つらつら日暮らし

第二十七条・焚身捨身条(『僧尼令』を学ぶ・27)

連載は27回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととしたが、本文を見るのは今回までとなる。まずは、訓読文を挙げて、その後に当方による解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も参照していきたい。

凡そ僧尼、身を焚き、身を捨てることを得ざれ。若し違え、及び所由の者は、並びに律に依りて科断せよ。
    『令義解』14丁裏を参照しつつ当方で訓読


これは、大乗仏教ではかなり一般化された修行法である「焚身」や「捨身」を総じて禁止した内容である。「焚身」については、『妙法蓮華経』巻6「薬王菩薩本事品第二十三」であるとか、『金光明経』巻4「捨身品第十七」などが知られている。

なお、禁止している理由が良く分からない。『令義解』では、何れの解釈も付記していない。そのため、『日本思想大系』の補注を見ていくと、『養老律令』にも入っていた「詐偽律」の影響を指摘する場合があるようだ。その中に、「凡そ、詐して病及び死傷有らば」とあって、何かしらの利益を得るために、自傷することを禁止しているという。

そうなると、三宝への供養のためとはいえ、客観的には自傷に見える「焚身・捨身」が禁止される理由になるような印象はある。

それから、実際にこの条文が適用された事例として、やはり補注では行基菩薩の一件が指摘されている。「方今、小僧行基、并びに弟子等、街衢に零畳して、妄りに罪福を説き、合せて朋党を構えて、指臂を焚剥す。門を歴て仮説し、強ちに余物を乞う。聖道を詐称し、百姓を妖惑し、道俗擾乱し、四民業を棄て、進んで釈教に違う」(『続日本紀』「養老元年四月壬辰」項)というのは確認出来た。

養老元年は717年になるが、行基菩薩とその周囲の者達による「指臂を焚剥す」という「罪状」が挙げられている。そうなると、この辺が『僧尼令』が批判の根拠になってきそうではある。

ただし、これも補注での指摘ではあるが、律令制度自体は10世紀には退潮に入ったけれども、平安時代中期以降、様々な記録や説話の中には、捨身供養を行う僧侶が明らかに増加し、しかもそれを讃歎するかのような伝承が行われていくようになる。一部では批判する見解も残っていくけれども、特に末法の時代に入り、往生を願う行者の中に捨身を行う事例が存在したのである。

なお、『僧尼令』本文は、全27条であるので、以上で採り上げ終わった。ただし、後1回、総括的な記事をアップして、連載を締め括りたい。

【参考資料】
・井上・関・土田・青木各氏校注『日本思想大系3 律令』岩波書店・1976年
・『令義解』巻2・塙保己一校(全10巻)寛政12年(1800)本
・釈雲照補注『僧尼令』森江佐七・1882年

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