2004年5月、在上海日本総領事館の館員(当時46歳)が自殺した問題で、館員が中国の情報当局から外交機密などの提供を強要され、自殺するまでの経緯をつづった総領事あての遺書の全容が30日判明した。
本紙が入手した遺書には、情報当局者が全館員の出身省庁を聞き出したり、「館員が会っている中国人の名前を言え」と詰め寄るなど、巧妙かつ執拗(しつよう)に迫る手口が詳述されている。中国側が館員を取り込むために用いた中国語の文書も存在しており、これが、日本政府が「領事関係に関するウィーン条約違反」と断定した重要な根拠となったこともわかった。中国政府は「館員自殺と中国当局者はいかなる関係もない」と表明しているが、遺書と文書はそれを否定する内容だ。
自殺した館員は、総領事館と外務省本省との間でやり取りされる機密性の高い文書の通信を担当する「電信官」。遺書は総領事と家族、同僚にあてた計5通があり、パソコンで作成されていた。総領事あての遺書は計5枚の長文で、中国側の接近から自殺を決意するまでの経緯が個条書きで記され、最後に「2004年5月5日」の日付と名前が自筆で書き込まれている。
それによると、情報当局は、まず03年6月、館員と交際していたカラオケ店の女性を売春容疑で拘束。処罰をせずに釈放し、館員への連絡役に仕立てた。館員は同年12月以降、女性関係の負い目から当局者との接触を余儀なくされた。接触してきたのは「公安の隊長」を名乗る男性と、通訳の女性の2人だった。
館員は差し障りのない話しかしなかったが、04年2月20日、自宅に届いた中国語の文書が関係を一変させた。文書は、スパイの監視に当たる「国家安全省の者」を名乗り、「あなたか総領事、首席領事のいずれかと連絡を取りたい」と要求。携帯電話番号を記し、「〈1〉必ず公衆電話を使う〈2〉金曜か日曜の19時?20時の間に連絡せよ」と指定してあった。
館員は「隊長」に相談。すると約2週間後、「犯人を逮捕した」と返事がきた。文書を作った者を捕まえたので、問題は解決した、との意味だった。館員はこの時初めて文書は「隊長」らが作った可能性が高く、自分を取り込むためのでっちあげと気付いた。遺書には、「(文書は)彼らが仕組んだ」と悟った、と書いている。
「犯人逮捕」を期に、「隊長」は態度を急変。サハリンへの異動が決まった直後の同年5月2日には「なぜ(異動を)黙っていたんだ」と恫喝(どうかつ)した。「隊長」は、総領事館の館員全員が載っている中国語の名簿を出し、「全員の出身省庁を答えろ」と詰め寄った。「あなたは電信官だろう。報告が全部あなたの所を通るのを知っている。館員が会っている中国人の名前を言え」と追い打ちをかけた。
最後には、「今度会うとき持ってこられるものはなんだ」と尋ね、「私たちが興味あるものだ。分かるだろう」と迫った。
約3時間、恫喝された館員は協力に同意し、同月6日午後7時の再会を約束した。館員は、「隊長」は次には必ず暗号電文の情報をやりとりする「通信システム」のことを聞いてくると考え、面会前日の5日に遺書をつづり、6日未明、総領事館内で自殺した。遺書には「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました」などとも記している。
「領事関係に関するウィーン条約」は第40条で、領事官の身体や自由、尊厳に対する侵害防止のため、受け入れ国が「すべての適当な措置」を取るとしている。遺書の内容は具体的で、それを裏付ける中国語文書も存在しているため、中国側の条約違反の疑いが濃厚だ。
◇
外務省の鹿取克章外務報道官は30日夜、上海総領事館員の遺書の内容が判明したことについて「本件は、館員のプライバシーにかかわるので、コメントは差し控えたい」と述べた。
(2006年3月31日3時2分??読売新聞)
中国側、機密執拗に要求…自殺上海領事館員の遺書入手 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060331it01.htm
在上海総領事館員自殺問題 安倍官房長官「非情な脅迫で遺憾」
安倍晋三官房長官は31日午前の記者会見で、平成16年5月に在上海総領事館の男性職員が自殺した問題で、一部報道機関が遺書の全文を掲載したことに関連、「政府としても領事館員の自殺の原因は中国公安当局関係者による非情な脅迫、恫喝だと判断した。ウィーン条約に反する遺憾な行為であり、中国政府に対し今後とも事実関係の究明を求めていきたい」と述べた。
