姑とは2年のご縁の付き合いだった・・・
2年の間に・・・・3回会って・・・・電話は数回・・・
でも私の記憶には深い思い出・・・・
姑に合う前 結婚報告をする前 私の母が眠るお墓に参りその後でととうの実家に行ったのです
思うより乗り換え待ち時間がかかって夕刻を過ぎて夜に入ったのですが
無事に付 お伺いしました
舅は待てずうたげを済ませてしまい シラーとした空気・・・・
こりゃ重い家の息子の処に嫁いでしまったとはっきり思いました
でも戻れない・・・・母の様に実家などありませんから・・・・
うたげを頂き・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
話もとぎれとぎれ 場がもたず・・・・帰える事に
気を付けて帰れと姑がととうにお金を握らしていました
気を遣ってやれなかったから・・・これで帰り嫁に美味しい物食べさせてやれと
結婚式も お祝いも・・・お披露目もしませんでしたから・・・・
家の近くの焼き鳥屋で大好きな焼き鳥を頂きました
・・・・・こんなもんか????嫁姑?????
これからもか?????ととうも若かったので無頓着
こんなもんやろ・・・・????
その時に姑にお礼に送ったプレゼントはトートバック
まだ現役で宿舎でパートをしていたので
2年後姑はあっけなく天国に行ってしまいました・・・・
そして高齢の舅が残り 皆さんが経験しているごたごたがあり
私はまだ信用できない嫁扱いで除外・・・・ごたごた・・・・ごたごた・・・
?????なにごたごたしてるんでしょう?・・・
その時私は残された舅がぽつんと主張権の無いまま座っているのを観ていました
舅に何一つ声をかけず・・・物扱い・・・で・・・
その舅が声をはらして主張したのがこれが初めてでした
通夜の時も・・・・葬儀の時も・・・ずっと・・・泣いていた舅でした・・・・
荼毘をし立派な祭壇がスッキリし大きい和室に小さな祭壇になり
ととうと私はこの和室で寝ていたとき
夜中舅が亡き姑の御仏前に座って泣いていました
私は 姑の幽霊か?と飛び起き
ととうは3日の疲れで高いびき
慌てて起こして お父さん一緒に寝よう・・・ととりあえずまだ早いから
3人川の字で寝ました舅はぽろぽろ泣いて男の人の涙がこれだけ出るのかと
不思議な位・・・泣いてました 私が他界したらととうはこれだけ泣いてくれるのかなあ・・・
姑は女冥利に尽きたなと羨ましく思いました
お香典がととうの会社関係が多く 私が半返しをきちんとしますと親族の前で分けていると
親族が姑の部屋だったタンスの脇にトートバックを見つけ開けようとしたとき
舅が空けるな!とびっくりするくらいの大きな声をあげたんです
思わず振り向いたらなんと私がプレゼントしたトートバックだったのです・・・
ととうと顔を見合わせ お母さん・・・持っててくれたんだ・・・・
死前 私たちの前でもっているところを見せてくれはしなかったのですが
気に入らなかったのかな・・・と
貴重品入れにしていたのです・・・
舅はそのバックは誰にも触らせず舅に持っておけと言われていたそうで
舅は娘にも触らせなかったのです・・・・
お母さん・・・持っててくれたね・・・・それだけで私達2人は
亡姑の気をもむ舅への配慮を決めたのです
親をひきとるとは色々問題が有り 資産があるとか無いとかそれでも
見守る権利があるのか無いのか・・・福祉の窓口電話で相談し
日の浅い嫁は権限が薄く
慌ててヘルパー2級の免許取 車の免許も同時で取
親をひきとる環境の為に マンションの低層を買いバリアフリーにして
まず環境造りに時間を使いました 舅は高齢者です・・・
親族と話し合いするには観れる環境にあるのか無いのかそれが必要と
福祉課に言われました
舅にはびっくりさせるために我慢をさせてしまいましたが
施設に車を運転しヘルパーの免許書をみせに行ったとき
びっくりして喜んでくれました・・・
その足で3人で姑のお墓参りして ととうに親孝行させてあげれて
出来て間に合って良かった~って
毎月3回ほどととうは土曜日も仕事に出ていたのですが
根をあげず往復3時間施設で3時間自分たちのお弁当持参で
見守りに行ってつめ切ったり耳掃除したり 部屋の掃除したり
足りない物の補充したり2年通いました
分家祭の御仏壇も設置して もし・・・舅が亡くなった時2人の位牌を納めれる様に
その間に他の親族のしたことは
舅はよくある話 信頼していた娘にあっけなくごっそりもっていかれてしまい
お金が無いのに面倒を見てもらうわけいかないとかたくなにうなずいてくれず
何のための1年間の思い・・・・2人で車で泣きながら帰りました
面倒を見るために息子はマンションを買い父に拒まれ
オヤジわしはいらん子かと泣き・・・
私は早く両親を亡くし 高齢な親を見るとは深い話だと
でも私は ととう・・・でもお母さん喜んでくれてると思うよ・・・
私達やる事やれることやったよ・・・いつか私達が天に召されたとき
胸張って姑に合えるよねって・・・・
吹っ切れて処で舅は認知になってしまい施設で亡くなりました
亡くなる前・・・舅が言ったのです
ばあさんがの・・・夢枕に立ってくれての・・・・
えっ?・・・・
ワシをじ・・・・っと見てるんだけれど・・・何にも話さんのじゃ
・・・・・
でもうれしかった・・・んじゃ・・・・
良かったね・・・お父さん・・・・良かったね・・・
その時の舅の顔の明るかった事・・・・今でも忘れません
亡くなる2週間ぐらい前 気乗りしない主人を連れだし施設に向かいました
私は少し感じるものが有り ととうは道中オヤジ死ぬんか?オヤジ死ぬんか?
