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松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

何度目かの文明

2012-01-31 22:53:25 | current affairs
テレビのバラエティなんかで理系の教授や学者が出てきて

『氷河期は何度も繰り返しやってきて、最近は温暖化が叫ばれているが、
むしろ長い目で見れば氷河期に向かっててどんどん寒くなっていっている』

なんて学説が紹介されることがあって、
僕はあれを見て
(へぇ~、そうなんだ)と思う。と同時に…

[滅亡]という事をよく考える。
【また人間も絶滅して今の地上の環境・ヒト・モノ全てが一旦ゼロになって
何万年何千年後に氷河期が終わり、また暖かくなっくると、また人間が一から文明を築いていく、
もう誰も覚えていない、忘れ去られた文明を始めて思いついたかの様に思い出して…)

別に氷河期じゃなくても、人類自ら巻き起こす核戦争などにより
地球上の全てがゼロになって、
そこから、生き残った人間が(仮に知識はあっても)何にもないから

狩猟、牧畜、稲作と、一から代を重ねながらこつこつ築くことしか出来なくて
そして、出来上がったモノを

たまたま今回の場合は我々が享受している、ってだけのことなのかもっ!

そういうことが何回も繰り返されてて
今ある科学文明は、その何回目かの文明っていう、そういう不安みたいなものがあって、

だから皆さん、取り敢えず明日からは、(これはいける!)って思った、その信号無視をやめよう!

更新の時。か?

2011-04-22 22:36:21 | current affairs
そろそろ更新しよか...な。

いや、まだかな。
と約1ヶ月強、堂々巡りしてまして。

実際こうやって更新してるわけですけども、
何を以て更新が可なのか。
(まだ)ってなんやねん。

勝手に自己完結しようとしてる自分に腹が立つ。
自粛、つまり【自】なんで
それをいつまで続けようが
いつから更新しようが、

その人の勝手なんだけども、
何故かタイミング探ったりと。
自粛する理由はあるけど、それを止める理由がないのです。
ブログにしてもTVにしても、何でもそうだけど
例えばバラエティー等通常番組に

どのタイミングで戻すか。
末端の一個人である僕も長く反芻したもんで、
少し前なら世間じゃみんな自粛してて
でも、そんな色々の自粛も今ではほとんど解除されて

その基準は一体何なんだ!
って思って、いざ更新と意に決しても
尻込みしちゃうんですよね、まだだって。

でも、何を以て『まだ』なんだ!と、こうなるんですよね。
そしたらさ、言葉悪いけど

(それじゃ一生するのか?)っていう風になるけど

そうなったら究極、
世界が世界を辞めなければならないから

そうじゃないんだろうし。
結局自分達の都合で自粛して
自分達の都合でまたやり始めてるんだもん。

やりきれないものがあるわけ。
自粛解除とか、再開とか更新って、
言ってみたら
割り切るってことだから。

(でも、我々も生きていかなければならないから
それはそれとして)って、
意識を脇に置くってことだから。

そういう仕方のない、どこにもぶつけようもない
同じ日本人としての

虚しさや怖さとか、やりきれなさはある。

子どもがこける

2007-11-15 21:06:42 | current affairs
何やら赤面してしまうほど書くのが久しぶりでして。

「子どもがこける」という光景を
特に僕の場合、アルバイト柄週末によく見かけるのですが

その時に泣く子と泣かない子に当然別れてくるのです。
そのそれぞれをリサーチし統計をとったのですが
結果としては

傾向とかそんなものは導き出されなかったのです。というのは…
まだ小さい子は泣いて、ある程度成長した大きい子は泣かない、という
生半可な原則(比例)のようなものはなく
まだ小さい子が我慢している傍で、年上の大きな子が号泣しているという

いわば『地獄絵図』と呼びましょうか
それらを悉く見守っているこちらとしては
実に忍び難い光景なのです。
その偲び難きを忍いだ僕は
顔を上げ、直面している次の問題に立ち向かって行ったのでした。

『転んで泣く原因は?』と疑問に思った
しかしその次の瞬間には、もう…
答えが出ていたのです。
『痛さ』を否定しつつ、出した僕の答えというのは 『ショック』 です。

