goo blog サービス終了のお知らせ 

高橋よしあき 「日々を綴る。」

高橋よしあき 2005〜2012 ブログ履歴 (以降は更新していません) 

2年ぶり札幌ライブ記。

2009-06-12 22:21:00 | 「歌うたい」の私
2009年6月5日 Live at 札幌161倉庫
「正面の闇将軍」
競演/御曼けゑ志、ヌルマユ永井、梅毒世界汚染(アコver)



1.カワサキ
2.三月の朝
3.JUSTICE
4.ウチナー2006
5.がんばれニッポン
6.雨あがりの夜空に
7.神様になりたい



「雨あがり…」はもちろんキヨシローへの鎮魂

東京でのブッキングライブを止めて以来2年半。
基本「声をかけてもらう」ことがない限り、
自ら働きかけてステージに立つことはなかった。
唯一例外は、この札幌の地。
もし去年も千歳マラソンに申し込んでいたら、
何のためらいもなく「ここ」で歌っていたよね。

人間関係のしがらみがない。
カイシャイン時間から解放された旅の地。
42.195キロランに向け研ぎ澄まされた意識。
そして、ノルマや集客の心配が要らない(笑)
ま、こんなところだろうか?
キモチよく歌える理由は。

正直に書いておこう。
この1年余り、ほとんどギターにさわってない。
発声練習はランニングとセットで続けてたから、声が出なくなることはない。
腹筋は以前よりずっと鍛えられてるし(^^;
「歌う回路」は少し鈍っちゃってたけど…

それでも人前に立つと蘇ってくるんだよね。
「歌うたい」としての感性と表現衝動が。
拙い部分も多々あったけど、
ちゃんと地に足の着いた「うた」が歌えた。
あぁ、良かったっ(ホッ)
これ、KCさんの場づくりの計らいもあってのこと。
ありがとうございました。また来年!


ライブ後は長津宏文さんの店LOGに挨拶
(日程合えばコチラでも歌いたかった)


ホッカイドウ3日目。

2009-06-06 23:40:00 | 「歌うたい」の私

サッポロ…じゃなくキリンビール園でランチ

ラム肉しゃぶしゃぶバイキング3盛を食した

小樽『石狩挽歌』ゆかりの地を訪ねました

なかにし礼の詞に10代から惹かれてました

「あれからニシンは何処へ行ったやら♪」

オタモイ岬を巡る船の時間に間に合わず

鰊御殿(↑読める?)にも入れず

札幌に戻りラーメン共和国でつけ麺ディナー


『石狩挽歌』

海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロロー
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で にしん曇りの空を見る

燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 にしんの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
今じゃさびれてオンボロロ オンボロロー
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る

なかにし礼 作詞
浜圭介 作曲
北原ミレイ 歌





この歌ゆかりの地を訪ねる特集記事が、
ちょうど一週間前の朝日新聞に載っていた。
小樽… あ、意外と札幌に近いじゃん!
マラソン前日の土曜なら足を延ばす時間がある。
ってことで行ってきました。

何年前になるかなぁ、
なかにし礼の自伝をテレビで観たのは。
豊川悦司→なかにし礼、ビートたけし→その兄、
を演じる強烈なドラマでね。
難解に思える歌詞の背景がじっくり描かれてた。

とはいえ、解らない部分が多過ぎたのね。
その時代背景とか北海道の地域性とか、
自分には実感がともなわなかったから。
さらに「つい口ずさんじゃう」旋律の魅力もあり、
ずっと心にひっかかってた。
それが今回、ゆかりの地をカラダで味わうことで、
少しだけスッキリしました。

今度、折を見て弾き語ってみよう。
自らの声で響かせることで、
「うた」の言霊は生きるエネルギーになっていく。
単なる懐メロで終わらせちゃもったいないよ。
ね?


