【深層真相】「在サハリン韓国人」理由なき支援 続く予算拠出

2007年06月04日 | 政治 経済
【深層真相】「在サハリン韓国人」理由なき支援 続く予算拠出
06/05 03:11更新

写真日本が資金を出し建設した「故郷の村」のアパート=韓国・安山市

 今春、成立した政府の平成19年度予算に「在サハリン『韓国人』支援」の名目で約3億円が盛り込まれたことを一体どれだけの国民が知っているだろうか。「人道的支援」の名の下、サハリン残留韓国人問題で政府が拠出してきた金はすでに70億円近い。だが今夏以降、サハリンから韓国への帰国事業を拡大することになったため、日本も新たな負担を求められることになったのである。戦後、60年以上が経過し、もはや支援対象者はほとんどいなくなったはずだ。“理由なき支援”が続く背景は…。(喜多由浩)

 韓国・ソウルから電車で約1時間の安山市に、サハリンからの永住帰国者約1000人が住む「故郷の村」のアパート群がある。2000年に日本が建設費約27億円を出して造った(土地代・維持費は韓国側が負担)施設だ。

 バス・トイレ付きの2LDK。家賃は無料、生活費として1世帯あたり日本円にして約10万円が韓国側から支給されるから、ぜいたくさえしなければ生活に心配はない。

 ほかに、病弱者を対象とした療養院もあり、建設費はもちろんヘルパー代まで日本が出している。これらは平成7年、周辺国への「謝罪」に熱心だった村山内閣時に決定されたものだ。

 日本の支援はこれだけではない。日韓の赤十字が運営する共同事業体に拠出する形で、▽永住帰国はしないが、韓国への一時帰国を希望する人たちのサハリンからの往復渡航費と滞在費を負担(今年3月までに延べ1万6146人が一時帰国)▽サハリンに残る「韓国人」のための文化センター建設(04年竣工(しゅんこう)、総工費約5億円)‐など、相手方から求められるまま、至れりつくせりの支援が行われてきた。

                  ◆◇◆

 だが昨年秋、韓国側は「まだサハリンには韓国への永住希望者が3000人以上も残っている。今年夏以降、数百人単位で順次、帰国させたい」として、日本側に新たな支援を求めてきた。

 日本が建てた永住帰国者用の施設にはもう空きがない。ついては、別の公営住宅などを借りるからその家賃を日本側で負担してほしいという話である。

 さすがにそれは拒んだものの、結局、サハリンからの渡航費などは日本側で支援することになった。それが冒頭に挙げた約3億円だ。

 そもそも、戦時中に労働者としてサハリンに渡ったのであれば80代、90代になっているはず。戦後60年以上たっているのにいまだに「支援対象者」が絶えないのは、支援者の条件が単に、「終戦前から引き続きサハリンに居住している『韓国人』」などとなっているからだ。

 この条件なら終戦時に1歳の幼児だったとしても支援対象になるし、日本とのかかわりも問われない。実際、現在の対象者の多くはサハリン生まれの2世たちである。戦後、北朝鮮から派遣労働者としてサハリンに渡った人など、「日本とは何の関係もない人」まで、支援を受けていることが分かっている。

                  ◆◇◆

 戦時中、朝鮮半島からサハリンへ行った労働者は企業の高い外地手当にひかれて、自ら海を渡った人が多かった。しかも、彼らが戦後、帰国できなかったのは、当時のソ連が北朝鮮に配慮して国交のない韓国への帰国を認めなかったからだ。だから「日本に法的責任がない」という政府の主張は間違っていない。

 百歩譲って、アジアの大国としての「人道的支援」は認めるとしても、すでに使命は十分に果たしたはずである。それなのに、支援を打ち切るという話はどこからも聞こえてこない。

 支援事業を行う日赤国際部は、「日本政府としては各事業の効果や必要性等を入念に精査の上、人道的観点から現実的な支援を策定しているものと承知している」とコメント。外務省関係者からは、「この程度(の額)で済むのなら…」と本音も漏れてくる。

