韓半島にルーツを持つ生徒が8割近い市立大池中学校で、PTAや教職員が参加の「おやじバンド」で人権啓発

2007年06月14日 | news
音楽活動で人権啓発 「大池中学校PTAおやじバンド」
2007-06-13
「共生」実践 進む相互理解

 【大阪】在日同胞と大阪市立大池中学校の校長を含む教職員、PTA役員らで構成する異色のグループ「おやじバンド」が生野区で静かな人気を呼んでいる。各地での公演活動は同校生徒の元気を呼び起こし、音楽を通じた人権啓発活動として高く評価されている。

 大池中学校は韓国・朝鮮籍の生徒が約半数。韓半島にルーツを持つ生徒も加えれば、その割合は8割近い。在日同胞比率が全国でも最も高い公立中学といえる。しかし、06年までは在日のPTA会長が誕生することは一度もなかった。それは「まったくの偶然」ではなかった。

 問題が表面化したのは04年度のPTA選挙のとき。会長のなり手がなく、それならばと、高用哲さんが立候補した。ところが、現役役員はもとより歴代会長から「要職に就くのは日本人であることが当然」という意見が出た。「在日はずしはおかしい」という声の一方で高さん自身も「日本人社会との対立を避けるべきだ」というためらいから副会長に甘んじた。

 混迷のなか、同校校長と教頭、教職員らがPTAの関係修復へコーディネート役を買って出た。「子どもたちのためになにができるか」を討論し、一緒に映画「パッチギ」を見た。意見交換を重ねるなか「大人が頑張っている姿を見せよう」との意見で一致、「おやじバンド」の結成につながった。

 初舞台は06年2月、東成区民ホールでの「ワイワイ・フライデー」だった。まだ、練習が十分でないから楽器演奏がままならない。アカペラで「アリラン」を歌ったところ、喝采を浴びた。「反省会」を重ねるうち、いつしか「差別をなくすために何をするべきか」を本音で語れるようになったという。

 06年5月、在日のPTA会長が誕生した。大池中学校60年の歴史で初めてのことだった。この間レパートリーは7曲に増えた。目標は30曲だ。

(2007.6.13 民団新聞)
http://mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=2492&corner=2





奈良「正論」懇話会 渡辺利夫・拓殖大学長が講演

 奈良市内で13日、第28回奈良「正論」懇話会が開かれ、拓殖大学の渡辺利夫学長が「最近の東アジア情勢~日韓、日中関係を中心として」と題して講演した。要旨は次の通り。


 常識的には昔のことは忘れていくので、日本に対する負のイメージも徐々に薄まっていくと考えがちだが、現実は逆で、時間がたつほど強まっている。韓国や中国には、「反日」を構造化しないと生きていけない何か特殊な事情があるのではないか。

 反日感情が消えることを我々は期待しない方がいいというのが、最初に申し上げたい私の結論だ。

 まず日韓関係でみると、韓国ではアイデンティティーを「血族共同体」に求める傾向が強い。北朝鮮が核実験を強行したこの状況においても、南北間の融和的な傾向はますます深まっている。

 これは、大陸側では中国やロシア、海側では日本などの勢力に取り囲まれてきたという地政学的な宿命かもしれない。血族に対する自負は強く、それが家族や国家にまでつながっている。

 それを外部の勢力が犯そうとすると、外部勢力に対する反感がナショナリズムとして高まる。

 それはますます燃え上がっており、「反日」という背骨がないと、この国はすっくと立っていられない国なのではないかとさえ思える。

 一方、日中関係でみると、私は中国を1985年に初めて訪れた。現地で友人もたくさんでき、学生とも交流を深めて、中国に対しては心温まる感情を抱いていた。

 ところが1995年にも北京に滞在した際、中国に対する感情が大きく一変した。

 この時期に反日運動が非常に激しく盛りあがり、報道もされた。中国では愛国主義教育が唱えられたが、この場合の愛国主義とは「反日」を意味する。つまり中国は、抗日戦争に勝利したことをアイデンティティーとしている。

 どうしてこれほど反日憎悪をかき立てるのか。

 東西冷戦が終わり、旧ソ連も崩壊すると、中国政権は1990年代、どのように生き延びていくのかが大きな政治課題になった。その末に考えついたのが反日カード。当時は政権基盤も弱く、反日カードに頼らざるを得なかった事情もある。

 その後、中国は外交で反日カードを持ち出し、倫理的にも優位に立つというスタイルが定着した。反日感情が薄まるどころが日に日に強まっていることからも、これは意図的につくられたものだ。