一方、小泉純一郎首相は同日昼、「日本は(中国側に)抗議している。こういう問題を起こさないように、日本側も注意しないといけない。こういう誘惑はどこの国にもある。国際社会では日常茶飯事だ」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。
(03/31 12:02)
Sankei Web 政治 在上海総領事館員自殺問題 安倍官房長官「非情な脅迫で遺憾」(03/31 12:02)
http://www.sankei.co.jp/news/060331/sei088.htm
○○総領事殿
お世話をおかけして申し訳ございません。
1 カラオケの女性が去年6月、「そのての罪」で公安に捕まるということがありました。後で聞いたところ、不思議なことに1日で釈放されたとのことでした。ただし、その女性が勤めるカラオケの情報を毎日報告するというのが条件だったようです。その際、客に××【電信官の姓】というのがいるだろうとも言われたと言っていました。また、公安に捕まったことは誰にも公言するなとも言われたそうです。
2(1)7月位に私に「その話」をしただろうと、詰問され否定したところ、留置場に入れられたと、相当おびえておりました。 (2)8月に入りその女性が勤める店で「スパイ行為」をはたらいていることを私が他言しないとの確約が欲しいので、私に会って直接話をしたいと言っている。1度だけ会ってくれないだろうかとその女性から言われました。 (3)もちろん私は断った上で、絶対に他言はしないと伝えて欲しい旨その女性に言いました。 (4)略
3 私は、断り続けましたが、弱みもあり、1度だけという約束で、12月の14日に、その女性と一緒に市内の喫茶店で公安と称する彼らに会いました。 (1)彼らは2人で現れ1人は唐(隊長)(40歳位)だと名乗り、他の1名は20代前半の女性で陸と名乗り通訳でした。 (2)まず彼らは、その女性が「スパイ行為」をしていることを絶対に他言しないことを約束して下さいと言いました。私はそれに同意しましたが、彼らは私の行っている行為は中国では違法だが、私の総領事館員の立場を考えて、不問にするとのことでした。 (3)特に彼らは、高圧的でもなくむしろ、低姿勢でした。そして、外国人の意見を聞いて、「上海の発展に役立たせたい」様のことを言い、これから友達としてつき合ってくれないかと言ってきました。 (4)私は、それは断ると言ったところ、返事は今でなくても良いから、考えてみてくれと、立ち去りました。
4 その後も、返事を聞きたいので会って欲しいと、その女性(カラオケの)を通じて執拗【しつよう】に言って来ました。あまりの執拗さに、「弱み」もあり、根負けして、再び会い(12月の末頃だと思います)、私が答えたくないと言うことには答えないという約束で、その後も会うことに同意してしまいました。 (1)はじめは会っても、日本と中国の習慣の違いとか、上海の悪いところはどんなところだろうといった、とりとめのない話に終始しました。 (2)略 (3)略
5 2月20日、私のアパートのフロントに手紙が置かれるということがありました。内容は、国安【国家安全省の意味】だが、総領事か首席【首席領事の意味】か私のいずれかに会いたい、誰が会うかはお前が決めろと、携帯電話の番号と電話をする時間等が書かれていました。 (1)今考えるとその時、既に完全に彼らの術にはまっていたのですが、うかつにもなんとか館の皆さんに知られずに事を済まそうと、彼らに相談しました。 (2)彼らは外国人を守るのは我々の仕事だし、今までも同様のケースが有ったし、心配することはないと、すぐ解決する様なことを言っていました。 (3)それから、急に彼らと会う機会(「解決」するため)が多くなり、2週間後に「犯人」を逮捕したと言ってきました。 (4)この時、初めてこの「事件」【文書が届けられたこと】は彼らが「仕組んだ」と気づきました。
6 略
