米特使“原爆で命を救った”

2007年07月04日 | news

アメリカ政府で核不拡散を担当する特使を務めるジョゼフ前国務次官は、広島と長崎への原爆投下について「戦争を終結させ、結果的に多くの日本人の命を救った」と発言し、原爆投下に対する日本とアメリカの認識の違いをあらためて際立たせました。

これは、前の国務次官で現在は核不拡散の特使を務めるジョゼフ氏が、3日、アメリカ国務省で行った記者会見で述べたものです。この中で、ジョゼフ特使は、アメリカによる広島と長崎への原爆投下について「さらに何百万人もの日本人の命を奪うところだった戦争を終結させることができたというのは、ほとんどの歴史家が同意するところだ」と述べて、原爆投下によって結果的に多くの日本人の命を救ったという認識を示しました。折しも日本では、久間防衛大臣が「悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理の中で、しょうがないと思っている」と発言したことの責任を取りたいとして辞任しており、原爆投下について日本とアメリカの認識の違いをあらためて際立たせる形となっています。ジョゼフ前国務次官の発言について、長崎の被爆者で原水爆禁止日本国民会議の川野浩一副議長は「無理やり理由を付けて原爆投下を正当化しようとするもので、許せない発言だ。こうして原爆投下を正当化するかぎり、ほかの国には核兵器を持たせない一方で、アメリカは『正義の核兵器だ』として持ち続けることになり、わたしたちが求めている核兵器の廃絶は実現できない」と話しています。

7月4日 11時40分
http://www.nhk.or.jp/news/2007/07/04/d20070704000069.html




首相、米大使の原爆投下容認発言に反論

 安倍晋三首相は4日夜、首相官邸で記者団に、米国のジョゼフ核不拡散担当大使が広島、長崎への原爆投下の正当性に言及したことについて「たくさんの被爆者が戦後、後遺症に苦しんできた。原爆投下は許すわけにはいかない」と反論した。 ショゼフ氏は3日、国務省での記者会見で、原爆投下について「何百万もの日本人の命がさらに犠牲になるかもしれなかった戦争を終わらせた」と発言していた。
(2007/07/04 21:00)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070704/shs070704004.htm


米特使発言の真意確認へ(07/04 19:27:58)

 塩崎恭久官房長官は4日午後の記者会見で、米国のロバート・ジョゼフ核不拡散問題担当特使が先の大戦での広島、長崎への原爆投下を正当化する米国側の認識を示したことに関し、政府として真意を確認する意向を示した。 また、首相官邸を訪れた広島市の秋葉忠利市長は記者団に「米国も含め歴史学者の定説と大きく違っている。米政府首脳も広島、長崎(の悲惨さ)を深く理解すべきだ」と不快感を示した。 塩崎氏は会見で「それぞれ、いろいろな考え方がある。どういう発言をしたか外務省を通じて情報を取ってみたい」と表明。米政府への抗議の可能性に関しては「(発言の)中身を見ないと分からない。個人的立場で話したのか分からないうちに、可能性があるとか、ないとかも言えない」と答えるにとどめた。
http://www.minyu-net.com/newspack/2007070401000684.html


2007/07/04-20:50 「原爆は人類への挑戦」=米の投下判断を批判-小池防衛相

 小池百合子防衛相は4日夜、就任後初めて防衛省内で記者会見し、広島、長崎への原爆投下について「現実問題として多くの方が亡くなられ、今も後遺症に苦しんでいる方が大勢いる事実を直視すべきだ」とした上で、「歴史的評価は人類にとって挑戦、人道的には認められないことは明らかだ」と述べ、米国の投下判断を厳しく批判した。 一方で小池氏は、日本が米国の「核の傘」に守られていることに関しては「日米安保条約の下、米国との関係を引き続き堅持し、現実的な抑止力は確保すべきだ」と語った。 久間章生前防衛相の「しょうがない」発言については「(日本が)核廃絶の旗振りをし、核不拡散の動きでリーダー役を務める上で『しょうがない』と言ったら、そこで終わってしまう」として、不適切との認識を示した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2007070400991



広島市長 米特使発言に不快感

・広島市の秋葉市長は、記者団に対し、アメリカ政府で核不拡散を担当する特使のジョゼフ前国務次官が原爆投下について「戦争を終結させ、結果的に多くの日本人の命を救った」と発言したことについて「アメリカの政府首脳も広島や長崎のことをもっと深く理解すべきだ」と述べ、強い不快感を示しました。