 だがそういう「事なかれ主義」が歴史問題で日本を苦境に追い込み、竹島や慰安婦問題で譲歩を余儀なくされたことを忘れてはならない。

                   ◇

【用語解説】サハリン残留韓国人問題
 戦時中、日本統治時代の朝鮮半島から企業の募集などで樺太(現・ロシア領サハリン)へ渡った韓国人が、戦後にソ連(当時)の方針で出国が認められず、数十年間にわたってサハリン残留を余儀なくされた。日本の民間人の運動がきっかけとなって、1980年代半ば以降、日本を中継地とした一時帰国、さらには韓国への永住帰国が実現した。日本政府は一貫して「法的責任はない」と主張してきたが、日本の一部政党・勢力が「日本が強制連行した上、韓国人だけを置き去りにした」などと、事実無根のプロパガンダを繰り返したために、日本政府は帰国事業などへの人道的支援に乗り出さざるを得なくなり、戦後60年以上たった現在も支援が続いている。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/55425/






「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援
産経新聞特集部次長 喜多由浩

 戦後、冷戦のために長くサハリン(旧樺太)から出られなかった朝鮮半島出身者(サハリン残留韓国人)のために、日本がいまだに支援を続けていることを、いったいどれだけの国民が知っているだろうか。これまでの日本の拠出総額は六十億円以上。「人道的支援」がいつの間にか「戦後補償」にすりかわり、相手方の要求はとどまることをしらない。日本の支援が膨らんだのは、一部の日本人たちが、「四万三千人を強制連行した」「日本が置き去りにした」などと事実とかけ離れたことを触れ回ったからである。そのツケはあまりに重い。

発端は「誤解

「サハリンの残留韓国人」とは、日本時代に朝鮮半島から、企業の募集や徴用で、サハリン(当時は樺太)に渡り、戦後も韓国などへの帰国が許されなかった約一万人のことである。当事者の一人で、昭和三十三年に日本へ帰還した朴魯学氏(故人)と妻の堀江和子さん(七七)らが民間人の立場で帰還運動を続け、五十年代後半以降、日本での家族との再会(一時帰国)、韓国への永住帰国が順次、実現したが、それまで数十年間、異郷の地であるサハリンにとどまらざるを得なかった。

 長く家族と引き裂かれ、祖国に帰れなかった人たちには、本当に同情を禁じ得ない。ただ、彼らが、サハリンから出られなかった最大の理由は、冷戦の対立が続くなかで、当時のソ連が、国交のない韓国への帰国を認めなかったからである。友好関係にあった北朝鮮への配慮もあったという。また、ソ連、韓国、日本などの関係各国が関心を示さず、当初は積極的に対応しなかったことも、この問題の解決を遅らせる要因となった。

 この問題に対する日本政府の見解は一貫して、「法的責任はない」というものであった。だがやがて、主として、日本人の側から、日本の責任を問う声が上がり始める。それは「日本が強制連行で四万三千人を無理やりサハリンに連れて行き、過酷な労働につかせた。だから、日本の責任で帰国させねばならない」「日本人だけがさっさと引き揚げ、朝鮮半島出身者だけを置き去りにした」などという批判であった。

 もちろん、これらは事実ではない。まず、再三、マスコミなどで登場した「四万三千人」という人数だが、これは戦後、ソ連や北朝鮮地域から、派遣労働者などとして、サハリンに渡ってきた約二万人の朝鮮族などを加えた数字が“ひとり歩き”してしまったものである。意識的か、無意識か、この混同はずっと続き、“日本糾弾キャンペーン”で使われた。戦後になってサハリンに来た人たちが日本と何の関係もないことは言うまでもない。

 戦時中、企業の募集や官斡旋、徴用によって、朝鮮半島からサハリンに渡った人数は、明確ではないが、終戦前後の朝鮮半島出身者数の各種統計(約七千八百-二万三千人)から判断すれば、二万人前後とみられている。しかも、強制力をともなう徴用が、朝鮮半島で実施されたのは、昭和十九年九月からで、ほとんどの人は企業の募集や官斡旋によるものであった。

 当時の樺太は内地(日本)よりもはるかに賃金が高く、それにひかれて新天地を目指す人が後を絶たなかった。一度行っても、「もう一度行きたい」と希望する人も少なくなかったという。これは朴氏らが帰還運動を進めるにあたって、サハリン残留韓国人から聞き取り調査を行った結果、明らかになった事実である。もちろん、「強制」ではなく、「自分の意思」であった。