7 また、その後3~4週間会いませんでしたが、女性(カラオケの)を呼び出し、「××は事態を理解していないようだが、大変なことになるぞ」と脅してきたと、彼女から「会った方が良い。心配だ」と言ってきました。4月25日にやはり、市内の喫茶店で会いましたが、私が「礼儀をわきまえていない」、中国では世話になったら、礼を尽くすべきだ等と穏やかに言っていました。「事件解決」の事を指していると思いました。私が、何が目的なんだと聞くと(今までも何度も聞いてました)、やはり外国人の考え方を知りたいなどと、いつものように言っていました。
8 5月2日陸から電話が来て会いたいと言ってきました。この日は、私は素直に会うことを承諾しました。私の転勤をどこかで知ったのだと思いました。 (1)一番に、唐は総領事館の転勤はどの位であるのかと聞いてきました。私は通常2~3年だと答えました。あなたはいつ異動するんだと、聞かれたので、来年じゃないかと答えたところ、私(唐)はあなたが、転勤するのは知っている、なぜ黙っていたんだと言って来ました。知っているのなら、聞かなくてもいいではないかと言ったところ、あなたの口から聞きたいと言いました。 (2)私は5月28日、日本に帰ると言ったところ、転勤だろうと言われ知っているのなら、聞かなくてもいいじゃないかと言う私に、再度あなたの口から聞きたいと言いました。サハリンだと答えると、これからもこのまま「友達」でいたいと言い、いいですかと念を押してきました。私は「断る」とはっきり言いました。 (3)すると唐の態度が豹変【ひょうへん】し、あなたがやって来たことは中国では、法律に違反する。あなたは領事館員という立場で、そういうことをして、ただですむと思っているのか、我々と会っていると言うこと自体、総領事館に知られたら困るのではないか、国と国の問題になるぞと恫喝【どうかつ】してきました。仕事を失い、家族はどうなる。あなたが「協力する」と言えば、家族とも一緒に暮らせるし、その女性も幸せに過ごせる。全ては円満に収まるではないか。私達(唐)はあなたが「不幸」になる姿を見たくない等と言い続けました。3時間を経過したとき、私は「承諾する」と言いました。 (4)そうすると、いきなり唐は当館の館員全員が載っている中文の名簿を出し、この全ての出身省庁を答えろと言いました。 私は、答えました。すると、当館の館員で「情報収集」(ママ)の課の出身はだれだと言ってきました。
私は、全員がここの館で初めて会った人なので知らないと答えると、そんなはずはないと執拗に聞いてきましたが、本当に知らないと言い続けるとあきらめたようでした。 (5)私たち(唐)はあなたのことは、全て知っている、電信官だろうと言い「あなたの部屋に他の館員は入れないだろう」とまで言いました。私の仕事はPCの管理だと言い張りましたが、報告が全部あなたの所を通るのを知っている、館員が会っている中国人の名前を言えと言われました。皆パスワードで保護しているので、絶対に見られないと言うと、そんなはずはないが、今日はいいと言い話題を変えました。 (6)あなたが、私たちに今度会うときに持ってこられるものはなんだと聞かれました。どういうものなのかと聞くと、私たちが、興味のあるものだ、解るだろうと言われました。私は行嚢【こうのう】送付のフライトナンバーなら次回持ってこられると言うと、次に持って来るようにということで、解放されました。
彼らが、私が通信の担当だと知っている以上、これから必ずシステムのことを聞いてくるのは明らかだと思われます。明日6日午後7時にまた会う約束をさせられており、もし会ったら私は日本を裏切ることになりかねません。私がこういう形で、自分の責任を取ろうとしても、もはや手遅れなのは承知しておりますが、一生あの中国人達に国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした。ご迷惑は承知の上ですがお許しください。
略
総領事本当に、いろいろお気遣い頂いたにもかかわらず、裏切ってしまい本当に申し訳ありません。異動も決まって楽しみにしていたのですが、日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました。
ご迷惑をおかけしますが、何卒【なにとぞ】よろしくお願い致します。この2年間本当にありがとうございました。
略
2004、5、5 ×××× 【本人署名】 ??
