日本人の愛する錦鯉を毒殺した中国

2010年11月25日 | 支那朝鮮関連
「 日本人の愛する錦鯉を毒殺した中国 」
『週刊新潮』 2010年11月25日号

中国の次なる飛躍への踏み台ともなる上海万博は、10月31日、6ヵ月間に7,307万人、大阪万博の6,422万人を超える万博史上最大入場者数を記録して終了した。中国政府は、万博は大成功だったと自賛し、「改革開放政策を進める自信と決意を強固に、平和発展と開放を両立させる道を歩み、世界各国と連携を深める」と発表した。だが中国の威信をかけて「成功」させた万博で、中国の異質さを象徴するような事件が起きていた。10月15日深夜、新潟県長岡市が持ち込んだ山古志村の錦鯉が毒殺処分されたのだ。

錦鯉を展示した靍野国利氏が詳細を語った。氏は42歳、山古志村で60年の経験をもつ父に学び、約20年間、錦鯉を養殖、現在、長岡市錦鯉養殖組合(以下組合)の青年部長だ。

「上海万博では生き物は展示出来ないそうですが、例外的に認められ、錦鯉を展示することになりました。今年5月頃、長岡市から話があって、準備に入りました。鯉は日本に持ち帰れないという条件でしたが、展示終了時点で中国の公共の施設か業者に贈ろうと、皆で決めました。経済的には大出費ですが、山古志と日本を代表するのですから、立派な美しい鯉を5匹選びました」

いまは長岡市と合併した山古志村は、山古志牛の産地であると共に錦鯉発祥の地としても知られている。6年前の中越大地震のとき、底が割れて水が抜けた池で多くの錦鯉が死んだ。人々はわが子を死なせてしまったように悲しみ、残された鯉を大切に育て、錦鯉養殖の伝統を守った。

その大切な鯉を中国に搬入したのが10月12日だった。日本側代表団は、組合の5名と『月刊錦鯉』の記者1名の6名だった。リーダーは野上養鯉場の野上久人(ひさと)氏である。一行は12日深夜に作業を開始、翌朝5時すぎには日本館催事場に水槽を完成させ、鯉を放ち、午後3時の開会式典後、一般公開した。野上氏が語る。


「病気があるため殺す」

「中には食べられるかと尋ねる中国人もいましたが、美しい鯉に、皆、感嘆の声をあげていました。催事場はテニスコート一面分程しかなく、そこに15日午後8時までの2日半足らずで2万6,000人が来て、身動き出来ないほどでした」

押すな押すなの2日半が過ぎ、15日の午後8時に展示が終わった。深夜までに片づけ、次に展示する京都の人々に明け渡さなければならない。そのとき、事件は起きた。

「中国人数人が突然入ってきて、我々以外全員を外に出し、バタバタッと水槽を取り囲みました。物々しい雰囲気の中で鯉を指して、『病気があるため殺す』と言ったのです。私は思わず言いました。『病気なんかない。入国のときにきちんと検疫を受け、中国側も認めたでしょう』と。しかし、いくら言っても、『病気だ』の一点張りです」と、靍野氏。

押し問答する内に全員、感情が高ぶり、靍野氏が言葉を荒らげた。

「『ふざけるな、何年もかわいがって、作り上げてきた鯉を(殺すなんて)、人道的じゃねぇ』と言ってしまいました」と靍野氏。

激しく言い募る氏を、仲間たちが止めた。「もう止せ」と言いながら、1人はボロボロと涙を流した。そのときだ、中国側が突然、水槽にドボドボドボと液体を注ぎ込んだのは。

「途端に鯉が痙攣し始めました。もう助けようがありませんでした」と靍野氏。悔しさと悲しさと屈辱で呆然とし、氏はその後、何をどうしたのかよく覚えていないという。

錦鯉を上海万博で世界の人々に見て貰いたいと考え、生き物は搬入不可のルールに例外を設けるよう尽力したのは長岡市長の森民夫氏だった。氏は、錦鯉は「長岡市、ひいては日本の宝」であり、「泳ぐ宝石」だと語る。中国人に素晴らしさを知ってもらい、鯉の販路拡大に弾みをつけたいと願っている。