 朴氏自身は、今の韓国の地域で理髪師をしていた昭和十八年に、新聞広告でみた樺太人造石油の募集に応じた。給料は理髪師の三倍以上だったという。貯金などによって給料の全額が支払われたわけではなかったが、それでも朴氏は数年の間に、家一軒建つぐらいのまとまったお金を故郷(韓国)の家族に送金している。妻の和子さんによると、朴氏は戦後、何が何でも“強制連行”を主張しようとする仲間たちに対して、「そうじゃなかっただろう」とたしなめることがあったという。

 もちろん、戦時下のことであり、徴用による朝鮮半島からサハリンへの戦時動員がなかったわけではない。募集などでサハリンに渡った人が、現地で徴用されたケースもある。しかし、どう大げさに見積もってみても「四万三千人」という数字にはなり得ないのだ。

『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか』の著者、新井佐和子氏は、日本やサハリン側の公文書を調べたうえで、「正式な徴用で(サハリンに)行った人は数百人に過ぎないだろう。徴用でも内地より高い給料がもらえたし、強制的に連行するようなものではなかった。そもそも、残留韓国人自身が“強制連行”という言葉を知らなかった」と指摘している。

 一方、「朝鮮半島出身者だけを置き去りにした」という批判も事実ではない。

 終戦時に四十万人以上いた日本人は、二十一年十一月に締結された「米・ソ引き揚げ協定」によって、二十四年までに、そのほとんどが帰国した。だが、終戦後、ソ連が実施した人口調査によって「無国籍者」と分類された朝鮮半島出身者は、引き揚げの対象に含まれていなかった。その理由は必ずしも明確ではないが、当時、米占領下にあった日本は「この決定」に関与していない。というより、関与できなかったのである。

目的は「日本の糾弾」

 サハリン残留韓国人問題が政治問題化したのは、昭和五十年十二月に東京地裁に提訴された「サハリン残留者帰還請求訴訟」がきっかけだった。裁判は、残留韓国人四人を原告にし、日本国を相手どって、「日本へ帰還させること」を求めたものである。原告側は総勢十八人の大弁護団を結成。その“仕掛け人”は、後に「従軍慰安婦」訴訟などで中心的な役割を果たす人物であった。

 訴状の「請求の原因 原告らの身の上」の項にはこう書いてある。

「被告国(日本)は一九三八年、国家総動員法を制定し、人道無視の政策をとり、『聖戦完遂』の美名の下に大量の市民をかり立て、強制労働に従事させた。原告らは当時、日本の領土であった韓国の地を故郷とする一農民に過ぎなかったところ、被告国の政策の犠牲者として『南樺太』の地に強制連行され、日本の敗戦後は同地に置き去りにされて、被告国のなんら外交的保護も受けられないまま、同地にとどまることを余儀なくされている…」(一部省略)。

 また、「原告らの法的地位」の項では、こうあった。「『内地人』は、一九四六年から逐次日本領土内に引き揚げることができたにもかかわらず、被告国は不法にも原告らの引き揚げの機会を奪い、日本国に帰国させない措置をとってきた」。さらに、「日本人として日本領土であった『南樺太』に連行され、出身地の主権国のなんら法的保護も直接受けられないままに放置された原告らは、法律的には少なくとも本邦に帰国するまでは、いまだに日本国籍を喪っていないものと認めざるをえない。日本国籍を喪ったとして原告らを引き揚げの対象から除外した被告国の行為は違憲、違法のそしりを免れない」(同)。

 つまり、「日本が“強制連行”で連れて行ったのに、終戦後、朝鮮半島出身者だけを置き去りにした。日本の責任で帰せ」と主張しているのだ。訴状は、まさに日本糾弾のオンパレードだが、これらが事実でないことはすでに述べた通りである。

 さらに、奇妙なことがいくつかある。残留韓国人が帰りたいのは「韓国」であるはずなのに、原告側は「日本へ帰せ」と訴えていた。その後、どうしようとしていたのか。また、原告が本当に「日本国籍を喪っていないこと」を争おうとしていたのか…。どう考えても無理がある。当時、この裁判にかかわっていた関係者によると、「原告として“選ばれた”残留韓国人の中には、帰国の意思がない人すらいた」という。原告の意思など、そっちのけで、裁判を起こすこと自体が目的だったことがうかがえるエピソードだ。