【 】内は本紙の注。○○は総領事の姓。
読売新聞 2006/03/31 2面[総合]
「思いつきブログ」 hit on!: 在上海日本総領事館員が総領事にあてた遺書の要旨
http://hiton.seesaa.net/article/15967965.html
本紙が入手した遺書には、情報当局者が全館員の出身省庁を聞き出したり、「館員が会っている中国人の名前を言え」と詰め寄るなど、巧妙かつ執拗(しつよう)に迫る手口が詳述されている。中国側が館員を取り込むために用いた中国語の文書も存在しており、これが、日本政府が「領事関係に関するウィーン条約違反」と断定した重要な根拠となったこともわかった。中国政府は「館員自殺と中国当局者はいかなる関係もない」と表明しているが、遺書と文書はそれを否定する内容だ。
自殺した館員は、総領事館と外務省本省との間でやり取りされる機密性の高い文書の通信を担当する「電信官」。遺書は総領事と家族、同僚にあてた計5通があり、パソコンで作成されていた。総領事あての遺書は計5枚の長文で、中国側の接近から自殺を決意するまでの経緯が個条書きで記され、最後に「2004年5月5日」の日付と名前が自筆で書き込まれている。
それによると、情報当局は、まず03年6月、館員と交際していたカラオケ店の女性を売春容疑で拘束。処罰をせずに釈放し、館員への連絡役に仕立てた。館員は同年12月以降、女性関係の負い目から当局者との接触を余儀なくされた。接触してきたのは「公安の隊長」を名乗る男性と、通訳の女性の2人だった。
館員は差し障りのない話しかしなかったが、04年2月20日、自宅に届いた中国語の文書が関係を一変させた。文書は、スパイの監視に当たる「国家安全省の者」を名乗り、「あなたか総領事、首席領事のいずれかと連絡を取りたい」と要求。携帯電話番号を記し、「〈1〉必ず公衆電話を使う〈2〉金曜か日曜の19時?20時の間に連絡せよ」と指定してあった。
館員は「隊長」に相談。すると約2週間後、「犯人を逮捕した」と返事がきた。文書を作った者を捕まえたので、問題は解決した、との意味だった。館員はこの時初めて文書は「隊長」らが作った可能性が高く、自分を取り込むためのでっちあげと気付いた。遺書には、「(文書は)彼らが仕組んだ」と悟った、と書いている。
「犯人逮捕」を期に、「隊長」は態度を急変。サハリンへの異動が決まった直後の同年5月2日には「なぜ(異動を)黙っていたんだ」と恫喝(どうかつ)した。「隊長」は、総領事館の館員全員が載っている中国語の名簿を出し、「全員の出身省庁を答えろ」と詰め寄った。「あなたは電信官だろう。報告が全部あなたの所を通るのを知っている。館員が会っている中国人の名前を言え」と追い打ちをかけた。
最後には、「今度会うとき持ってこられるものはなんだ」と尋ね、「私たちが興味あるものだ。分かるだろう」と迫った。
約3時間、恫喝された館員は協力に同意し、同月6日午後7時の再会を約束した。館員は、「隊長」は次には必ず暗号電文の情報をやりとりする「通信システム」のことを聞いてくると考え、面会前日の5日に遺書をつづり、6日未明、総領事館内で自殺した。遺書には「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました」などとも記している。
「領事関係に関するウィーン条約」は第40条で、領事官の身体や自由、尊厳に対する侵害防止のため、受け入れ国が「すべての適当な措置」を取るとしている。遺書の内容は具体的で、それを裏付ける中国語文書も存在しているため、中国側の条約違反の疑いが濃厚だ。
◇
外務省の鹿取克章外務報道官は30日夜、上海総領事館員の遺書の内容が判明したことについて「本件は、館員のプライバシーにかかわるので、コメントは差し控えたい」と述べた。
(2006年3月31日3時2分??読売新聞)
中国側、機密執拗に要求…自殺上海領事館員の遺書入手 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060331it01.htm
在上海総領事館員自殺問題 安倍官房長官「非情な脅迫で遺憾」
安倍晋三官房長官は31日午前の記者会見で、平成16年5月に在上海総領事館の男性職員が自殺した問題で、一部報道機関が遺書の全文を掲載したことに関連、「政府としても領事館員の自殺の原因は中国公安当局関係者による非情な脅迫、恫喝だと判断した。ウィーン条約に反する遺憾な行為であり、中国政府に対し今後とも事実関係の究明を求めていきたい」と述べた。