鯉の一大産地の新潟は錦鯉の80%を欧米諸国やタイ、マレーシア、インドネシア、台湾などに輸出する。中国への直接の販路は築かれていないが、台湾、香港経由で輸出されてきた。森氏は、5匹の鯉はかわいそうだが、輸出の道筋をつける意味で、上海での展示は意味があったと語る。

長岡市は、上海万博出展は鯉を最終的に処分するという前提で行われ、契約書にもそう書かれていると説明する。殺処分は受け入れざるを得ない条件だったというのだ。だが、野上氏らは市の説明を否定する。

「殺すという前提はありませんでした。契約書も交わしていません。ただ、日本に持ち帰れないことはわかっていましたので、中国に残して、中国の人たちに可愛いがってもらえればよいと考えていたのです」

こう語りつつ、野上氏は言う。「かといって、私らは毒を入れた中国人を非難する気はありません。彼らは命令されたんでしょう。あとで彼らは電話をかけてきて、申しわけないと言ったそうです」


自衛こそ合理的な解決

謝罪の言葉を野上氏が本人たちから聞いたわけではなく、通訳から聞いたそうだ。客観的に見て、中国の官僚が政府の指示で行ったことを謝罪するとは考えにくい。だが、野上氏も靍野氏も伝え聞いた言葉を額面どおりに受けとめる。

「実は一連の様子はビデオにも写真にも撮ってあります。我々で、動画を公開するのがよいのか悪いのか、話し合いました。理事(野上氏)は公開しない方がよいとの考えでした。小さな尖閣問題みたいですね」と靍野氏は苦笑する。野上氏も語った。

「クスリを水槽に入れられた場面などを撮りました。けれど、もうそんなもの、見たくもない。思い出したくもない。大事な鯉を殺される映像を外に出して、摩擦をおこして中国と喧嘩したくない。我々は中国と親交を深めていきたいと願っているし、彼らもやがて、自分たちのやり方が相当おかしいと気づくでしょう」

新潟の人々のこの優しさが中国人に通じる日は来るのか。評論家の加瀬英明氏が石平氏との共著、『ここまで違う 日本と中国』(自由社)で指摘している。

「広大な国で、第二次大戦前の中国には、上海をはじめとして、多くの大富豪がいたのに、今日にいたるまで、西洋美術館が一つもない」

彼らは洋楽は好むが、美術においてはゴッホもセザンヌもルノワールも、広重も歌麿も横山大観も棟方志功も、認めない。中国美術以外に価値を認めないと加瀬氏は喝破する。

美しい姿で泳ぐ鯉の頭上に毒を振り撒くのは尋常ではない。この異常さは、日本人の感ずる鯉の「美しさやかわいらしさ」を感じとれないゆえではないのか。小さな生物への愛着を持ち得ないからではないのか。中国人の変化を期待して、鯉を死なせた悲劇を忘れるより、逆に未来永劫記憶して、二度と同じ目に遭わないように自衛することこそ、合理的な解決だと、私は思うのである。

http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2010/11/25/













中国での反日デモに参加する若者は“江沢民の子供たち”
2010.11.02 10:00

 簡単に数千人もの若者が集まり、日本に対する憎悪の炎を燃やす反日世代(20代)「憤青」(フェンチン)。彼らは、どうやって育成されたのか。なぜ、今回こうも多くの若者がデモに参加したのか?