 この裁判で、原告側はさまざまな証人を法廷に立たせている。日本に帰還した残留韓国人や原告の韓国人妻、家族などだ。ある妻は、法廷で「夫を返せ」と絶叫し、裁判官にコップを投げつけた。ナイフで指を切り、血を流してみせる人もいた。国会議員や報道陣のカメラの前でも同じようなパフォーマンスが繰り返され、ある国会議員は、自分の足にすがって絶叫する韓国人妻の姿を見て、「本当に悲惨なことだ。何とか解決してあげたいと思った」と振り返っている。

 ところが、そのうちに、妻たちのみんながみんな、心底から夫の帰国を望んでいるわけではない、ということが分かってくる。「夫を返せ」とさんざん泣きわめいた女性が、いざ夫の帰国が実現する段になって、会いに来なかったり、「日本に来られるから(泣きわめいた)」とこっそり本音を漏らす人もいた。年月がたち過ぎたゆえの「悲劇」ともいえるのだが、こうしたパフォーマンスは、間違いなく日本糾弾キャンペーンに一役買っていた。先の関係者によると、証言する人たちには必ず、「強制連行でサハリンに連れて行かれた」と主張するように“指導”が行われていたという。

 そして、極め付きが五十七年に二度にわたって証言台に立った“慰安婦狩り”の捏造証言で有名な吉田清治氏である。

 この裁判で、吉田氏は、「昭和十八年に済州島で二百四人の若い女を狩り出し、女子挺身隊として軍に提供した」などと証言した。吉田氏とサハリン残留韓国人問題とは何の関係もない。“強制連行”を印象づけるために証言台に立たせたのである。このことだけを見ても、この裁判の目的が透けて見えるようだが、実際、「吉田証言」を機にこの問題は、“強制連行”や日本の責任が一気にクローズアップされることになってしまう。

 裁判は提訴から十四年後の平成元年六月、原告の四人が死亡または帰国を果たしたことで、訴えの理由がなくなり、原告側が訴えを取り下げることで終了した。だがこの間、こうした事実ではない証言や過剰なパフォーマンスが繰り返されることで、「すべて日本が悪い」という論調ばかりが印象づけられる結果となった。そういう意味では、この裁判の「日本糾弾キャンペーン」は確かに成功したのである。

弱腰になった日本外交

 朴・堀江夫妻らの努力によって、サハリンの残留韓国人が日本で韓国の家族と再会する道が開かれ始めていた昭和六十二年七月、超党派の衆・参国会議員約百二十人によって「サハリン残留韓国・朝鮮人問題議員懇談会」(議員懇)が結成された。議員懇の事務局には、「サハリン残留者帰還訴訟」の原告側弁護士も加わっていた。

 もちろん、議員らは問題の解決を願って議員懇に参加したのであろう。ただし、一部の議員の主張は、裁判で展開された“日本糾弾キャンペーン”そのままであった。「四万三千人の強制連行」など、誤った認識を前提とした質問を繰り返し、政府の対応をやり玉にあげた。日本が支援を行っても、「まだ足りない」「責任をどう感じているのか」などと再三にわたって、突き上げた。こうした一部議員の行動が、後に日本の支援を野放図に膨らませる一因となるのである。

 この問題で日本政府が最初に支援を行ったのは六十三年のことだ。日本での再会は実現したものの、日本での交通費や滞在費は朴氏らが負担するしかなかった。それを国庫からの補助金で少しでも肩代わりしようという趣旨で支援が始まったのである。ところがその後、日本を経由せず、サハリンから直接韓国へ行けるようになったのに、日本の支援は減るどころか、逆に増額された。その背景に議員懇の一部議員の働きかけがあったことは間違いない。

 日本が支援を始めたころに、議員懇の中心メンバーだった社会党代議士(当時)が、家族との再会のために来日していたサハリン残留韓国人たちの前で「来年から補助金の額をアップさせる」と不用意な発言をしてしまったことがあった。お金の話にはみんな敏感だ。この話はたちまち、サハリン側に伝わり、その結果、それまで関心がなかった人が来日の申請をしてきたり、一度来た人が二度、三度と申請してくるケースが相次いだ。そのうちに、本来の家族再会はそっちのけで、日本での買い物ばかりに熱心な人たちが目立つようになるのである。

 平成元年には、日韓の赤十字によって支援を行う「在サハリン韓国人支援共同事業体」が設立されている。共同事業体といっても、資金を拠出するのはもっぱら日本側だった。当時の事情を知る国会議員によると、「日本政府が直接お金を出すのはまずいので共同事業体の形をとった。最初から韓国側に資金を出してもらう計画はなかった」という。