 中国の反日運動がなぜこれほど激しいのか。それが真に問われるテーマだ。

 私の結論では、農村部から都市部にきた出稼ぎ者の不満が、もはや臨界点に達していることが挙げられる。

 中国の戸籍制度は身分制度に基づき、よほど特別な事情がない限り身分は変更できない。そのため都市部に出稼ぎにきた農民は、建設労働などをしても社会保障がなく、子供も学校教育を受けることができない。こうした不満層に反日感情が深く根付いている。

 温家宝首相が来日したが、本質的には何も変わっていない。変わったのは表情とパフォーマンスだけ。それを誤解してしっぺ返しを食うのは日本だ。それを与党の政治家が笑顔で大拍手しているという姿は、どうみても異常だ。ガス田開発や国連常任理事国の問題にしても、何ひとつ事情は変化していない。

 政治的な要素以外でも、加熱する経済のリスクや急激な少子高齢化などの問題も抱えている。

 こうした諸要素が解決されない限り、反日感情が薄らぐことはない。

(2007/06/14 03:06)
http://www.sankei.co.jp/chiho/nara/070614/nar070614002.htm





北教組、学校への「AED一方的導入反対」(北海道)

 止まった心臓に電気ショックを与えて、不整脈を正常な状態に戻す医療器具AED(自動体外式除細動器)の学校への配置について、北海道教職員組合(北教組)は12日、札幌市で始まった定期大会で「一方的な導入に反対する」との方針を表明した。AEDは公共施設などでの設置が広がり、救命活動に生かされたケースが全国で報告されている。学校への設置推進は、道教委が進めるばかりでなく、北教組が支持する民主党も4月の札幌市議選で公約に掲げていた。導入反対方針には組合員からも疑問の声が上がっている。

 北教組議案では、反対理由について<1>配備より、学校の安全体制づくりなどが主体<2>AEDは「医療行為」であり「有効性、必要性、安全性」に疑問がある??とし、「講習の強要など様々な問題が生じている」ことを理由に「一方的導入に反対していかなければならない」と記されていた。

 定期大会では、代議員から「命にかかわる問題で、(設置反対に)市民の理解は得られないのでは」との質問があった。北教組執行部は「全面的に否定はしていない。AEDは万能ではなく、一般的には成人向けで有効性に疑問がある。まれに火災を起こす」などとし、「導入については慎重な対応が必要だ」と答弁した。

 北教組の方針について、学校への設置を公約した民主党札幌の小野正美幹事長は「現場には様々な課題があり、(政党と支持団体が)すべて一緒の考えでなければならないということはない」とコメントした。

 道医療政策課によると、道内に設置されているAEDは昨年11月現在、1305か所で1581台。前年同期の321台から約5倍に増えるなど、急速に普及が進んでいる。

 道の医療政策などの検討機関である「総合保健医療協議会救急医療専門部会」も昨年6月、道に対して自治体庁舎などのほか、学校など不特定多数が利用する施設での設置が望ましいと提言。道もAEDの普及が望ましいとの立場で、道内の保健所などを通じて啓発活動を展開している。

     ◇

 北教組定期大会では、各支部の代議員から、現在参議院で審議中の教育改革関連3法案などに対する民主党や日本教職員組合(日教組)の反対姿勢が弱いとの不満が相次いだ。また、いじめ実態調査や全国学力テストへの「非協力運動」で批判を浴びたことについては、「北教組バッシングだ」といった発言の一方で、「取り組めば取り組むほど逆風が強くなる。世論の状況をみた戦術の配置をすべきでは」との意見も出された。
(2007年6月13日??読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/20070613wm01.htm







運転免許取得なら仙台 中国語で学科OK 受験ツアー人気

 全国でいち早く中国語による学科試験を導入した宮城県運転免許センター(仙台市泉区)で、中国人の免許取得が急増している。毎年50人前後だった普通自動車免許試験の合格者が、昨年は一気に倍増し100人を超えた。東京都内の届け出教習所が全国から中国人を集め、同免許センターへの「受験ツアー」を始めたためだ。教習所の仙台分校も開設され、仙台での中国人の免許取得が加速しそうだ。

 宮城県は1999年、全国で初めて普通自動車、バイク、自動二輪の各学科試験で中国語を導入した。中国語の試験は宮城のほか、熊本、徳島両県で実施しているだけだ。

 県内の免許センターなどで、中国語による普通自動車免許試験の受験者数、合格者数の推移はグラフの通り。昨年は101人に跳ね上がり、うち40人は首都圏からの受験ツアー参加者だった。