実況、清志郎青山R&Rショー。

2009-05-09 18:55:00 | 「歌うたい」の私
乃木坂で並び始めてから5時間。
やっと「チケット」が配られました。
あと30分ほどで入口に着くらしい。
さすがオレたちのキヨシロー、すげぇ人気だな。
サイコーのソウルミュージック、聴かせてくれ。
おぉ もうちょっとの辛抱だぜ、ベイベー!


イカれた当日券だぜ、イエェ

イカした看板だぜ、イエェ

ピンクのスーツが似合うぜ、イエェ

え?
これで終わりなの(・・;)
そりゃないぜ、ベイベー!
もっとアンタの歌が聴きたいよ。
もっともっとアンタと一緒に歌いたいよ。

止めないでくれよぉ~
オレたちの前から消えないでくれよぉ~


きっと何処かに隠れてるんだろ?
悪ふざけが好きだなぁ、相変らず


わかった。また「復活祭」企ててるんだなぁ




http://www.kiyoshiro.co.jp/

サンキュー、キヨシロー!

2009-05-04 21:07:00 | 「歌うたい」の私
アンタのイカれたラブソングに出会わなかったら、
今のオイラはいないぜ、ベイベー♪
真っ赤なジャケットにド派手なメイク。
「愛し合ってるかーい?」のシャウトに、
みんなしてヤラレちまったのサ、ベイベー♪


生キヨシロー初体験は1979年9月9日の野音
(この出演バンドのスゴさ、わかる?)


あれから、もう30年。
しぶとく生き抜いてきたよね?
何たって「あのRC」の忌野清志郎が、
ここまで広く愛される存在になってるなんて!
そして、58才で死んじゃうなんて…
あの頃は夢にも思わなかったよぉ。

オイラもオイラなりに歌い続けてきたけど、
「愛」が足らなかったなって、つくづく思うよ。
「愛し合ってるかーい?」のホントの意味を、
アンタの歌からつかみ取れてなかったんだな。

こちとら「会社員」の顔で毎日を過ごすことに、
ずいぶん慣れ切っちまったけどよぉー
しけたボスの顔色うかがう毎日に、
いつもオサラバしたいと思ってるのが本音さ。
そんなことできねぇくせにな。
へ。

ちょっとだけトリップして、あの頃に戻るさ。
アンタが歌ってくれた、たくさんの愛に感謝。
サンキュー、キヨシロー!
サンキュー、ベイベー!
今夜は『シングルマン』を聴いて眠ろう。

『ヒッピーに捧ぐ』を、キヨシローに捧ぐ。


1980~83年頃が最もRCのライブに行ったなぁ




http://www.kiyoshiro.co.jp/

ラウドネス。

2008-12-04 22:44:10 | 「歌うたい」の私
よく聴いたよ、大学生の頃。
自分が演ってたのはパンク系バンドだったけど、
音楽サークル仲間の大半がへヴィメタ派。
だから嫌でも耳に入ってくるし、覚えちゃう。
ラウドネスはジャパメタの先駆者だったからね。

そのドラマーでリーダーの樋口さんが亡くなった。
ちょっとショック。
春先に「治療のため活動休止」は聞いてたが…
勝てなかったんだね、には。

大学時代、ステージ裏方のバイトをかなりやった。
1982年から84年頃かな。
で、初めて手伝ったのが日比谷野音のラウドネス。
「元レイジーのギターとドラムのバンド」
という先入観が、大音響とともに吹き飛んでった。

とはいえ、好きなタイプの音ではなかった。
正直言うとね。
んが、唯一「カッチョイ~」って感じたのが、
樋口さんのドラミングだったのよ。
日本にもパワフルなHRドラムがいるんだなぁって。

あれから26年か…
そーだ、何故か衝動買いしてそのまま観てない、
ラウドネスのライブビデオがあったはずだ!
遅ればせながら、今夜観てみよう。
「この人の叩くドラムはもう二度と聴けない」
そんな追悼の思いを込めて。


自宅レコード棚にソロアルバムを発見。
これ、愛聴したよ