「日本が悪い」という声が身内から上がるのだから、日本政府の外交姿勢も弱腰にならざるを得ない。平成二年には国会での答弁で、当時の中山太郎外相がサハリン問題で韓国に謝罪。四年には、宮沢喜一首相(当時)が日韓首脳会談において「従軍慰安婦」問題で謝罪している。六年には、河野洋平官房長官(同)が「従軍慰安婦の強制連行」を認める発言をした。

 そして、七年、「戦後五十年記念事業」として、周辺国への謝罪や補償問題ばかりに熱心だった村山富市内閣のもとで、サハリンから韓国への永住帰国者が入居する五百戸のアパートや療養院の建設など、計約三十三億円にも及ぶ巨額の日本の支援(韓国側は土地や年金などの形で永住帰国者の生活費を負担)が決定されるのである。

 サハリン残留韓国人問題に対して、「法的責任はない」としている日本の支援は、あくまで「人道的な支援」のはずだった。そして、一時帰国(家族再会)や韓国への永住帰国が実現したのだから、「問題は解決した」と主張しても良かった。ところが、一部の政治家・勢力はこれを、まるで「戦後補償」のように位置付け、どんどん日本の支援を引き出そうとした。そして、政府の答弁も「歴史的、道義的責任」と微妙に変化し、韓国側やサハリンの残留韓国人側からも、日本の支援強化を求める声が強まっていくのである。「(一部の)日本人が責任を認めているのだから…」というわけだろう。彼らもまた日本の支援を、はっきりと「補償」と位置付けていた。

 四年にサハリンの残留韓国人の団体が日本政府宛てに提出した要求書にはこう書いてある。「一、過去、日本から受けた肉体的、精神的な損害の補償を日本政府に対し、強く要求する。二、在サハリン韓人の永住帰国を韓国政府に促し、帰国に対しての一切の費用を日本側が負担する。(略)」。まるで、「すべては日本が悪いのだから、日本側が費用を負担するのは当たり前だ」と言っているかのようではないか。

至れり尽くせり

 日本の支援は現在も続いている。その内容は別項の通りだが、まさに至れり尽くせりといえるものだ。

 一時帰国(家族再会)は、「何らかの理由で韓国への永住帰国はできないが、韓国にいる家族・親族と会いたい」という人たちのために、サハリン・韓国の民間定期便を使って行われている。平成元年のスタート以降、希望者が一通り、一時帰国したため、数年後には二回目が、そして現在は三回目が実施されている。往復の渡航費、滞在費はすべて日本側の負担だ。逆に、韓国への永住帰国者がサハリンに残る家族・親族を訪問する「サハリン再訪問」も三年前から始まった。

 韓国への永住帰国者の住居から、たびたび行われる一時帰国の交通費、果ては療養院のヘルパー代まで、日本側が負担しているのだ。今年八月末には、サハリンの韓国人のために日本の費用で建てられる文化センターの起工式が行われた。総工費は約五億円。「サハリンの朝鮮民族の伝統保存のため」として、要望が出されていたものだが、センターにはホテルの機能やレストランも設けられるという。

 共同事業体への日本の拠出額はこれまでに約六十四億円に達している。だが、政府内に支援を見直す動きはないようだ。支援事業を行っている日赤国際救援課は、「『支援を見直した方がいい』という声は聞いていない。日本政府が人道的見地から始めた支援であり、『帰りたい』という人がいる以上、今後も続けていきたい」と話している。

「当事者はもういない」

 日本の支援については、もうひとつ大きな問題がある。支援の対象者が極めてあいまいになっていることだ。

 サハリンに渡った朝鮮民族には、大きく分けて三つのグループがある。(1)戦前の早い時期に、新天地での成功を夢見て渡り、そのまま住みついた(2)戦時に、企業の募集、官斡旋、徴用によって渡った(3)戦後、派遣労働者などとしてソ連や北朝鮮地域から渡ってきた-の三つだ。

 いうまでもなく、(1)、(2)、(3)のうち、日本政府がかかわっているのは(2)の一部だけである。当初、日本側には、「税金を使って支援を行う以上、対象者をはっきり区別すべきだ」という意見もあったが、結局はうやむやになった。共同事業体で設定している支援対象者の条件は、「一九四五(昭和二十)年八月十五日以前にサハリンに移住し、引き続き居住している者」というだけである。