一方、小泉純一郎首相は同日昼、「日本は(中国側に)抗議している。こういう問題を起こさないように、日本側も注意しないといけない。こういう誘惑はどこの国にもある。国際社会では日常茶飯事だ」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。
(03/31 12:02)
Sankei Web 政治 在上海総領事館員自殺問題 安倍官房長官「非情な脅迫で遺憾」(03/31 12:02)
http://www.sankei.co.jp/news/060331/sei088.htm
○○総領事殿
お世話をおかけして申し訳ございません。
1 カラオケの女性が去年6月、「そのての罪」で公安に捕まるということがありました。後で聞いたところ、不思議なことに1日で釈放されたとのことでした。ただし、その女性が勤めるカラオケの情報を毎日報告するというのが条件だったようです。その際、客に××【電信官の姓】というのがいるだろうとも言われたと言っていました。また、公安に捕まったことは誰にも公言するなとも言われたそうです。
2(1)7月位に私に「その話」をしただろうと、詰問され否定したところ、留置場に入れられたと、相当おびえておりました。 (2)8月に入りその女性が勤める店で「スパイ行為」をはたらいていることを私が他言しないとの確約が欲しいので、私に会って直接話をしたいと言っている。1度だけ会ってくれないだろうかとその女性から言われました。 (3)もちろん私は断った上で、絶対に他言はしないと伝えて欲しい旨その女性に言いました。 (4)略
3 私は、断り続けましたが、弱みもあり、1度だけという約束で、12月の14日に、その女性と一緒に市内の喫茶店で公安と称する彼らに会いました。 (1)彼らは2人で現れ1人は唐(隊長)(40歳位)だと名乗り、他の1名は20代前半の女性で陸と名乗り通訳でした。 (2)まず彼らは、その女性が「スパイ行為」をしていることを絶対に他言しないことを約束して下さいと言いました。私はそれに同意しましたが、彼らは私の行っている行為は中国では違法だが、私の総領事館員の立場を考えて、不問にするとのことでした。 (3)特に彼らは、高圧的でもなくむしろ、低姿勢でした。そして、外国人の意見を聞いて、「上海の発展に役立たせたい」様のことを言い、これから友達としてつき合ってくれないかと言ってきました。 (4)私は、それは断ると言ったところ、返事は今でなくても良いから、考えてみてくれと、立ち去りました。
4 その後も、返事を聞きたいので会って欲しいと、その女性(カラオケの)を通じて執拗【しつよう】に言って来ました。あまりの執拗さに、「弱み」もあり、根負けして、再び会い(12月の末頃だと思います)、私が答えたくないと言うことには答えないという約束で、その後も会うことに同意してしまいました。 (1)はじめは会っても、日本と中国の習慣の違いとか、上海の悪いところはどんなところだろうといった、とりとめのない話に終始しました。 (2)略 (3)略
5 2月20日、私のアパートのフロントに手紙が置かれるということがありました。内容は、国安【国家安全省の意味】だが、総領事か首席【首席領事の意味】か私のいずれかに会いたい、誰が会うかはお前が決めろと、携帯電話の番号と電話をする時間等が書かれていました。 (1)今考えるとその時、既に完全に彼らの術にはまっていたのですが、うかつにもなんとか館の皆さんに知られずに事を済まそうと、彼らに相談しました。 (2)彼らは外国人を守るのは我々の仕事だし、今までも同様のケースが有ったし、心配することはないと、すぐ解決する様なことを言っていました。 (3)それから、急に彼らと会う機会(「解決」するため)が多くなり、2週間後に「犯人」を逮捕したと言ってきました。 (4)この時、初めてこの「事件」【文書が届けられたこと】は彼らが「仕組んだ」と気づきました。
6 略
7 また、その後3~4週間会いませんでしたが、女性(カラオケの)を呼び出し、「××は事態を理解していないようだが、大変なことになるぞ」と脅してきたと、彼女から「会った方が良い。心配だ」と言ってきました。4月25日にやはり、市内の喫茶店で会いましたが、私が「礼儀をわきまえていない」、中国では世話になったら、礼を尽くすべきだ等と穏やかに言っていました。「事件解決」の事を指していると思いました。私が、何が目的なんだと聞くと(今までも何度も聞いてました)、やはり外国人の考え方を知りたいなどと、いつものように言っていました。
