
『自壊する帝国』
佐藤優(日・1960―)
2006年・新潮社
2008年・新潮文庫
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知の型には二つある。
一つは、新しいものを創り出す知性だ。
これをもっている人は非常に少ない。
学歴やアカデミズムでの地位とこの根源的知性は基本的に無関係だ。
イエス・キリストなどは当時の知的水準で図るならば中の上くらいだろう。
決して高いレベルの学識をもっていたわけではない。
しかし、聖書を読めばわかるようにイエスはオリジナルな知を創り出す力があった。
マルクスだってそうだ。
一般的には何の変哲もなく見える商品の分析で資本主義社会のカラクリを解明した。
バルトやフロマートだって、聖書を読み直すことで 『神は神である』 という単純な真理を再発見し、自分の言葉で言い表した。
こういう一流の知の型が僕にはない。
恐らく僕が今後百年努力してもこのような知性は身に付かないだろう。
サーシャにはオリジナルな知がある。
だから僕はサーシャに素直の教えを請うているのだ。
第二は、一流のオリジナルな知を、別の型に整えて、別の人々に流通させる能力だ。
僕にはその能力ならば少しある。
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最近の政治情勢を見ていると、自壊してんのはウチの国だろ、という気もするけど・・・。
まあ、この話は、もうみんな飽きてるはずなので置いとくとして。
恩田陸さんが、本書(文庫)の解説で
「佐藤優という人がいきなり完成された形で思いもよらぬところから現れ、・・・」
と書いているのだが、この一文には大いにうなずかされる。
前作 『国家の罠』 を初めて読んだ時、その面白さに惹きつけられたのは勿論のこと、なにより佐藤さんの文章の安定感には舌を巻いた。
恩田さんの「完成された形で現れた」 という表現は、多くの読者が佐藤さんに対して感じた印象を、ピタリと言い当てているように思う。
そんで、前作を読んだとき、誰もが
「どっから来たんだ、このインテリジェンスのスーパーマンは・・・?」
と思ったはずで、本書はその種明かしにもなっている。
本書では 『国家の罠』 から時間を遡り、ソ連末期に、佐藤さんが若き外交官としてモスクワに駐在していた頃を描いている。
数々のソ連要人たちとの出会いから、佐藤さんは人心掌握のコツを掴んでいくのだが、これを読んで誰かがそのまま真似をしても、なかなかこう上手くはいかないだろう。
佐藤さんの持つ確かな思考能力。
これを相手が認め、頼りとしたうえで、佐藤さんのクマのような風貌、ウォッカへの人間離れした耐性、出し惜しみのない供応、それから異国人であるという油断・・・
が積み重なって、ソ連の要人たちは驚くほど色々と口を滑らせるのだ。
口を滑らせる内容は政治的な話だけではなく、時に友として、おそらく同国人には明かせないような本音の心情を、ポロリと打ち明けている。
さっき思考能力と書いたけど、この人の力の源は、まず人間力なんだろうなぁ。
相手を信用させる力。
俺はあんたの友達だよ、と伝える力。
そして、本書を楽しく読める理由として・・・、これは佐藤青年の大いなる青春記でもあるのだ。
佐藤さんは本書を 「書かなければならない」 と思ったと言うが、あの時代を生きた異国の友人たちを本に残す目的の他に、
「あの青春の時代を残しておきたいっ」
という思いが、強く働いたに違いない。
クールに抑えた文体のところどころで、当時の佐藤さんの熱い思いが、吹きこぼれるように顔を出している。
職務に対しても然ることながら、出会った友人たちへの思いも、同様に熱いのだ。
怪僧ビャチェスラフ・ポローシン、
黒い大佐ビクトル・アルクスニス、
リトアニア共産党第二書記ブラジスラフ・シュベード、
ロシア共産党第二書記アレクセイ・イリイン、
国務長官ゲンナジー・ブルブリス、
そして、モスクワ大学での親友サーシャ・カザコフ。
名前を読み上げるだけで、こっちは舌を噛み切りそうだが。
佐藤さんが出会った個性豊かな登場人物たちは、動乱のなか、それぞれの生き方を選び取っていく。
中には、勝負の時に怯えて逃げ出す人もいる。
徹底抗戦の人もいる。
どちらも人間だ。
運命の分かれ道で、それぞれの人生における優先順位にしたがって行動したにすぎない。
ちなみに逃げだした人の事も、佐藤さんは否定しない。
大事な局面で、政治や信念よりも、家族や自分の命を取ることも、それはそれで一つの判断だ。
佐藤さんは、人間のもっと根っこの部分を見つめている。
このあたり、神学を修めたという佐藤さんのバックボーンと、決して無縁ではないだろう。(とか、言ってみる)
佐藤さんには、またもや読んでよかったと思わされて、ちょっと悔しい。
そんな本、あんまりないからナ。
■佐藤優
・『国家の罠』 (2005年)
・『自壊する帝国』 (2006年)
・『獄中記』 (2006年)
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