と不安いっぱいで・・・私の様に後悔してほしくないので
合えるだけ合わそうと・・・施設に行ったときは寮母さんの近くの部屋に移され
目はつぶって耳もあまり聞こえず・・・・
耳元で お父さん来たよ・・・・息子来たよ・・・・
うっすら目を明けととうに舅の手と足をさすらしととうも一杯声をかけてました
お別れになるかもしれないからいっぱいさすってあげてね・・・と言っておいたので
ととうは一杯一杯さすつてました
しっかり生きている間の親孝行が出来ました・・・
亡くなった知らせは腹をくくっていたので 主人だけ車で送り
私は葬儀に参列だけさせて貰いますと言い帰りました
舅の頭はまだ暖かく 又お葬式に来るから・・・お父さん待っててね
親族で話し合って・・・と言い残し帰りました
その道中の嵐の様な雨はすごく怖い雨でした
なんとか帰り・・・帰ったら雨もからっと止んで 舅は帰らせたくなかったでしょう
葬儀の日葬儀の時間に間に合う様に行くからと寝ていたとき
ピンポンとインターホンが5時になり 覗いても誰もおらず
これは舅の仕業・・・・慌てて車で向かいました
すると 玄関でしゃくって泣いてるととうが座っていました
どうしたの・・・・?
どうしたんや・・・・?
お父さんがね知らせに来たよ・・・早く来いって
・・・・
お父さんごめんね遅くなりました
帰りたいとととうがごねました・・・・
通夜からの3日間よく頑張りました・・・寂しい親族にまぎれて
ととうは息子として頑張ったのです・・・
さあこれが最後の親孝行ですよ 帰るなんて言わないでください
私がそばにいるから・・・
ととうは無事隣保会の勧めで喪主をして 関係者のお香典は皆にご遠慮して貰い
荼毘した舅を私の運転の車で迎えに行き送りました
隣保のお世話になった方にお礼を述べ お膳も食べず帰った時
皆誰も止めれませんでした・・・・姉に言い包められ私達に合わす言う言葉が見つかりません
そのなかで 隣保会の一人のおじさんが 大きな声で 寂しいの~もう帰ってこないのかのお・・・
と言ってくれたとき
2人我慢していたものが吹っ切れ涙が止まりませんでした
有難うございます・・・・と深々その方に頭を下げ お世話になりました皆様お元気でと退席しました
その方も悔しかったのでしょうか肩を震わせ手を握りこぶしにしておりました
親戚は下をうつむいたまま・・・・
その人は姑が可愛がっていた隣保のお方で私達が帰ってきたらいつも覗きに来たお方でした
勝手口の片隅で姑がその方と和気あいあいしゃべっていたんです
姑が言わせたのでしょうね・・・
見送り介護の終了です・・・・。
帰りに・・・ととうはわしには母ちゃんが居るから・・・
母ちゃんがいるから 仲良くして暮らそうな・・・
ととうは忘れ居ていると思いますが 文句を言いながらも大切にしてもらっています
来月 ご先祖様の命日オンパレードです
いつもこの時期思い出します・・・・辛い経験でしたが 今は思い出です・・・・。
皆様出来る限りの親孝行してくださいませ・・・・お願い申し上げます
長くなりましたが御静聴有難うございます
だんだん
2年の間に・・・・3回会って・・・・電話は数回・・・
でも私の記憶には深い思い出・・・・
姑に合う前 結婚報告をする前 私の母が眠るお墓に参りその後でととうの実家に行ったのです
思うより乗り換え待ち時間がかかって夕刻を過ぎて夜に入ったのですが
無事に付 お伺いしました
舅は待てずうたげを済ませてしまい シラーとした空気・・・・
こりゃ重い家の息子の処に嫁いでしまったとはっきり思いました
でも戻れない・・・・母の様に実家などありませんから・・・・
うたげを頂き・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
話もとぎれとぎれ 場がもたず・・・・帰える事に
気を付けて帰れと姑がととうにお金を握らしていました
気を遣ってやれなかったから・・・これで帰り嫁に美味しい物食べさせてやれと
結婚式も お祝いも・・・お披露目もしませんでしたから・・・・
家の近くの焼き鳥屋で大好きな焼き鳥を頂きました
・・・・・こんなもんか????嫁姑?????