 この条件なら、終戦までに誕生していれば、一歳でも二歳でも対象者に含まれることになる。実際、韓国へ永住帰国した人たちのなかには、「本当に祖国へ帰りたかった」一世だけでなく、当時、幼児だった子供たちが多く含まれている。彼らの多くはサハリンで結婚し、新たな家族が出来ていた。韓国には長年待っている家族など、ほとんどおらず、父祖の土地でしかない。その永住帰国まで日本が支援しなければならないのだろうか。

 一時帰国者の中にも、韓国に縁者がいない「無縁故者」が数多く含まれていたことが分かっている。数年前にサハリンを訪れた産経新聞記者は、ある韓国人から「私たちは戦前、毛皮の商売をするためにサハリンに来た。なぜ、日本が韓国へただで連れて行ってくれるのか」と不思議そうに尋ねられたという。支援の対象者が(1)、(2)、(3)のどのグループに所属するのかは問われないのだ。しかも、昨年からは、「終戦前サハリンへ渡り、残留を余儀なくされ、終戦後、ロシア本土などに渡った韓国人」にも支援の対象が拡大されることになった。こうした複雑な経歴を、だれが、どうやってチェックしているのだろうか。

 また、六十歳以上の一時帰国者については、付き添い一人が認められている。このため、かなり前から、本来の家族再会の趣旨は隅っこに押しやられ、付き添いの二世、三世が主体となった韓国への“買い物ツアー化”が指摘されている。新井佐和子氏は平成七年にサハリンへ行ったとき、八十歳を超える一世の老人から、「一度一時帰国したので、もう十分なのだが、子供たちが韓国へ行きたがるので二度目の申請をした」といわれた。「飛行機の座席の権利を数百ドルで売る人がいる」といった話も聞いたという。運賃がかからないため、「一回、韓国へ行き、買いこんだ商品を(サハリンで)売ればいい商売になる」という人もいる。それなのに、支援の対象者を選ぶのは韓国やサハリン側に任されており、日本側はチェックする手段もない。

 間もなく戦後六十年になる。夫とともに長く帰還運動を続けてきた堀江和子さんは、「本当に祖国に帰りたかった一世たちはもうほとんど残っていない。支援は打ち切るべきだ」と訴えている。実際、現在、支援を求めているのは二世や三世が主なのだ。

 サハリン残留韓国人への日本の支援に対して、ある官僚が「元々、それほど大きな予算ではない」と漏らしたことがある。“大きな額ではない”予算を出し惜しみして韓国などから、反発を招くのを心配しているのか、それとも、一度獲得した予算を手放すのが嫌なのか…。六十四億円はもちろん、小さな額などではない。そして何よりも、「理由のない支援」を許していいのか。

 サハリン残留韓国人問題について、「日本の責任はゼロだった」というつもりはない。本当に支援が必要だった一世たちへの「人道支援」まで否定しているわけでもない。だが、「すべて日本が悪い」などと“あしざまにののしられた”あげく、日本とほとんど関係のない人たちが支援を受けるのでは、国民も納得しないだろう。


【略歴】喜多由浩氏 昭和三十五(一九六〇)年大阪府出身。立命館大学産業社会学部卒。五十九年、大阪新聞社入社、その後、僚紙・産経新聞に転じ、社会部で運輸省(当時)、国会、警視庁などを担当。ソウル支局、横浜総局次長などを経て平成十二年、社会部次長、十五年から現職。現在の主な関心分野は朝鮮半島情勢、旧満州など。著書に『満州唱歌よ、もう一度』(扶桑社)。

「正論」平成17年1月号
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2005/0501/ronbun1-1.html

http://hogetest.exblog.jp/2662153
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid305.html#sequel






【在日】「私たちには再入国許可を受けずに日本に帰る権利がある」 民団が推進「再入国許可制度の適用免除」運動★6[06/06]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1181147374/l50

民団が推進「再入国許可制度の適用免除」運動

永住者は居住国へ帰る権利がある
民団は、再入国許可制度を永住韓国人に適用することは自国(居住国)を出、再び自国(居住国)に戻る権利を侵害するものであるとして、日本政府及び国会に対して「出入国管理及び難民認定法(入管法)第26条による再入国許可制度」の適用から免除することを求め、6月1日から署名運動を開始した。