8 5月2日陸から電話が来て会いたいと言ってきました。この日は、私は素直に会うことを承諾しました。私の転勤をどこかで知ったのだと思いました。 (1)一番に、唐は総領事館の転勤はどの位であるのかと聞いてきました。私は通常2~3年だと答えました。あなたはいつ異動するんだと、聞かれたので、来年じゃないかと答えたところ、私(唐)はあなたが、転勤するのは知っている、なぜ黙っていたんだと言って来ました。知っているのなら、聞かなくてもいいではないかと言ったところ、あなたの口から聞きたいと言いました。 (2)私は5月28日、日本に帰ると言ったところ、転勤だろうと言われ知っているのなら、聞かなくてもいいじゃないかと言う私に、再度あなたの口から聞きたいと言いました。サハリンだと答えると、これからもこのまま「友達」でいたいと言い、いいですかと念を押してきました。私は「断る」とはっきり言いました。 (3)すると唐の態度が豹変【ひょうへん】し、あなたがやって来たことは中国では、法律に違反する。あなたは領事館員という立場で、そういうことをして、ただですむと思っているのか、我々と会っていると言うこと自体、総領事館に知られたら困るのではないか、国と国の問題になるぞと恫喝【どうかつ】してきました。仕事を失い、家族はどうなる。あなたが「協力する」と言えば、家族とも一緒に暮らせるし、その女性も幸せに過ごせる。全ては円満に収まるではないか。私達(唐)はあなたが「不幸」になる姿を見たくない等と言い続けました。3時間を経過したとき、私は「承諾する」と言いました。 (4)そうすると、いきなり唐は当館の館員全員が載っている中文の名簿を出し、この全ての出身省庁を答えろと言いました。 私は、答えました。すると、当館の館員で「情報収集」(ママ)の課の出身はだれだと言ってきました。
私は、全員がここの館で初めて会った人なので知らないと答えると、そんなはずはないと執拗に聞いてきましたが、本当に知らないと言い続けるとあきらめたようでした。 (5)私たち(唐)はあなたのことは、全て知っている、電信官だろうと言い「あなたの部屋に他の館員は入れないだろう」とまで言いました。私の仕事はPCの管理だと言い張りましたが、報告が全部あなたの所を通るのを知っている、館員が会っている中国人の名前を言えと言われました。皆パスワードで保護しているので、絶対に見られないと言うと、そんなはずはないが、今日はいいと言い話題を変えました。 (6)あなたが、私たちに今度会うときに持ってこられるものはなんだと聞かれました。どういうものなのかと聞くと、私たちが、興味のあるものだ、解るだろうと言われました。私は行嚢【こうのう】送付のフライトナンバーなら次回持ってこられると言うと、次に持って来るようにということで、解放されました。
彼らが、私が通信の担当だと知っている以上、これから必ずシステムのことを聞いてくるのは明らかだと思われます。明日6日午後7時にまた会う約束をさせられており、もし会ったら私は日本を裏切ることになりかねません。私がこういう形で、自分の責任を取ろうとしても、もはや手遅れなのは承知しておりますが、一生あの中国人達に国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした。ご迷惑は承知の上ですがお許しください。
略
総領事本当に、いろいろお気遣い頂いたにもかかわらず、裏切ってしまい本当に申し訳ありません。異動も決まって楽しみにしていたのですが、日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました。
ご迷惑をおかけしますが、何卒【なにとぞ】よろしくお願い致します。この2年間本当にありがとうございました。
略
2004、5、5 ×××× 【本人署名】 ??
【 】内は本紙の注。○○は総領事の姓。
読売新聞 2006/03/31 2面[総合]
「思いつきブログ」 hit on!: 在上海日本総領事館員が総領事にあてた遺書の要旨
http://hiton.seesaa.net/article/15967965.html