 中国出身の評論家、石平氏はこういう。「今回のデモの主役は、一人っ子政策が敷かれた1980年代以降に生まれた『80后(バーリンホウ)』です。甘やかされ、何不自由なく育った80后は、反日教育を強く刷り込まれた世代でもある。その反日教育を国策として主導したのが、1993年に国家主席となった江沢民であり、80后を反日に染め上げたのです」(石平氏)

 1970年代末、当時の最高実力者、鄧小平が改革開放政策へ舵を切ったことで、中国社会には経済格差が広がり、地方では農民暴動が頻発していった。同時に政治的な自由を求める声が高まった。それが民主化運動、そして天安門事件へつながっていったわけだが、民主化運動を弾圧して壊滅させた“功績”が認められ、国家主席にまで昇りつめたのが江沢民前国家主席である。

「江沢民は日本を仮想敵に据えた。『日本が再び中国侵略を企てている。その侵略から国を守るのが中国共産党だ』という考えを刷り込んだ。国民の求心力を保つため日本憎しの共通意識が必要とされたのです」(石平氏)

 つまり、“江沢民の子供たち”とも呼べるのが、今、反日デモで怒りの声をあげている若者たちなのだ。

※週刊ポスト2010年11月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20101102_4825.html





80年代の中国若者は「南京大虐殺」を知らず日本大好きと識者
2010.11.13 17:00

日本への憎しみだけを教育されて育った世代。それがいま、中国で「反日」を叫ぶ若者たちだ。1990年代初頭、江沢民政権が始めた「反日教育」は思惑どおり、国民の隅々までに行き渡った。だが、それ以前はそんなことはなかったと、評論家の石平氏が体験的に語る。

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中国の反日教育が江沢民政権の時代から始まったのは明らかである。それ以前ももちろん、共産党の歴史教育の一環として「抗日戦争」について学ばなければならなかった。しかし、それは、中国共産党の業績を称えることに重点を置いていたため、決して日本に対する憎しみを植えつけるようなものではなかった。

たとえば、1962年生まれの私は、大学生になるまで「南京大虐殺」という言葉を聞いたことがなかったし、教えられた記憶もない。1980年代の中国は日本と良い関係を持つという方向に政府によって誘導されており、社会の雰囲気も日本に学ぼうという時代だった。若者たちの間でも反日感情などはほとんどなかった。大学生が日本に関する展示会を行なうと、大勢の人が訪れ、反響も良かった。

ドラマ『おしん』が大流行した時代で、放映の時間帯には街から人が消えると言われた。山口百恵さんは彼女の名前を知らない人がいないほど中国で大いに歓迎され、日本同様、中国でも国民的アイドルだった。日本に対して親近感を持ち、反日感情もなかったのが80年代だったのである。

もちろん、「抗日戦争」をテーマにしたドラマも放映されていた。しかし、前述のように、中国共産党の業績を称えることが最重要課題だったため、悪役となる日本軍(人)は、どこかユーモラスで滑稽な役回りだった。

私の記憶にあるだけでも、日本軍人といえば、必ず鼻の下にちょび髭をたくわえ、口を開けば「ばかやろう」しか言わない。そういうアホみたいな存在でわれわれ中国人を笑わせてくれた。

※SAPIO2010年11月24日号
http://www.news-postseven.com/archives/20101113_5832.html




「抗日戦争」授業で中国教師は泣き崩れ子供は教科書投げつける
2010.11.14 17:00

日本への憎しみだけを教育されて育った世代。それがいま、中国で「反日」を叫ぶ若者たちだ。1990年代初頭、江沢民政権が始めた「反日教育」は思惑どおり、国民の隅々までに行き渡った。いまや「反日カード」は共産党政権維持のために欠かせないものとなった。評論家、石平氏が体験的反日キャンペーンを語る。

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私が留学のため来日したのは1988年。その翌年、天安門事件が起こり、多くの学生が亡くなった。私は日本で抗議活動をしていたために、しばらく中国に帰ることができなかった。

ようやく帰国できたのは、事件発生から3年後の1992年だった。久しぶりに帰国した祖国の雰囲気は一変していた。日本に対する認識、あるいは感情的なものが80年代のものとは全く別のものとなっていたのだ。一般の民衆も大学生も、そしてかつて一緒に民主化運動を闘った友人たちも一斉に「反日」になっていた。

