『東京の小さな喫茶店』
常盤新平(日:1931-)
1994年・世界文化社
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すみれにはじめて行った朝のことをよくおぼえています。
コーヒーを飲みおえてから、お金を払おうとしたときに、カウンターにあった小さな食卓塩の瓶が私の洋服に触れたかして、床に落ちて割れてしまいました。
それで、いまでも忘れられないのですが、すみれのママは大変に怒りました。
「商売はじめなのに塩をまかれた」
私はなんども謝りました。
やがて、ママは機嫌をなおして言ったのです。
「会社におくれるから早く行きなさい」
それから何年たっても、塩を撒かれたものねとママに言われました。
私もママの剣幕に懲りたりしないで、翌日もまた行きましたから、ママに客の一人として迎えられるようになったのだと思います。
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喫茶店を巡るエッセイ集なんだけど、どれもが一篇の小説と言ってよいクオリティ。
読む者を淡いセピア色の世界へと導いてゆく・・・。
特に、第二編の
『コーヒーの記憶 なくなってしまった喫茶店のこと』
になると、もうノスタルジックがマキシマム!
読んでて、とっても切ない気持ちになっちゃうのだった。
第二編の中でも、『すみれ』は、もう完全に映画化すべき内容。
常盤さんによれば、市ヶ谷駅から靖国通りを一口坂のほうへ歩いていくと、私学会館のすぐ先に『すみれ』という名の喫茶店があったと言う。
お嬢さん育ちの御年70歳。
すみれのママは、サラリーマンが乱暴にドアを開けて、横柄にアイスコーヒーなど注文しようものなら、
「アイスコーヒーはやっておりません。
アイスコーヒーでしたら、どうぞおとなりの私学会館にいらしてください」
と、いかにも人を小ばかにしたような言い方であしらったという。
そこそこ通った常盤さんの名前もいつまで経っても覚えてくれず
「おやまあ、葛飾の方」
と、張りのある声で出迎えたそうな。
葛飾もあってないんだけど・・・。
そんなママが、入院した病院の10人部屋のベッドで錯乱に近い状態になり
「ドアのところに外人の将校さんがいる」
と何度も訴える姿は、かつての凛とした女主人の佇まいを知る者には辛かっただろう。
病院の付き添いのおばさんたちが
「このママは絶対に癌ですよ。においでわかるわよ」
と、病院を移ることを勧め、
「この病院じゃあ死ぬのをまつばかりですよ。一日も早く移ったほうがいいわ」
と囁くシーンが、なんか怖過ぎる。
(その病院は、姥捨て病院と呼ばれていたそうな)
冒頭の抜粋は、1989年に女主人が亡くなったあと、その最期を看取った『すみれ』の常連、江沢妙子さんの書いた手紙なんだけど。
飾らない文章がすばらしくて、単なる手紙の域を完全に超えてます。
収録内容:
Ⅰ一杯のコーヒーから
『しぶさわ』(日比谷)、
快生軒(人形町)、
理文路(日本橋)、
エリカ(飯田橋)、
ウエスト(銀座)
Ⅱコーヒーの記憶 なくなってしまった喫茶店のこと
もくれん(上野)、
DAN(九段)、
白いばら(高田馬場)、
すみれ(市ヶ谷)
Ⅲコーヒーの香る街で
壹眞(神保町)、
雲水(向島)、
ワンモア(平井)
2008年に再訪記が出てる。
■常盤新平
・『ニューヨーク紳士録』 (1983年)
・『東京の小さな喫茶店』 (1994年)
・『山の上ホテル物語』 (2002年)
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