衝撃、インパクトとでも訳せましょうか。
僕たち私たちが遠い昔、沈む陽のお陰でまだ何とか明るい校庭、いや、原っぱでもいい
駆けて駆けて、そして転んで、泣いたという懐かしい牧歌的な風景。

泣いてもいいんです。
泣かなきゃやってらんない衝撃が、そこで襲ってきたんですもの。

そう、あれは『痛さ』じゃなかったのです『ショック』だったんですね。

大人になって最近ではまったく『こける』だとか『転ぶ』といった経験は
無いに等しくなってしまったのですが

今だって自分がもし転んだら
恐怖に似たあまりのショック・衝撃できっと泣きたくなるんだろうなと想像できる。
たとえ、そこで泣いても、それは子どもって事じゃきっとないと思う。

大人だって泣いてもいいと思う。
もちろん子どもだって…。

だって、こけた時のショックって本当にキツいんだもの。

研究課題

2007-08-01 12:55:52 | current affairs
まさかこうやってまた更新してるってのが、自分ながら本当に情けない...。

プロバイダーには早速インターネットの解約を申し入れたのですが
なにやら、あと少しの期間だけ使えるようなので。

携帯電話って現代の先端に生きる多くの我々には、無くてはならない存在になっているのだが
時にそれが面白く思えることがある。
自分は高校卒業まで携帯電話無しで過していたし

昔の小説等の中では、知人に会うのにぶっつけで家を訪れる情景が描かれている。
【何処何処で待ち合わせ】などというのが手軽に出来るようになったのはごく最近なのではないか。
と疑問に思ったのである。
こうも頻繁に待ち合わせをするには

簡単な通信手段が手頃に使える環境が必要なはずだからだ。
生まれた時は勿論携帯電話など使わない。
なのに
たかだか10年20年経つと、いつの間にか携帯無しでは生きれなくなっているのだ。
この不思議が私には実に面白い問題なのである。

携帯電話が無いと生き難い(又は、生きていけない)というのは
ただ単に『慣れ』というだけのことなのだろうか。
『慣れに違いない』という考えは
果たして、過った希望的観測なのではないかという不安がある。

友達と会うという時には携帯電話が必要な現代の人間関係と
それ無しでも友達と会えた昔の人間関係と比較したら
果たして、人と人の間の、【関係】自体の変質なのか。

そうだとして、それは濃くなったのか薄くなったのか。
携帯電話が無いと不便と感じるのは、退行なのか。
(携帯電話自体は、人間文明の賜物のはずであるはずだが…)
あるいは、【人間単位】で変わってしまったのか。

または、先に述べた『慣れ』という一言で全て片付けられるような
考えるに足らないような、実はとても下らない事だったりしてね。
否、こんな長々と述べてきたが、実は何も変わってないのかもしれないし。

これらの疑問を究明する事が当面の私の研究課題なのだ。
(研究課題って何やねんって話なのですが)

まぁ兎に角、そういう事をただ疑問に感じただけなのです。誰かご意見を。

それはそうと...これでおわり。ほんとにおわりだから。
『おわり』って大層に題打っておいて更新している節操のなさが自分でつくづく嫌に思う。

さっきから一文字打つ毎に自分を情けなく思ってんのよ。いい加減これが最後。では。

『三日月』

2007-07-10 19:10:28 | current affairs
しかし、中国という国は腹が立つ。

石景山遊園地にみる肖像権問題や
毒入り歯磨き粉にみる食品衛生管理等々

かの国のモラルの問題を考えると
東アジアの平和構築という目的のために
日本は、そこまで理性で譲歩しなければならないのか?