再入国許可制度の適用免除を求める民団の印刷物
http://www.mindan.org/upload/4666170ded07b.jpg

特に、日本に生まれ、日本で育ち、終生日本を生活の本拠とすることを事実上予定している大多数の韓国・朝鮮人にとっては、日本は国籍国以上に規約12条4項にいう「自国」であり、「自国に戻る権利」について、日本国籍を有する者と別異の取扱いをすべき合理的な理由はない。
(2007.6.6 民団新聞)
http://mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=2479&corner=2






社保庁・自治労の歪んだ関係…ふざけた覚書の内容とは
「年金加入者へのサービスは二の次」

国民の怒りが集中する社会保険庁
 「消えた年金」問題で、国民の怒りを沸騰させた社会保険庁。政府与党への批判と歴代長官の責任論が浮上しているが、何と、社保庁と全日本自治団体労働組合(自治労)が、労働条件向上を優先する覚書などを何度も交わしていたことが4日、分かった。自治労は民主党や社民党の有力支持団体。社保庁労使のゆがんだ体質が、年金加入者軽視につながり、国民の老後を不安に突き落としたのか。

 「社保庁労組は自分たちの労働環境や条件が最優先で、年金加入者へのサービスは二の次だった。かつて国鉄労使がヤミ協定を結び、労働密度をスカスカにしていたのとそっくりだ。これだから国民の大切な年金記録をいい加減に扱っていたのだろう」

 土光臨調メンバーで「国鉄民営化」などを提言した評論家の屋山太郎氏はこう憤る。

 夕刊フジが入手したのは、1979年から2004年までに、社保庁側と自治労側が結んだ覚書や確認事項の内部資料。102件あるうち、何と35件が自治労側の労働条件を優先したものだった。

 例えば、79年3月13日、社保庁長官と自治労国費評議会議長がオンライン化計画に伴って交わした覚書には、≪労働強化が生ずることのないよう十分配慮する≫≪労働条件の低下をきたすような制度の変更は一切行わない≫とある。

 また、同年5月12日、社保庁総務課長と国費評議会事務局長による確認事項でも、≪端末機の操作にあたり、ノルマを課したり、実績表を作成したりはしない≫とも。

 事務手続きの効率化・簡素化を目指すオンライン化が、どうして労働強化につながるのか理解困難だが、自治労側がこれに徹底抗戦したため、このような覚書や確認事項が交わされたという。

 永田町関係者は「自治労側の徹底抗戦で作業スケジュールが遅れた。このため、(年金記録消失の一因である)大量の入力ミスが発生した面はある」と解説する。

 88年5月31日に総務課長と事務局長が交わした覚書には、≪窓口装置を連続操作する場合の1連続操作時間は45分以内とし、操作時間45分ごとに15分の操作しない時間を設ける≫とある。1時間のうち15分も休憩できるとすれば、かなり楽な仕事というしかない。かつて、国鉄は37兆円もの巨額負債を抱えながら、職員の態度は横柄で、労働条件優先のストライキを繰り返した。今回入手した内部資料とずさんな年金記録の管理を見る限り、屋山氏の「社保庁=第2の国鉄」という指摘はうなずける。

 屋山氏は「私は以前、『国鉄労使国賊論』を書いたが同じ構図だ。社保庁は幹部も労組も両方悪い。こんな組織を公務員の立場で残してはならない。民営化してダメな職員のクビを切るべきだ」と語る。

 ちなみに、年金問題を深刻化させた基礎年金番号の実施関連省令改正は96年10月、自民党と社会党(現社民党)、新党さきがけによる自社さ連立政権下で行われた。当時の厚相は現民主党代表代行の菅直人氏。

 参院選まで2カ月を切り、野党各党は鬼の首を取ったように政府与党を攻撃している。現在の政府与党に責任があることは間違いないが、大切なのは国民の不安を一刻も早く解消し、許し難いミスをした歴代社保庁長官以下、同庁職員らに責任を取らせることだ。
ZAKZAK 2007/06/04
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_06/t2007060418.html






自衛隊情報収集 防衛相『悪くない』
2007年6月7日 夕刊

 久間章生防衛相は七日午前、参院外交防衛委員会で、陸上自衛隊情報保全隊がイラクへの自衛隊派遣に反対する市民活動などの情報を収集していた問題で「たえず情報収集は行っている」と、事実関係を認めた。その上で「自衛隊が情報を収集して分析することは悪いことではない」と述べ、正当性を強調した。