 同免許センターへの受験ツアーを行っているのは「永安日本自動車学校」(東京都豊島区)。就労ビザや留学などで来日した中国人に対し、教習所の指導内容を中国語で教える予備校的な存在として2004年に開校した。

 東京都内の本校で学科教習を行い、さいたま市の別の自動車学校のコースを借りて技能教習を実施。中国語で教える教習所は珍しく、全国各地から中国人約400人が通っている。

 受験ツアーは昨年3月にスタートした。参加者は週1回、免許センター近くの宿舎に合宿しながら、仮免許、本免許の学科、技能の各試験に挑む。宿舎では引率のスタッフが直前講習を行うほか、技能試験に付き添い、試験結果や検定員の指導内容を通訳する。

 前田良平取締役(48)が「中国語での受験で教習生の負担は大幅に軽減される。首都圏に近いことも仙台での受験の魅力だ」と説明する。

 同校は5月7日、宮城県公安委員会の学科指導許可を受け、泉区内に仙台分校を開設した。前田取締役は「中国語での教習所がなく、免許取得に苦労している宮城県の中国人をサポートしたい」と話した。

[届け出教習所] 公安委員会が道交法に基づき指定した「指定教習所」とは異なり、仮免許、本免許ともに運転免許試験場で学科、技能両方を受験しなければならない。指定教習所より自由なカリキュラム編成が可能で、運転経験があれば、より短期間で免許を取得できる場合もある。
2007年06月09日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2007/06/20070610t13012.htm


7 :名無しさん@八周年:2007/06/10(日) 15:41:11 ID:IVinzgQz0
  浅野が知事の時だな
21 :名無しさん@七周年:2007/06/10(日) 15:45:20 ID:BEQHlsJX0
  やっぱり浅野のお膝元はこうなる運命なのか・・・・・・
29 :名無しさん@八周年:2007/06/10(日) 15:47:57 ID:Io3t54gB0
  浅野史郎
  1997年 - 宮城県知事再選(第2期)。
  2001年 - 宮城県知事再選(第3期)。





毒おむすび渡された 県議会議長、沖縄戦体験を語る
写真「歴史は正しく語り継がなければ」と強調する仲里利信県議会議長=南風原町の自宅

 「弟が目の前で死んでも悲しんでいる余裕さえもなかった。父も沖縄戦で死んだ。歴史を風化させないために正しく語り継いでいかなければならない」。22日の県議会意見書可決を前に、仲里利信議長(70)が自身の沖縄戦体験について告白し、全会一致への決意を新たにした。仲里議長は19日の県議会文教厚生委員会でも戦争の現実を訴えた。 1945年2月の夜、通信隊に入っていた父・利吉さんが、ふいに現れた。「今度の戦は負け戦に間違いない。ここにいると駄目だから、すぐにやんばるに行け」。父が手配していた友軍(日本軍)の車で家族9人、宜野座へ避難した。
 海からの艦砲射撃が激しくなった4、5月ごろ、ガマに移動した。200人ほどが入れる大きなガマだった。そこは「スパイがはびこってる」「あの人もそう」とたくさんのうわさが飛び交い、険悪な空気が流れていた。
 その中で3歳の妹と同じ年のいとこが泣きじゃくった。しばらくして3人の日本兵が来て、「この子たちが泣いてると、敵に発見されてみんな殺される。これを食べさせろ」と毒の入った白いおむすびを持ってきた。家族みんなで話し合ったが、すぐに「家族は一緒だ。食べさせられんさー」と全員でガマを出た。
 その後はガマや墓に隠れたが、家族壕を掘るために、弟を背負い、母と3人で山に向かった。ようやく壕が完成し、残りの家族を迎えに行こうと山を下りていくと、2、300メートル先に14、5人の米兵の姿を見つけ、一目散に山へ戻った。
 後は別れた家族を捜して、何も口にせずに何日も山を歩いた。母の母乳も出なくなり、弟が弱っていった。恩納村、宜野座と回り、金武で残りの家族と再会できたが、そこにも食糧はなく、弟は満1歳で衰弱死した。「(1年前の)生まれた日の生まれた時間だ」と母が静かに言った。死体は金武に埋めて、戦後掘りに行ったが、捜しきれなかった。
 自身の体験と重ね合わせながら仲里議長は「歴史を風化させたら、また戦争への道を歩んでしまう」と危機感を募らせる。「平和を願う気持ちは全県民一緒だよ。この問題は保守革新も関係ない。県議会も全会一致でまとめることに重みがある」。仲里議長の静かな口調に強い決意がにじんだ。(深沢友紀)
(6/21 9:50)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24792-storytopic-1.html