 ジョゼフ前国務次官は、記者会見で、広島と長崎への原爆投下について「さらに何百万人もの日本人の命を奪うところだった戦争を終結させることができたというのは、ほとんどの歴史家が同意するところだ」と述べました。これについて、広島市の秋葉市長は、4日、総理大臣官邸を訪れた際、記者団に対し「アメリカ政府はこうした発言を続けているが、アメリカの歴史学者の定説とは大きく違う。アメリカの政府首脳も広島や長崎のことをもっと深く理解すべきだ。ブッシュ大統領にはできるだけ早い時期に広島に来てもらうことが非常に重要だ」と述べ、強い不快感を示しました。

 これに先だって、秋葉市長は、辞任した久間防衛大臣の発言をめぐって「閣僚全員が広島や長崎を訪れ、被爆の実態などを学習するよう求める」などとする安倍総理大臣にあてた要請文を政府側に提出しました。
 http://www.nhk.or.jp/news/2007/07/04/k20070704000149.html

news archives 原爆投下は「日本の植民地支配から解放」とのアジアの声が根強い…資料館展示見直しに中韓の委員を起用へ




ドレスデン爆撃「米が謝罪」小沢氏発言は誤り? 与党ら反発

 1日に行われた安倍晋三首相と小沢一郎民主党との党首討論会で、小沢氏が「米国は(第2次世界大戦の)ドレスデン無差別爆撃について謝罪している」と指摘し、原爆投下について米国に謝罪を求めない日本政府の姿勢を追及したが、この問題で政府・与党側が事実関係が間違っているとして強く反発している。

 「(小沢発言は)事実に反する。ドイツは米英に謝罪を求めていないし、米英はドイツに謝罪していない。小沢氏は歴史をねじ曲げ、政局に利用しようとした」

 自民党の中川秀直幹事長は5日、記者団にこう語り、小沢氏に党首討論などの公式の場での釈明や謝罪を求めた。塩崎恭久官房長官も会見で「事実でないことを言ったのは政治的発言だから、政治的責任が問われる」と指摘した。

 1日の党首討論会で、小沢氏は米国はドイツに謝罪していると2度にわたって強調し、安倍首相に対し「謝罪を求めるという考えで、米国といろんな機会に話をすべきだ」と迫った。ただ、米国がいつどのように謝罪したかに関しては言及しなかった。

 ドレスデン爆撃では市民ら約3万5000人が犠牲になったが、外務省は「米国はドイツに公式謝罪などしていない」(中・東欧課)としており、小沢氏の話に根拠はないとの認識だ。

 また、現代史家の秦郁彦氏は「1945年2月に英米軍が行ったドレスデン爆撃では、罪の重さは英国8対米国2ぐらいで英国が主役。米国では責任論議はなかったはずで、謝罪までするはずがない」と解説する。

 これに対し、民主党は「戦後50年、55年、60年と、米英軍も参加して、和解の意味を込めて犠牲者追悼の式典が開かれた。正式に政府が謝罪したということではないが、互いに忖度(そんたく)した和解をしたということだ」(党幹部)と説明し、根拠がないとの批判に反論している。
http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070707/skk070707000.htm





「原爆投下が米兵百万人救う」アメリカの大ウソ

【正論】評論家・鳥居民 継続すべき原爆投下の裏面史検証 【産経新聞 2005/08/05】
 ■宿題として残る戦後史への影響

 ≪「米兵百万人救う」のウソ≫

 広島、長崎に原爆が投下されてから60年がたつ。

 アメリカの政治家は、日本に原爆を落としたのは百万人のアメリカ兵の命を救うためだったと今日なおも語り、アメリカの学校ではそのように教えてきている。

 原爆投下の本当の理由を承知しているアメリカ人は当然ながらいる。トルーマン大統領が原爆を日本の都市に是が非でも投下したかったのは、4年の歳月と20億ドルの巨費をかけた究極兵器の力を議会と国民に教え、戦後の核計画への支持を獲得し、スターリンに対しては、その絶対的な威力を誇示し、脅しをかけるためだった。

 だが、その二つの目的はニューメキシコの砂漠の公開実験で十分に達することができたのであり、広島、長崎の市民とその二世までを殺す必要などあるはずもなかった。

 多くのアメリカ人が「百万人」のウソを言い続けるのは、人間誰もが持つ道徳色の濃い自己愛に他ならない。

 私が残念に思っているのは、日本での論議だ。

 「百万人」の話をする日本人は、さすがに今はいない。だが、鈴木貫太郎内閣がポツダム宣言を「黙殺」したがために、原爆が投下されたのだと語る歴史研究者は今もなお存在する。