 また、久間氏は保全隊がデモや抗議活動の写真を撮影していたことについて「特定の誰かをクローズアップしたのではなく、デモ、抗議行動の風景を撮ることは違法ではない」との認識を示した。

 これに対し共産党の緒方靖夫氏は「警察でも撮影が認められているのは、犯罪が行われたか、犯罪の証拠保全の必要性があるときなどだけだ」と述べ、「警察官が正当な理由なく個人の容ぼうを写真撮影することは憲法一三条に反する」とした最高裁判決に抵触する恐れがあると指摘した。

 久間氏は「マスコミだって写真をパチパチ撮っている。取材が良くて、自衛隊だと駄目だという法的根拠はない」などと反論した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2007060702022407.html




「事実上の軍隊、情報収集は当然」梅原仙台市長が信条語る
6月12日14時7分配信?河北新報
 陸上自衛隊の情報保全隊がイラク派遣に反対する市民集会などの情報を集めていた問題に関し、梅原克彦仙台市長は11日の定例記者会見で「自衛隊は事実上の軍隊。情報収集活動であり、まったく問題ない」と肯定する考えを示した。

 梅原市長は「作戦過程において、反対の立場の動向を調べるのは当然だ」と強調した。

 「法律にのっとった調査活動は受け入れられるべきだ」(塩崎恭久官房長官)などとした政府見解より、さらに一歩踏み込んで、情報保全隊の活動や対応を支持する信条を披露したとみられる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070612-00000016-khk-l04





投資ファンド規制策要求へ 『買収防衛で疲弊』懸念
2007年6月9日 夕刊

 日本経団連が、企業に増配や役員の差し替えを要求する投資ファンドについて、株主としての行動規範の整備などを求める検討を始めることが九日、分かった。米系投資ファンド「スティール・パートナーズ」が国内企業に相次いで買収や増配要求の株主提案を行うなどファンドが攻勢を強め、対応する企業が防衛策に奔走して疲弊する懸念があるためで、双方の対話が進む環境づくりが狙いだ。ただ政府内にはファンドの行動規範整備に慎重な姿勢が強く、経団連の意向が実現するかは不透明だ。

 経団連は、投資ファンドが短期的な利益を得る目的で日本企業の買収や、増配要求を強め経営を揺さぶっていることを強く警戒。「増配は正当な要求だが、企業が利益をはき出してしまい、設備投資や研究開発にまわす資金が不足して将来の経営に影響が出ることも懸念される」(幹部)としている。

 このため、ファンドに対して、株主としての一定の行動規範などを整備することが可能かどうかについて、経団連内部で検討。産業界としての意向をまとめ、与党などに必要な法改正やガイドラインの整備を求める。取りまとめの時期などは、まだ決まっていない。
 ファンドをめぐっては先月、ドイツ・ポツダムで開かれた主要国(G8)財務相会合で、開催国ドイツが行動規範の策定を主張。だが市場の自由度を重視し、金融を戦略産業としている米英両国が反対、日本も米英側に賛同したため、本格的な規制は見送られた。
 日本企業の株主総会は今月下旬にピークを迎える。
 スティールに対して防衛策発動を決めたブルドックソースなど、投資ファンドへの対応が最大の注目点になっている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2007060902022950.html






民主、無年金障害者問題で法案提出 在日外国人らも救済

 民主党は9日、国民年金の対象外か、任意加入の時期に未加入だったため、障害基礎年金をもらえない無年金障害者すべてに「障害福祉年金」を支給する法案を衆院に提出した。今国会に与党が提出を予定している案では、救済対象を元学生と専業主婦に限っているが、民主党案は在日外国人や在外邦人も救済する手厚い内容だ。
 給付額は、与党案では障害基礎年金の約6割にあたる月4万~5万円だが、民主党案は障害基礎年金と同額としている。
(06/09)
http://www.asahi.com/money/pension/news/TKY200406090286.html





2007/06/08-16:13 北朝鮮人権法改正案、了承見送り=参院選控え民主意識-自民

 自民党は8日の総務会で、北朝鮮人権法改正案の了承を見送った。同改正案は、拉致問題の進展がなければ政府は新たな北朝鮮支援を実施できないとの内容。しかし、民主党はより強い姿勢で北朝鮮に臨む案をまとめているため、執行部が参院選への影響を懸念、了承を見合わせた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007060800754

最新の画像もっと見る