観光地・佐賀:韓国に売り込む 旅行会社視察団が来県、知名度アップに期待 /佐賀

 「観光地・佐賀」を宣伝しようと、県観光連盟(会長、愛野克明・祐徳自動車会長)が招いた韓国の大手旅行会社8社の視察団が20日、来県した。佐賀は九州の中でも観光地としての知名度が低いため、同連盟では「新しい観光地になれれば」と期待を込める。
 同連盟によると、05年に九州に宿泊した韓国からの観光客はのべ約100万人だが、そのうち佐賀は約1万6000人で、九州一少ない。同連盟の古賀弘泰専務理事は「佐賀は福岡からの通り道になっているだけ」と言う。
 一行が最初に訪れた国営吉野ケ里歴史公園(神埼市、吉野ケ里町)も、昨年度の韓国からの団体旅行者は約2800人。高橋克茂・同園事務所長は歓迎式典で「日本に渡ってきた皆さんの先祖が作ったクニを再現した公園」と親近感を訴えた。
 見学した「ハナツアー」の趙蘭林(ジョナンイム)・日本事業部次長(33)は「韓国にはこのように広い遺跡はない。韓国と日本の歴史を知ることができる遺跡でもあり興味深い」と話した。また「九州は温泉地というイメージが韓国では強い」と話し、温泉付き宿泊施設がポイントであることを強調した。
 一行は22日まで滞在し、各地の観光名所やホテル、旅館を視察する。【遠藤雅彦】
毎日新聞 2007年6月21日
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/saga/news/20070621ddlk41040664000c.html






台湾で、女の子たちが「萌え~!」と叫んでる!?
[ 2007年06月26日 10時00分 ]
写真は昨年台湾のマクドナルドの“ハッピーセット”でもらえたキティちゃんグッズ。これも、「萌~!」でしょうか?
先日、ある雑誌の取材で、台湾から日本に観光に来ている女の子たちと話す機会を得た。

台湾での日本の人気について聞いているうち、女の子たちが何か見るたび、口々に言う「モン~!」だか「ミン~!」だかが、どうにも気になってしまった。
聞いてみると、コレ、「萌え~!」のことらしい。なんと、いま、台湾では女の子などが会話中で頻繁に使っているのだという。

「台湾には、もともと『萌』という漢字がないので、くさかんむりの下の『明』という音で読んでいるんですよ」
と言うのは、台湾から日本に来て10年以上になる男性。
女の子たちに実際に、「萌(ミン?)~!」をどんなときに使うのか聞いてみると、「幻想的で美しいものについて言う」ということだったので、日本で使われるソレとは、ニュアンスが違うというか、もっと幅広い意味で使われているようでもあった。

ちなみに、台湾や中国にはなく、日本でつくられた漢字もけっこうあるが、その中で「素晴らしい」と言われたのが、「躾」という言葉だった。
「『身を美しくする』で、『躾』って、日本らしい素晴らしい漢字ですよね」
自分が考えたわけでもないのに、ちょっぴり嬉しい……。でも、いま、そんな日本で、学校に「躾」を任せ、理不尽な要求をする親が増えていることが問題になっているなんて、とても言えませんでした。

ところで、台湾ではいま、男女問わず、学生を中心に、日本の「平仮名」も流行っているのだという。
「特に、『は』『の』とかの文字が、丸くてカワイイということで、手紙の中に部分的に使うことが多いんです。たとえば、『我的書』(私の本)と書くとき、わざと平仮名を使って『我の書』と書いたりするんですよ。さらに、『~は』『~の』というのは、文字だけでなく、音も若い人の間で人気となっていて、会話中にもそのまま(助詞として)『~は』『~の』と使ったりしています」(前述の在日台湾人男性)
『の』とか『は』とかは、あの丸みが小さな子どもには書きにくいらしく、小学校に入ったばかりの我が子などは、そこだけバカでかい文字になっちゃったりしているのだが、漢字圏の国から見たら「カワイイ」のですね。
これもちょっと嬉しい……。

平仮名の美しさや、日本で生まれた漢字の美しさについて、改めて見直す良い機会になりました。
(田幸和歌子)
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091182695694.html

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