だいたい毒性物質を含んだ歯磨き粉の問題なんて
偽装の点で見れば、日本のミートホープの問題の方がまだマシだと思う。
あの偽装牛肉ミンチなんて、食べても安全だからね。
牛肉に鶏が入っていただけなんだから。(〔雨水で解凍〕は首を傾げるけど。)

それだけであれほど叩かれるのが日本では当たり前なのだから
日本という国は
(そういう面でいえば)
中国なんて国よりもよっぽどマシな国だと思う。
中国よりは、ちょっとは美しいかもね。

なのに被害を被るのはいっつも日本なんだよね。
在日中国人の犯罪とか光化学スモッグの問題もそう。
環境問題の責任を中国の経済活動に問うと
あいつらはいっつも
自分の都合で
『主要国』と『発展途上国』を使いわけるのが、また腹立つじゃない。

その点ヨーロッパの貴族倫理というのは素晴らしい考えだと思う。
「持てる者の責任」というか
これは映画『スパイダーマン』にもしょっちゅう出てきたテーマだが...。
じゃあ、日本はどうか?と言えば
日本も若干疑わしいね。
僕は清掃のバイトをしているが
客は自分のゴミをそのまま置いて帰るから、本当にタチが悪い。

「その尻拭いをなんで俺がしないとアカンの?」と一々イライラしながら
それでも掃除はしてんの。
まぁ、そこは
「仕事だからね」って
「そういうサービスだからね」って
「がんばっているからね」って
「強くなるからね」って
泣く泣く割り切ってんだけど...。

でも、客のね、各々「せめて自分のゴミだけでも持ち帰る」っていう心がけをするだけで
全然違うと思う。
やばい、今日は話が長くなります。ご容赦を。
そういう
自分が出したゴミをそのままにして帰ってしまうというのを目にして
【自分がよければそれでいいのか?】って
毎度毎度、後を去る客を睨んで心の中で呟いてんの。

ほんと、ストレス溜まる。
【お前は、サービスの恩恵を受けて...で?それだけ?】って。
そういうモラルの欠片も無い事(不作為)をするのも
またいい歳をしたおっさん(老人)が多いから
以前にも述べたように
『近頃の若い奴は…』って老人が嘆いても、まったく説得力が無いわけ。

まぁ、今日は中国批判。
頭脳流出、ブレイン・ドレインではないのだけれど
良識者の流出は、本当に危惧すべきだ。
というのは
そういう自国の悪態をインタビューで批判する中国人留学生も

他国の地で批判するだけじゃなく
帰って体制を変えろ!って思うね。
あと、「一部ですから」って擁護する奴も
それだけで自己防衛だけじゃなく

分かってるなら
「お前が中国に帰って、出世して、あのモラルの氾濫を改めろ!」って思うね。
留学生をはじめとする在外中国人は

客観的に自国を見つめられる機会が与えられるのだから、それで「駄目だなぁ」と思ったのなら
その思ったことを自国に帰って実践する責任があるのではないか。

それが「持てる者の責任」だと思う。

ただ、これは日本にも言えることであるが。
こんなことで北京五輪は果たして成功するのだろうか?無理だと思う、普通に。まぁいいや↓

そんなことより、まずね、僕は、ちっちゃいことだけど
日本の「自分の出したゴミを捨てない」という崩れた倫理がムカつく。
ご飯食べて、サービスの良いとこだけ享けて

『それだけか?お前は』
『マーク・シート、そんなに使わへんやろ!』って
ホントならそう言って、客を後ろから蹴ってやりたいけど…まぁ、そこは…

「仕事だからね」って
「がんばっているからね」って

そう割り切って掃除するしかないから。それがほんと悲しい。

「…もうちょっと聴いてみよ…」というエモイワレヌあの欲求は、性的だ。

2007-07-04 02:21:22 | current affairs
それは

さわり・心地悪くて
しかし、実にして

心地良く惹かれている、かもしれぬもの。
咄嗟(とっさ)に遠ざけてしまうも
至近の距離にまで近づけてみたくなるもの。

臭い(はずの)自分の足とか靴下を
匂ってしまうあの感じ。
火傷するくらい熱されたフライパンに
触れてみたくなるあの感じ。

マラソン・持久走のしんどさも
僕にしたら、当てはまる。
しんどいって分かっているのに、走ってしまうあの感じ。

しかし【99ショップ】で流れている音楽は聴くに耐えん!
ムカッ腹が立つ!いや、ほんと、「ぶっ殺してやろうか!」ってくらいに腹が立つっ!