 1945年の五月末から六月、七月に戻ってみよう。

 陸軍長官スティムソンと国務次官グルーは、日本に降伏を勧告するときだと大統領トルーマンに何回も説き、日本側が受け入れることができるように、天皇の地位保全を約束すべきだと主張した。それでも日本が降伏を拒否するのであれば、そのときこそ原爆の投下を警告すべきだと説いたのである。

 海軍長官フォレスタル、陸軍参謀総長マーシャル、海軍軍令部総長キングもまた、警告なしに日本の都市に原爆を投下することには反対の立場であった。


 ≪日本を翻弄した降伏勧告≫

 ところが、トルーマンと彼のただ一人の協力者である国務長官バーンズは、日本に降伏を勧告するスティムソンの草案から天皇の地位保全を認める条項を削ってしまう。

 また、スティムソンの草案では共同提案国にソ連の名前が入っていたが、トルーマンとバーンズは、日本がソ連に和平の仲介を依頼していることを日本外務省とモスクワの日本大使館との間の往復電報から知り、ソ連の名前を削り、重慶の国民党政府に差し替えたのである。日本にソ連への期待を持ち続けさせ、降伏勧告を無視させようとしてのことだった。

 さらに、その降伏勧告をホワイトハウス、国務省からではなく、宣伝機関の戦時情報局から発表させた。日本側をして宣伝文書と思わせるようにしたのである。

 さて、トルーマンとバーンズは、広島と長崎での“原爆実験”に成功した後、直ちにスティムソンとグルーの計画に立ち戻り、天皇の地位保全を日本側に告げることにした。バーンズが手の込んだごまかしをしたことから、日本の歴史研究者はそれが事実上のスティムソン草案の復活であることに気づくことなく、その解明をも忘れている。

 そのすべてを明らかにしようとするなら、ルーズベルト大統領時代の1944年に立ち戻らなければならない。

 ルーズベルトは日本との戦争が長引けば、中国の内戦が不可避になることを懸念した。天皇の地位の保証を主張するグルーを起用したのも、ヨーロッパの戦いが終わったすぐ後に、日本を降伏させようと考えてのことだった。

 だが、ルーズベルトは1945年四月に急死する。後継者トルーマンはバーンズの協力を得て、先に記したとおり、原爆を日本の都市に投下してみせ、ソ連を脅すことが何よりも先だと考えた。


 ≪潰えたトルーマンの“夢”≫

 ところで、広島と長崎を二発の原爆で壊滅させても、中国に駐留する百万の日本軍を降伏させる上で何の威嚇にもならないことをトルーマンとバーンズは初めから承知していた。だからこそ、スティムソン草案に戻り、天皇の地位の保証をしたのである。

 しかしそうであるならば、ソ連の行動を原爆によって抑止することなど、とてもできないとトルーマンは考えなければいけないはずであった。果たして、その後のベルリン封鎖、中国内戦、朝鮮戦争は原爆の威嚇によっては阻止できず、彼の夢ははかなく崩れ落ちた。

 最初に述べたとおり、原爆が二つの都市に投下されて60年がたつ。だがトルーマンが試みたこと、そしてその失敗は、この先なお検証を続けなければならない宿題なのである。(とりい たみ)


【主張】原爆投下60年 占領史観から脱却せよ「原爆を落としたのは日本人ではない。落とした者の手はまだ清められていない」【産経新聞 2005/08/07】

 戦後60年目の広島原爆の日を迎えた。小泉純一郎首相は平和記念式典で「原子爆弾の犠牲者の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます」とあいさつし、「国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶に全力で取り組んでいく」と誓った。

 広島の原爆による犠牲者は今年、24万人を超えた。長崎の原爆による死者を合わせると三十万人を超す。二度とこうした残虐な兵器を使わせてはならないとの思いを新たにしたい。

 式典で秋葉忠利・広島市長は、平和宣言の最後を「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という原爆慰霊碑の碑文の言葉で締めくくった。河野洋平・衆院議長もあいさつで、この言葉に言及した。

 しかし、東京裁判で判事を務めたインドのパール博士は生前、この碑文を見て、「原爆を落としたのは日本人ではない。落とした者の手はまだ清められていない」と批判した。原爆投下で謝るべき国は日本ではないという意味だ。秋葉氏や河野氏がいまなお、謝罪の呪縛(じゅばく)にとらわれているとすれば、残念である。

