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『夜間飛行』

また靴を履いて出かけるのは何故だろう
未開の地なんて、もう何処にもないのに

『東京の小さな喫茶店』 常盤新平

2012-12-09 | Books(本):愛すべき活字

『東京の小さな喫茶店』
常盤新平(日:1931-)
1994年・世界文化社

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すみれにはじめて行った朝のことをよくおぼえています。

コーヒーを飲みおえてから、お金を払おうとしたときに、カウンターにあった小さな食卓塩の瓶が私の洋服に触れたかして、床に落ちて割れてしまいました。


それで、いまでも忘れられないのですが、すみれのママは大変に怒りました。

「商売はじめなのに塩をまかれた」


私はなんども謝りました。

やがて、ママは機嫌をなおして言ったのです。

「会社におくれるから早く行きなさい」


それから何年たっても、塩を撒かれたものねとママに言われました。

私もママの剣幕に懲りたりしないで、翌日もまた行きましたから、ママに客の一人として迎えられるようになったのだと思います。

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喫茶店を巡るエッセイ集なんだけど、どれもが一篇の小説と言ってよいクオリティ。

読む者を淡いセピア色の世界へと導いてゆく・・・。


特に、第二編の

『コーヒーの記憶 なくなってしまった喫茶店のこと』

になると、もうノスタルジックがマキシマム!

読んでて、とっても切ない気持ちになっちゃうのだった。


第二編の中でも、『すみれ』は、もう完全に映画化すべき内容。

常盤さんによれば、市ヶ谷駅から靖国通りを一口坂のほうへ歩いていくと、私学会館のすぐ先に『すみれ』という名の喫茶店があったと言う。


お嬢さん育ちの御年70歳。

すみれのママは、サラリーマンが乱暴にドアを開けて、横柄にアイスコーヒーなど注文しようものなら、

「アイスコーヒーはやっておりません。

アイスコーヒーでしたら、どうぞおとなりの私学会館にいらしてください」

と、いかにも人を小ばかにしたような言い方であしらったという。


そこそこ通った常盤さんの名前もいつまで経っても覚えてくれず

「おやまあ、葛飾の方」

と、張りのある声で出迎えたそうな。

葛飾もあってないんだけど・・・。


そんなママが、入院した病院の10人部屋のベッドで錯乱に近い状態になり

「ドアのところに外人の将校さんがいる」

と何度も訴える姿は、かつての凛とした女主人の佇まいを知る者には辛かっただろう。


病院の付き添いのおばさんたちが

「このママは絶対に癌ですよ。においでわかるわよ」

と、病院を移ることを勧め、

「この病院じゃあ死ぬのをまつばかりですよ。一日も早く移ったほうがいいわ」

と囁くシーンが、なんか怖過ぎる。

(その病院は、姥捨て病院と呼ばれていたそうな)


冒頭の抜粋は、1989年に女主人が亡くなったあと、その最期を看取った『すみれ』の常連、江沢妙子さんの書いた手紙なんだけど。

飾らない文章がすばらしくて、単なる手紙の域を完全に超えてます。


収録内容:

Ⅰ一杯のコーヒーから
『しぶさわ』(日比谷)、
快生軒(人形町)、
理文路(日本橋)、
エリカ(飯田橋)、
ウエスト(銀座)

Ⅱコーヒーの記憶 なくなってしまった喫茶店のこと
もくれん(上野)、
DAN(九段)、
白いばら(高田馬場)、
すみれ(市ヶ谷)

Ⅲコーヒーの香る街で
壹眞(神保町)、
雲水(向島)、
ワンモア(平井)

2008年に再訪記が出てる。

■常盤新平
『ニューヨーク紳士録』 (1983年)
『東京の小さな喫茶店』 (1994年)
『山の上ホテル物語』 (2002年)


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  東京の小さな喫茶店
常盤 新平
世界文化社
東京の小さな喫茶店・再訪
常盤 新平
リブロアルテ

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