のだけど…

だからと言って、すぐ店を出るわけでもなく
いつの間にか聴き入ってしまっているのも事実。

その音楽のリズム、ボイス等々何から何まで全てに
ムカムカしながら
しかし、その一方で

ニヤニヤしながら「もうちょっと…」と聴き続けている僕。
その、全て従ってしまう衝動は、何とも性的だ。

しかし、あの音楽は聴くに堪えん!でも…。

今、何よりも傘が欲しい。

2007-06-18 02:47:12 | current affairs
傘が欲しいね。

梅雨入り前の、ちょっと前。大雨が降ったその日に、肝心の傘が家にない。
そっとやちょっとの雨では傘は差さない人間なので

大雨の日に外出しようとして、やっと気付く不備。
ちょこちょこビニールの安っすい傘を買ってたのですが
安いので結局どっかに置き忘れてしまう。

あとビニール傘って結構ありふれているので
「やはりしっかりした、しかもお洒落な傘を一本持っておこう」と
これは実は何年も前から思ってて
その、大雨の日に自分の潜在的希望を思い出したのです。

オシャレな傘。
すっごいやつ。
恥ずかしいくらいお洒落な傘を、僕は差したい。
まぁ、3万は出せるね!

で、その大雨の日結局ずぶ濡れになって、
あっ、
濡れ鼠になって、
やっとの思いで三宮について、事を済ませてから大丸に行きました。
5、6、7階に行って、結局無くてね、傘が売ってない。

で一階の総合インフォメーションで尋ねたんです。
「あの、傘ってどこで売ってるんすか?」って僕。
「婦人用ですか?紳士用ですか?」ってちょっと美人受付。
「あのね、僕が婦人に見えますか…紳士用に決まっとるやないか!と、とにかく、オシャレなの☆」

「オシャレかどうかはとにかく、この一階の…」と説明を受け、当傘コーナーに赴いて物色。
紳士用ってのは、バーバリーのよく見るチェック柄とかしかなくて、結構地味でね。
その点婦人用というのは、ご婦人が差されるだけあって凄くオシャレ。

欲しい色合いのは沢山あるんですけど、柄の部分が細長く頼りなく、完全に婦人用↓
どっか良い傘屋を教えてください。

格言【雨の御堂筋にはオシャレな傘がよく似合う】

そういうオシャレな傘を差すときは、シンプルな服装が良いかもね。
で、オシャレな服の時は、シンプルな傘が良い。そんな事を既に想像しながら…。

なぜオシャレな傘にこだわるか?
言われたいんです、「よくあんな傘差せれるな」と。
僕はそんな蔑み(ある意味『嫉妬・羨望』?)の言葉を気にせず颯爽と歩いていくんです、雨の街を。

オシャレな傘って、持ってるだけでも良いと思う。僕は信じてるんですよね、
そこらへんの中途半端なアクセサリーより、よっぽど人をオシャレに魅せる。って。

ドルガバのどんなアクセサリーよりもオシャレやわ。いや、ほんと。

2007-06-08 17:54:27 | current affairs
どうも。

昨日みのもんた氏司会の「世界の料理を紹介する番組」を視ていました。
そこで、東南アジアの国々が出てきたのだけれど

番組が探していた食材・料理というのが、インタビューによると
そこの人々にとっては高価すぎて手が出せないのだという。
しかし、自分の国で獲れた食材・料理を口にする事が出来ないというのは、悲しい話である。

日本人は、そういう点では幸福である。
自国産はおろか、他国から沢山食糧を輸入して
それらを使って作られる料理というのは、私たちにとって
身を削る程、到底手が出せないという程高価ではない。注文しようと思えば誰もが出来る。

でも日本は、1000兆円という莫大な借金を抱えていると考えられ
そんな借金は返せるはずもないから
近い将来絶対に破綻する。
そんなお金のない国の信用はなくなるのだから、食糧が輸入できず→食糧危機である。
しかし、現実日本の食糧自給率は現在約40%である(カロリーベース)。