 原爆は通常の戦争犯罪と異なり、一瞬にして多くの非戦闘員の命を奪った非人道的な行為である。だが、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は原爆投下に対する日本国民の批判を極力封じ込めようとした。

 昭和20年十二月八日から、GHQが新聞各紙に連載させた「太平洋戦争史」では、広島の原爆投下について、こう書かせた。「TNT2万トン破壊力を有するこの一弾は、広島の兵器廠都市の六十パーセントを一掃してしまった」。NHK番組「真相はか(こ)うだ」でも、長崎の原爆について「長崎軍港の軍事施設と三菱ドックに投下されました」と言わせ、原爆投下の目標が一般市民ではなく、軍事施設であったかのように印象づけた。

 このような原爆に対する屈折した見方は、日本が主権を回復した後も根強く残り、前長崎市長の「原爆容認」発言や、原爆投下をやむなしとする教科書記述となって現れている。

 九日には、長崎でも戦後60年目の原爆の日を迎える。原爆投下についての歴史認識も含め、「すべて日本が悪かった」式の占領史観から脱却すべきである。

http://kaz19100.hp.infoseek.co.jp/siryo/genbak.htm


久間氏どころではない本島・元長崎市長の原爆発言:イザ!
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/214815


再考(予告)‐原爆投下止むを得ず論
http://tech.heteml.jp/2007/07/post_1008.html
原爆100万人米兵救済神話の起源
http://www.yorozubp.com/0707/070708.htm





日本の文化人宣言

AFPよりフランスの全メディア宛に発信された日本の文化人宣言

(原文仏文よりの和訳)

 我々、日本の歴史家ならびに文化人は、2005年12月12日のフランス人歴史家の《歴史に自由を》宣言、並びに2006年1月25日のベルギー人歴史家の《記憶の洪水??国家が歴史に容喙するとき》宣言を承けて、歴史に関する全ての論文の校合および証拠資料の研究への自由を要請する。

 我々は、今年逝去されたフランスの碩学、ルネ・レモン氏の高唱のもと 700人知名士の賛同署名を得た《歴史は宗教にあらず。歴史家は如何なる ドグマをも容れず、如何なる禁令、タブーにも従わず。歴史家は邪魔者たることあるべし》との表明に全面賛同する。

 我々は、日本軍の南京入城70周年にあたる本年、西暦2007年に、本宣言を発する。その理由は、いわゆる南京事件なるものが、ことに欧米のメディアにおいて日本の現代史を扱う上で最も非客観的なる典型を示しているからにほかならない。

 勝者によって書かれた歴史は必ずしも真実の歴史ではない。我々が要求するものは、この歴史的真実追求の権利である。すなわち、全関係論文を検討し証拠資料を比較する自由への権利である。政治・イデオロギー的歴史観にもとづいて我が民族を恒常的に貶め、悪魔化する行為に対して、断固、我々はこれを拒否する。

 真実追究を欲するあらゆる人士とともに速やかに科学的比較研究を共にすることを、我々は切望してやまない。


パリ、2007年6月12日
        

日本の文化人宣言署名賛同者 (アルファベット順)

