いつまでも聴いていたくなるのは良い音楽だと思う。
何度でも聴きたくなるのは良い音楽だと思う。
サンタナで言えば、これ。
たぶん、コードは二つだけ。
いつまでも聴いていたくなるのは良い音楽だと思う。
何度でも聴きたくなるのは良い音楽だと思う。
サンタナで言えば、これ。
たぶん、コードは二つだけ。
「カイショウカン」と読むそうです。
どういう意味なんでしょう。
白井晟一山は、クセのある建築家です。
それだけに、印象が強烈です。
自分でも、好きなんだかそうでもないんだかわかりません。
でもこの動画は、なんとなく、良いと思いました。
クラシックギターの音色は美しい。
悲しみと癒しと希望を、同時に表現できる素晴らしい楽器だと思う。
英国の名手ジョン・ウィリアムス。
バックにかすかにストリングスが流れているような。
照り焼きという調理法は人類の宝だと思う。
その基本を意識したことはなかったけれども、醤油、酒、味醂、砂糖を同量で混ぜるんですね。
わかりやすい。
これをベースに、あとは好みで足し引きすれば良いと。
(砂糖を好まない人は砂糖だけ少し少なめとか)
わかりやすくシンプルという意味でも完成されたレシピだともう。
小説を書きはじめたばかりで西も東もわからなかった頃、丹羽文雄の「小説作法」という本を読んだことがある。これはある意味、小説の何たるかを教えてくれた、当時のぼくにとってはありがたい本であった。よく記憶しているのは「小説の文章は必ずしも読みやすく書くのではなく、時おり読者をまごつかせたり混乱させたりするような複雑な書き方をした方が良い」という、あらましそのような箇所だ。文法的に間違っていても、読者に時おり立ち止まらせて少し考えながら読み進めさせるような文章を、というようなことである。ここでぼくには、文学には厳密な作法というものはなく、わりといい加減なものらしいということがわかった。問題はそのいい加減さがどのような種類のもので、どの程度のものかということだった。以来小生はしばしばこの一節を思い出しては反芻し、いい加減さの追究をすることになる。しかし、それ故に以後小生は小説作法の類のものを一切読んでいない。いい加減なものであることがわかった以上、さらに厳密な作法を求めて何になるのだろう。現在たくさん出ている「文章読本」の類もほとんど読んでいない。小説は何をどのように書いてもいいのだという基本的な考えが確固として存在し始めていたからである。