私は教科書や出版物、新聞記事、抗日戦争を題材にしたテレビ、映画すべてを確認した。江沢民政権はメディアを総動員して、中国的に言えば「全方位的」な反日教育を行なっていたのだ。

日本人は、ひたすら残虐な行為をする存在として描かれ、観客の憎しみの感情を喚起、煽動する。

現在、中国全土で50を超す「抗日記念館」がつくられ始めたのもこの頃だ。そのほとんどで日本軍にむごたらしく殺された中国人の蝋人形や絵画を展示しており、学生たちはそこで学ぶ。

学校の授業ではどうか。「抗日戦争」を教える時、教師は日本軍の残虐な行為を涙ながらに語り、果ては泣き崩れる。すると子供たちも泣き叫び、興奮して教科書を投げつけたり、机をひっくり返すというような集団ヒステリー状態になる。

たとえば、南京大虐殺について中国の教科書は「日本軍は南京占領後、南京人民に対し、血なまぐさい大虐殺を行ない、驚くべき大罪を犯した。〈中略〉戦後の極東国際軍事裁判によれば、南京占領後6週間以内に、武器を持たない中国の国民30万人以上を虐殺した」とある。これを読んで教師は泣きながら子供たちに説明を加えるというわけだ。

実は、教師には日本を恨むよう子供に感情的に訴える「中国歴史・教師用指導書」というマニュアルが配布されている。最近ではDVD化されているようだが、そこには、教師が「人殺しをするわ、放火をするわ、凶悪の限りだ」と叫び、子供たちに復唱させる場面もあった。抗日戦争の犠牲者数を2000万から3500万人と発表したのも江沢民だった。
※SAPIO2010年11月24日号
http://www.news-postseven.com/archives/20101114_5855.html

南京事件 人口20万人だったが「虐殺数30万人」と中国教科書
http://www.news-postseven.com/archives/20101105_5035.html







【チャイナネット】中国若者の日本観調査(1)歴史を連想≠反日[11/13]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1289631160/

中日間でのごたごたが絶えないこの秋に行われた調査で、非常に興味深い結果が出た。もしかすると、中国人の日本観は、私達が思うほど「憤青(怒れる若者)」的ではないのかもしれない。

2010年秋 ごたごた続きの中日間

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この2カ月、中日両国間には漁船衝突事件及び釣魚島領土問題に端を発した色濃い対立感情が漂っている。 『読売新聞』が10月初めに行った日本国民の対中感情調査では、「中国は信用できない」とした人が84%、漁船衝突事件に対する中国の反応は「行き過ぎ」と思う人が89%、中国が日本に謝罪や賠償を求めることについて「受け入れられない」とした人が94%となった。

同一時期に中国で行った調査では、「日本は信用できない」とした人が46.29%、「中日関係に問題が起こった時、客観的中立的立場で事実そのものに対し議論する」とした人が65.2%、「現在中国人が日本及び日本人を議論する際、過激な民族主義を持ち込んでいる」とした人が52.08%であった。

これらのデータは、雑誌『小康』が9月27日から10月17日にかけて行ったアンケート「現代の中国の若者の日本に対する意識調査」からのものである。今回の調査では、中国全土において無作為に行い、最終的に回収できた有効回答は1296件、それぞれの地区における比率は西部16.59%、中部28.86%、東部54.55%で、回答者の年齢は15歳から35歳まで、そのうちの80.17%が高校生及び大学生で、79.71%が現在或いは過去に大学またはそれ以上の教育を受けた人たちだった。