青木英実(中村学園大学教授)/新井弘一(元駐東独大使)/荒木和博(拓殖大学教授・特定失踪者問題調査会代表)/遠藤浩一(評論家・拓殖大学教授)/藤井厳喜(拓殖大学客員教授)/藤岡信勝(拓殖大学教授・新しい歴史教科書をつくる会会長)/福田逸(現代演劇協会理事長・明治大学教授)/萩野貞樹(国語学者)/花岡信昭(ジャーナリスト)/長谷川三千子(埼玉大学教授)/東中野修道(亜細亜大学教授・日本「南京」学会会長)/平松茂雄(元防衛庁防衛研究所研究室長)/細江英公(写真家)/井尻千男(拓殖大学日本文化研究所所長)/入江隆則(明治大学名誉教授)/神谷不二(慶應義塾大学名誉教授)/神谷満雄(鈴木正三研究会会長)/加瀬英明(外交評論家)/片岡鉄哉(元スタンフォード大学フーバー研究所研究員)/勝岡寛次(明星大学戦後教育史研究センター)/勝田吉太郎(京都大学名誉教授・鈴鹿国際大学名誉学長)/慶野義雄(平成国際大学教授・日本教師会会長)/黄文雄(作家)/小堀桂一郎(東京大学名誉教授)/久保田信之(アジア太平洋交流学会代表・修学院長)/松本徹(作家・文芸評論家)/南丘喜八郎(『月刊日本』編集主幹)/宮崎正弘(評論家)/水島総(映画監督・日本文化チャンネル桜代表)/百地章(日本大学教授)/村松英子(女優・文筆家)/中村勝範(慶應義塾大学名誉教授)/中西輝政(京都大学教授)/奈須田敬(出版社主)/西村幸祐(評論家)/西尾幹二(評論家)/西岡力(東京基督教大学教授)/丹羽春喜(経済学者・ロシア東欧学会名誉会員・元日本学術会議第16期会員)/呉善花(拓殖大学教授)/小田村四郎(元拓殖大学総長)/大原康男(國學院大學教授)/岡本幸治(大阪国際大学名誉教授)/岡崎久彦(元駐タイ大使・岡崎研究所所長)/大森義夫(元内閣調査室長)/太田正利(元駐南アフリカ大使)/小山内高行(外交評論家・慶應義塾大学大学院講師)/櫻井よしこ(ジャーナリスト)/澤英武(外交評論家)/島田洋一(福井県立大学教授)/石平(評論家)/副島廣之(明治神宮常任顧問)/高橋史朗(明星大学教授)/高池勝彦(弁護士)/高森明勅(歴史学者・日本文化総合研究所代表)/竹本忠雄(元コレージュ・ド・フランス客員教授・筑波大学名誉教授)/田久保忠衛(杏林大学客員教授)/田中英道(東北大学名誉教授)/塚本三郎(元衆議院議員)/梅澤昇平(尚美学園大学教授)/渡邉稔(国際問題評論家)/渡部昇一(上智大学名誉教授)/渡辺利夫(拓殖大学学長)/屋山太郎(政治評論家)/山川京子(歌人・桃の会主宰)/山本卓眞(富士通名誉会長)/吉原恒雄(拓殖大学教授)/吉田好克(宮崎大学准教授)



慰安婦決議

 このニュースを聞いて、「もう絶対に引き下がってはいけない」と思った。

 1980年代、韓国で教科書騒ぎが起きたとき、私たち朝鮮屋の多くは「韓国も今急速に高度成長をしているし、アジア大会やオリンピックも開くのだから、余裕が出来れば反日も収まるだろう」と思った。しかし、韓国の反日は(本当に運動として動いている人間は僅かなのだが)ますます先鋭化した。

 日中国交正常化の頃、中国の人一般の対日感情は悪くなかった。もちろん対ソ防衛を意識した中国共産党の意向もあったろうが、当時は日支事変の経験者がまだ多かった時代である。もし日本が本当にひどいことをしたなら、当時の方が反日感情が強くてしかるべきだろう。しかし、それよりも、特に江沢民が国家主席・党総書記になってからの教育宣伝の影響で反日感情は増幅されている。

 今回の決議は、確かに政府の言うように単なる決議であり、拘束力がある訳ではない。しかし、放置しておけばそれを利用しようとする輩が世界中から出てくることを覚悟しなければならない。北朝鮮などはおそらく、これをもって「拉致などよりはるかに大きな問題だ」と、世界中にアピールしようとするだろう。米国政府も、対北宥和政策を続けようとするなら、日本が拉致問題でがんばっていることが邪魔になるはずだから(すでにそうなっているが)、この問題を持ち出してブレーキをかけようとするだろう。少しでも日本側が事実関係を明らかにしようとすれば「それでは米国民の世論の支持が得られない」と。

 しかし、ここで頭を低くして風が収まるのを待っていれば、そのツケは次の世代に回っていくのである。
 そして私たちの先輩は、全く覚えのない大虐殺だ、性奴隷だと、悪人にされ、逆に原爆や無差別爆撃で死んでいった人たちはまったく顧みることもされなくなるだろう。いや、やがて「日本はあんなにひどいことをしたのだから原爆を落とされたり、無差別爆撃されて当然だ」といわれるに違いない(今でも中国などではそう言っているようだが)。

 この問題は先人と、次の世代の名誉をかけた戦いである。今生きている私たちの世代はそのつなぎの役割をしているに過ぎない。自分たちが大過なく過ごすために、今声を挙げることのできない人々のために、絶対に後退してはならない。

荒木和博BLOG: 慰安婦決議
http://araki.way-nifty.com/araki/2007/06/post_bc69.html

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