これからもか?????ととうも若かったので無頓着
こんなもんやろ・・・・????
その時に姑にお礼に送ったプレゼントはトートバック
まだ現役で宿舎でパートをしていたので
2年後姑はあっけなく天国に行ってしまいました・・・・
そして高齢の舅が残り 皆さんが経験しているごたごたがあり
私はまだ信用できない嫁扱いで除外・・・・ごたごた・・・・ごたごた・・・
?????なにごたごたしてるんでしょう?・・・
その時私は残された舅がぽつんと主張権の無いまま座っているのを観ていました
舅に何一つ声をかけず・・・物扱い・・・で・・・
その舅が声をはらして主張したのがこれが初めてでした
通夜の時も・・・・葬儀の時も・・・ずっと・・・泣いていた舅でした・・・・
荼毘をし立派な祭壇がスッキリし大きい和室に小さな祭壇になり
ととうと私はこの和室で寝ていたとき
夜中舅が亡き姑の御仏前に座って泣いていました
私は 姑の幽霊か?と飛び起き
ととうは3日の疲れで高いびき
慌てて起こして お父さん一緒に寝よう・・・ととりあえずまだ早いから
3人川の字で寝ました舅はぽろぽろ泣いて男の人の涙がこれだけ出るのかと
不思議な位・・・泣いてました 私が他界したらととうはこれだけ泣いてくれるのかなあ・・・
姑は女冥利に尽きたなと羨ましく思いました
お香典がととうの会社関係が多く 私が半返しをきちんとしますと親族の前で分けていると
親族が姑の部屋だったタンスの脇にトートバックを見つけ開けようとしたとき
舅が空けるな!とびっくりするくらいの大きな声をあげたんです
思わず振り向いたらなんと私がプレゼントしたトートバックだったのです・・・
ととうと顔を見合わせ お母さん・・・持っててくれたんだ・・・・
死前 私たちの前でもっているところを見せてくれはしなかったのですが
気に入らなかったのかな・・・と
貴重品入れにしていたのです・・・
舅はそのバックは誰にも触らせず舅に持っておけと言われていたそうで
舅は娘にも触らせなかったのです・・・・
お母さん・・・持っててくれたね・・・・それだけで私達2人は
亡姑の気をもむ舅への配慮を決めたのです
親をひきとるとは色々問題が有り 資産があるとか無いとかそれでも
見守る権利があるのか無いのか・・・福祉の窓口電話で相談し
日の浅い嫁は権限が薄く
慌ててヘルパー2級の免許取 車の免許も同時で取
親をひきとる環境の為に マンションの低層を買いバリアフリーにして
まず環境造りに時間を使いました 舅は高齢者です・・・
親族と話し合いするには観れる環境にあるのか無いのかそれが必要と
福祉課に言われました
舅にはびっくりさせるために我慢をさせてしまいましたが
施設に車を運転しヘルパーの免許書をみせに行ったとき
びっくりして喜んでくれました・・・
その足で3人で姑のお墓参りして ととうに親孝行させてあげれて
出来て間に合って良かった~って
毎月3回ほどととうは土曜日も仕事に出ていたのですが
根をあげず往復3時間施設で3時間自分たちのお弁当持参で
見守りに行ってつめ切ったり耳掃除したり 部屋の掃除したり
足りない物の補充したり2年通いました
分家祭の御仏壇も設置して もし・・・舅が亡くなった時2人の位牌を納めれる様に
その間に他の親族のしたことは
舅はよくある話 信頼していた娘にあっけなくごっそりもっていかれてしまい
お金が無いのに面倒を見てもらうわけいかないとかたくなにうなずいてくれず
何のための1年間の思い・・・・2人で車で泣きながら帰りました
面倒を見るために息子はマンションを買い父に拒まれ
オヤジわしはいらん子かと泣き・・・
私は早く両親を亡くし 高齢な親を見るとは深い話だと
でも私は ととう・・・でもお母さん喜んでくれてると思うよ・・・
私達やる事やれることやったよ・・・いつか私達が天に召されたとき
胸張って姑に合えるよねって・・・・
吹っ切れて処で舅は認知になってしまい施設で亡くなりました
亡くなる前・・・舅が言ったのです
ばあさんがの・・・夢枕に立ってくれての・・・・
えっ?・・・・
ワシをじ・・・・っと見てるんだけれど・・・何にも話さんのじゃ
・・・・・
でもうれしかった・・・んじゃ・・・・
良かったね・・・お父さん・・・・良かったね・・・
その時の舅の顔の明るかった事・・・・今でも忘れません
亡くなる2週間ぐらい前 気乗りしない主人を連れだし施設に向かいました
私は少し感じるものが有り ととうは道中オヤジ死ぬんか?オヤジ死ぬんか?