調査の結果は、あまり語られない事実を示した。

(1)歴史を連想 ≠ 反日

日本或いは日本人と聞いた時、何を思い浮かべるか。

67.75%の人が何の迷いもなく「中日歴史問題」を選んだ。では、この、まず歴史問題を思い浮かべるという
ことは一体何を意味するのか。

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日本で以前から言われ続けている説が、多くの中国人が、日本と日本人からこのように連想する原因は、中国政府の長きに渡る反日教育にあるというものである。しかし、大部分の回答者がこれを否定した。彼らの感覚では「学校教育は比較的客観的」であり、家庭での教育やメディア情報から受ける影響の方が相当大きいと言う。

事実、歴史的記憶は昨今の中国の若者にとって、必ずしも反日感情を煽るものではないようだ。今年大学を卒業する張瑩さんは、「歴史は何かしらの問題を残してしまうものだが、そこに自分たちが過度に関わっていく必要はないし、急進主義的感情を持ち込むのはもってのほか」だと話す。山東大学の大学院生樊?さんも彼女の日本語教師の言葉「あの戦争が無ければ、日本人は世界で一番善良な国民だった」という言葉を信じているという。

これと関連性のあるデータがある。それは、「日本や日本人に対しどのような感情を抱いているか」という質問に対し、「非常に嫌い」「どちらかと言えば嫌い」とした人が47.92%、「特になんとも感じない」とした人が42.98%、このほか、9.1%の人が「非常に好き」「どちらかと言えば好き」と答えた。

日本企業に勤める周健新さんも「反日教育説」に反対だ。しかし、中国における日本の支援活動に対し中国国内での報道が消極的過ぎるという。「私たちの北京首都空港や上海浦東空港は日本のODAの援助によって建設されたものだが、多くの人がそれを知らないだろう。」

チャイナネット 2010/11/12
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2010-11/12/content_21329749.htm





【チャイナネット】中国若者の日本観調査(2)戦略的目的を持つODA[11/15]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1289803280/l50

(2)戦略的目的を持つODA

実際、中国に対する支援がスタートした1980年から2008年の支援停止までの間に、中日両政府によって署名されたODA協議の合計金額は300億ドル以上で、北京の地下鉄や中国鉄道電化プロジェクト等も、この恩恵を受けている。周健新さんが言うように、今回の調査で「日本の対中ODAやその支援プロジェクトを知っているか」という問いに対し、「全く知らない」と答えた人が51.62%、「聞いたことがある」と答えた人が38.89%、「よく知っている」と答えた人は9.49%に過ぎなかった。

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日本では、このような状況に対し、中国は「恩知らず」だと不満を抱く人もいる。しかし、中国社会科学院日本研究所外公室主任の呂耀東副研究員はこう言う。「2007年に温家宝総理が日本の国会で演説を行った際、中国人は、日本政府や日本国民からの中国建設事業に対する支持や支援を忘れないと述べている。我々が日本の友好的行為を認めていることは明らかだ。また、日本が強調することを、なぜ必ず若者全てに認知させなければならないのか。しかも、ODAはそれ自身、戦略的目的を持っているものだ。」

ソフトパワー拡張戦略の面から言えば、中国人のODA認識を高めることは、確実に日本の中国におけるイメージアップにつながる。樊?さんは、ODAを知ることで日本への見方が変わったことを認め、「こういうことが数多く行われることを願っている」と言う。清華大学の学生呉彊さんも、「ODAを知り、日本人の中にも中国に良くしてくれる人がいるのだと感じた」とコメントする。

しかし、より多くの人たちはODAを知った後、それが純粋に両国友好のためだけに行われているわけではないと考えたり、ODAを日本が未だ中国に対して戦争賠償を行っていないこととを結びつけ、「支援してくれて当然」という結論に至ったりしている。「私の日本に対する態度は変わっていない」、清華大学の修士一年生の羅小武さんはこう言う。「もし何の利益も無い場合、日本は決してこのようなことをしないはずだ。」また、彼の同級生、章朔さんはこう考える。「日本の態度は傲慢だ、我々のことを甘んじて施しを受ける国だと馬鹿にしているのではないか。」

チャイナネット 2010/11/15
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2010-11/15/content_21344608.htm




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