今我々が摂っている食事の量的カロリー的に6割以上減る。
(6割【以上】というのは、単純計算で6割だが
 それを日本人がこぞって求めるので(共有)するので、一人当たりの分け前はさらに減る!)
今の食事の3割以下というのは正直きつい。
最近、噛むほどに美味しいと分かり始めた米が3割。少なくなった甘さをより噛みしめたい☆
肉も3割。牛・豚・鶏がそれぞれ3割ずつになるのか、1種類だけ残るのか。

魚も3割。骨も少なくなるというのがせめてもの救い。
だから食糧自給率又は食糧というのがこれからの我々にとって重要であり
食糧が国家戦略のカードの一枚に数えられる所以である。
そう考えると
極論だが

日本の、かつての【鎖国】という状態で
270年近く営まれたというのは凄い事実である。
自給率100%。
農業さえ今よりさらに活発ならば、自分の国の産物だけで十分にやっていけるのである。

かといって、未来の来るべき事情に杞憂して、鎖国状態に戻すという話でなく
今から自給率を上げていけばいいのである。
国民がひとりひとりが自分の国で獲れたモノを食べようという心がけ、だと思う。

自分の国で作った食べ物を食べられるというのは幸せなことであり
自分の国で作った食べ物を食べるという事は、根本的に大切なことだと思う。

大体マクドナルドとかって、日本人にとって不要だとは思わなくない?

…って、偉そうな事言ってる僕の携帯にマクドナルドのクーポンが届いてんだよ。
「メガてりやき330円が280円!すごくお得♪」とかなんとかって...

嫌になっちゃう、ほんと。

あの勢いを取り戻したい!

2007-05-23 01:12:55 | current affairs
今もっとも注目しているのは、世界卓球です。

テレビ東京系で深夜の2時50分からあります。
昨日はその初日で楽しみにしながら、寝てしまいました。

楽しみにしていた番組を見れない
しかも寝過ごして見れないというのは
本当に悲しい気持ちになります。

卓球台を買おうかなと思っていた。
前の部屋に住んでいた頃である。
1k6.7畳の部屋だったが
買ってしまえば何とかなると楽観視していた。

でも、今でも、あの勢いは正しかったと思う。
5万前後で卓球という一大エンターテイメントが手に入るのだ、間違ってる訳がない。
しかも、あの頃あの日あの時あの場所にはお金があったのだ。先輩に奢っていたあの頃。

そもそも、一人暮らしの部屋に卓球台があるってお洒落だと思う。
インテリアとしてもそう。部屋の片隅に卓球台が畳んで立ててあったら「おっ」って思うと思う。

テーブルにもなるし。人とは違う生活を送ってみたかったのだと思う。

来年のオリンピックのマスコットは何に似ているのだろうか?

2007-05-04 02:17:06 | current affairs
雑誌をとーきどき買ったりするのだけど

一向に読む気が起こらない。
僕にとって雑誌とはインテリア的役割でしかないのか、全く読まない。勿体が無い。

本題:昨日から、中国の国営遊園地が話題となっている。
「ディズニーランドは遠すぎる」を合言葉に
90%ミッキーマウス、90%プーさん、90%キテイのキャラクターが迎えてくれる。らしい。

著作権の問題である。
勿論、著作権者は徹底的に追及すべきである。
勿論著作権者自身の権益の保全も重要だが
同時に、急速に伸びつつある中国の国としての「質」を再確認すべきである。

はっきり言って
中国人の創造力の貧しさと
「パクって何が悪い?」と言わんばかりと開き直る狡猾さが、僕にとっては甚だ苛立たしい。

少し前に、香港にディズニーランドを誘致たのにね。
オリジナルのキャラクターを作り出す力が無いのだと思う。

中国の経済成長は、あくまで安い労働力ありきである!ように見える。

中国人の想像力やアイデアに拠るようなものではないようだ。
そうかんがえると中国との友好は

現時点においては
国家戦略としては必要であるかもしれないが
一過性的なものであると思う。

日本国内での中国人犯罪にしてもそうである。著作権や犯罪に関して現状が変わらなければ
中国という国との友好とはあくまで国家レベルでの話であり

草の根(国民)レベルの感情は、中国から更に遠ざかる。友好の如何は、躊躇われる。