浮き沈みの人生

2013-06-22 15:02:27 | 経済

       みの人生

 

 

 

 

人の人生模様、いろいろある。国や地域も同じようにある。

生きている中で良い時もあり、悪い時もある、普通の時もある、決して順調でないのが人の人生であります。人それぞれ違った人生コースを歩き、指紋のごとく同じ人生なんて無いですね。

沖縄では経済バブルが二度あった!

あれ、おかしいぞ!バブルってあの景気でバカ騒ぎしたバブルだろ?

誰でもそう思う、無理もない、振り返って物事を見ないのが習性だから仕方がないですね。

第一のバブルは沖縄が祖国復帰する前の時代、いわゆる復帰前と呼ぶ時代、1972年以前のことになる。

沖縄は米軍東統治下、那覇とコザ(現沖縄市)とは世相の様が違っていたから、那覇に住む那覇人や南部地域の人達はその体感が無かった。

今の沖縄市を中心に米軍景気で経済がバブルったのである。

tiger60の叔父も米軍相手の衣料仕立ての商売を米軍基地の中で経営していたが、凄まじい儲かり方をしたのを目のあたりに見たものです。こんなに金が儲かるとは!

我が叔父だけではない、復帰前の中部の状態はどんな商売をしても米軍人、軍属やその家族相手なら儲かったものです。

tiger60も叔父の店を手伝った思い出がある、那覇から毎日、金武町のキャンプ・ハンセンまで通いベトナム景気に沸く米兵から多量の軍服や背広の注文を受けていた。

今振り返れば沖縄の第一バブルだった。沖縄人だけではなく、台湾人、香港人などが中部一帯に商売を拡げて大資産家になっていった。

その華僑の人達が年を取り、米軍関係の商売も儲からなくなった復帰直後、彼らは帰国した者もアメリカやカナダに移住したりしたのもいた。

商売や事業で儲かり、その事業母体を日本人や沖縄地元に売り、莫大な金を得てカナダなどへ移り住んだ、元の沖縄人従業員がカナダの移住先を訪ねて行って、度肝を抜かした、

なんと、カナダの大きな町で20階建ての強大ショッピングセンター兼高層マンションを経営していたのだ。

その元手となった資金はすべて沖縄で稼いだ金だった。そんな人達が沢山いた、復帰前の日系米軍人や軍属で沖縄の女性と結婚した人達は給料が良かったので、土地を借りるか買い、外人住宅を数軒建てて同じ米軍相手に貸して借り入れ資金を早々に返済した。

本人が任期を終えて帰る際、その資産をすべて売却した、その時期が沖縄が復帰した直後だったので土地、家屋の値段がだいぶ上がったのである。

しこたま儲けて米国に帰ったのである。

いい話しだけではない、悪いこともある。

中部辺りで米軍人相手に儲かったのはいいが、その蜜の味に中毒症状となり、復帰後もまだ夢から覚め切れない人達がいたことも事実である。

最近、テレビの特集番組を見ていて、そのような人達が出ている、

昔の栄華の話しをしている表情は遠い桃源郷を見て話してしるようにしか見えない、では今のその人達の経済状態はどうだろうか?

惨憺たる酷い状態である、絶対来るはずが無い客を待ちわびて店を細々とやっている、出てくる言葉は昔はこうだった、ああだったと。

昔は悪かったが努力で良くなったと聞くと、感心することであるが、昔はああだったが、今は.....どうしよう今後は?

こんな光景を見ると早く転換してほしいと願うものですね。自ら渦巻いている中に浸っていて気がつかないのだ。

tiger60は米軍基地に長年勤務して分かるが、基地の外の軍人相手の店で売っている品物はすべて、それ以上のものが基地の中で売られている、米軍自体で。

tiger60の米軍での仕事はそれらの品目が入荷するとコンピューター処理して売り場で売られるように値段やバーコードを処理する仕事だったから流通する品目がすべて分かる。

仕事をしながらいつも思ったものだ、これでは基地の外の店で売れないのは当然だと!

