
それでも思うことにしている。やらなくても思うことにしている。常にこれには絶望しているが、やらなくてはいけない事のような気がする。

 今回はこれまでにしようと思う。暫く経ってからこれを見て、やり直せるときがきたら、きっとこの文章が力になると信じている。

追記:親と見るテレビほどつまらないものは無い。これはうまくまとまれば、またの機会に書けるかもしれない。

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