と不安いっぱいで・・・私の様に後悔してほしくないので
合えるだけ合わそうと・・・施設に行ったときは寮母さんの近くの部屋に移され
目はつぶって耳もあまり聞こえず・・・・
耳元で お父さん来たよ・・・・息子来たよ・・・・
うっすら目を明けととうに舅の手と足をさすらしととうも一杯声をかけてました
お別れになるかもしれないからいっぱいさすってあげてね・・・と言っておいたので
ととうは一杯一杯さすつてました
しっかり生きている間の親孝行が出来ました・・・
亡くなった知らせは腹をくくっていたので 主人だけ車で送り
私は葬儀に参列だけさせて貰いますと言い帰りました
舅の頭はまだ暖かく 又お葬式に来るから・・・お父さん待っててね
親族で話し合って・・・と言い残し帰りました
その道中の嵐の様な雨はすごく怖い雨でした
なんとか帰り・・・帰ったら雨もからっと止んで 舅は帰らせたくなかったでしょう
葬儀の日葬儀の時間に間に合う様に行くからと寝ていたとき
ピンポンとインターホンが5時になり 覗いても誰もおらず
これは舅の仕業・・・・慌てて車で向かいました
すると 玄関でしゃくって泣いてるととうが座っていました
どうしたの・・・・?
どうしたんや・・・・?
お父さんがね知らせに来たよ・・・早く来いって
・・・・
お父さんごめんね遅くなりました
帰りたいとととうがごねました・・・・
通夜からの3日間よく頑張りました・・・寂しい親族にまぎれて
ととうは息子として頑張ったのです・・・
さあこれが最後の親孝行ですよ 帰るなんて言わないでください
私がそばにいるから・・・
ととうは無事隣保会の勧めで喪主をして 関係者のお香典は皆にご遠慮して貰い
荼毘した舅を私の運転の車で迎えに行き送りました
隣保のお世話になった方にお礼を述べ お膳も食べず帰った時
皆誰も止めれませんでした・・・・姉に言い包められ私達に合わす言う言葉が見つかりません
そのなかで 隣保会の一人のおじさんが 大きな声で 寂しいの~もう帰ってこないのかのお・・・
と言ってくれたとき
2人我慢していたものが吹っ切れ涙が止まりませんでした
有難うございます・・・・と深々その方に頭を下げ お世話になりました皆様お元気でと退席しました
その方も悔しかったのでしょうか肩を震わせ手を握りこぶしにしておりました
親戚は下をうつむいたまま・・・・
その人は姑が可愛がっていた隣保のお方で私達が帰ってきたらいつも覗きに来たお方でした
勝手口の片隅で姑がその方と和気あいあいしゃべっていたんです
姑が言わせたのでしょうね・・・
見送り介護の終了です・・・・。
帰りに・・・ととうはわしには母ちゃんが居るから・・・
母ちゃんがいるから 仲良くして暮らそうな・・・
ととうは忘れ居ていると思いますが 文句を言いながらも大切にしてもらっています
来月 ご先祖様の命日オンパレードです
いつもこの時期思い出します・・・・辛い経験でしたが 今は思い出です・・・・。
皆様出来る限りの親孝行してくださいませ・・・・お願い申し上げます
長くなりましたが御静聴有難うございます
だんだん
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