沖縄で一番目のバブルは嵐のように過ぎ去った、その境目となったのは沖縄が復帰した頃だったと思う。

その後、日本の経済の流れに乗り遅れたのが中部で儲かった商売人である。

逆に那覇では基地の恩恵にあずかれなかったのが幸いしたのか、復帰と同時に日本の経済の流れに乗って順調にいったものです。

その後の日本全体のバブルは沖縄にとって二回目のバブルであった。

今、沖縄市がいろいろ企画して展開した事業、あしびなー、沖縄ミュージックセンター、その他の結果はどうだろうか?

全く経済効果が無いのは周知の事実ですね。箱物を造って魂である肝心なソフトー人々の知恵が入っていないのが最大の原因である。

この分だと泡瀬干拓の埋め立て事業も同じ結果になると考える。今さら、埋め立てをして本土資本のホテルを誘致して展開すると安易に考えているようだがどうだろうか。

観光、リゾートホテルを経営するには環境が売り物になるか、魅力する環境なのか、連動して売れる、人を惹きつけるものがあるかが問題なのだ。

今の沖縄市にそれがあるだろうか?疑問ですね。

そんなこと、こんなことを考えてからスタートすべきである。

そんなハードだけを造ろうと躍起になるより、シャッター通り化した地域をどうするのか根本的な企画が必要である。小手先だけの優遇制度を使い弱小業者を誘致しているようだが、所詮効果は無しと見る。

はっきり言うが、音楽だけでは地域興しは無理である、ミュージシャン自体がどの時代を生きたのだろうか振り返ってほしい、

あの復帰前のベトナム景気に沸いたコザの町で米兵相手にクラブで演奏をしていた人達である。

もう遅いのである、彼らの出る幕は無いと断言する。

本土各地から彼らの演奏を見たいと今の若い人達が沖縄市をわざわざ訪ずれるだろうか?

誰も来ないのは確かですね。もちろんコザロックフェスティバルが盛況なのは理解する。

沖縄子供の国が県営で沖縄市に存在するが、あの規模を百倍くらいにして東海岸の場所に造り、北部のチュラ海水族館のある海洋博みたいにするのがまだ効果がある。合わせて巨大青少年キャンプセンターやリゾート地域を構築したらどうだろうか?

先日、ある会合の夕食会に誘われて沖縄市で参加した、香港系で沖縄に居残って日本人として生きている人達のグループだった。話しに聞くと、沖縄の復帰前は誰でも米軍相手なら儲かったと懐かしそうに言っていたのが印象深かった。

考えてみたら沖縄人だけではなく、中国、台湾系の人達の一部でも沖縄に取り残されてしまったことがあるのが解かった。

 

今日のブログは、沖縄の復帰前と後の話しになった。復帰前のことを避けて沖縄を語れないのは事実のようです。新聞で誰かが言っていたのを思いだす、お金のことだった、

あてぃんゆるくぶな、うしなてぃんなくな、かじふちぬたみにたみてぃうかな!

意味:あっても喜ぶな、失っても泣くな、風が吹いた    

    時の為に貯めておこう!

一番、中庸が良いようですね、何事も過ぎれば良くないようです。人間って悲しいものですね、理屈では解かっているが、欲や焦り、諸々のことに惑わされる弱いものかも知れません。

tiger60

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
塞翁乃馬 (耳チリ坊主)
2013-06-24 13:56:16
軍関係に詳しいタイガーさんこの様な問題になると俄然力を発揮する。
ロック協会の喜屋武さんもロックバンド華やかし頃 レジが代わりにドラム缶にドル紙幣
を投げ込んでいたと云っていた。
 嘉手納以南が変換されれば美浜以上にコザ市の活性化に繋げられるのではないか。
それに旧アワセゴルフ場もコザに賑わいをもたらしそうだ。
 塞翁乃馬 人間在っても無くても悲しむな 勝っても負けても一喜一憂するな
人間最後までどう転ぶか分からない。
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コメントありがとうございます (tiger60)
2013-06-24 22:19:28
耳チリ坊主さん、コメントありがとうございます。
凄いネーミングで驚いています、まさに沖縄ワールドですね。
嘉手納以南の返還で取り残される恐れがあるのが沖縄市だと予想しています。沖縄市は独自の展開をするほうが将来的には良いと考えます。
売り上げをドラム缶に放り入れることを体験すると、もう中毒症状になります。
そんなことを憶えると努力しなくなるのが人間ですね。
tiger60




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