つらつら日暮らし

今日は「俳句の日」(令和5年度版)

今日8月19日は、語呂合わせで「俳句(8・19)の日」らしい。少し調べてみると、以下のような成立の経緯が知られるようである。

俳句の日(コトバンク)

京都教育大学名誉教授の坪内稔典先生などが提唱され、1991年に制定されたのが「俳句の記念日」とのことである。

そういうことなので、今日は「仏教と俳句」という観点から記事を書いてみたい。とはいえ、俳句、元々は「俳諧」とも呼ばれ、江戸時代に連歌の発句のみ連句する様子を指したという。確かに、百人一首を含めてそれまでの和語の道歌といえば、和歌(短歌)の形式が主であり、俳句を詠んだ仏教者は、江戸時代以降しかいない、ということになる。

また、俳人で仏教俳句を詠んだ事例も多いが、この辺は既に【8月19日 俳句の日】などで紹介したこともある。参照されたい。それから、最近では、バラエティ番組でも俳句が題材となるなどし、おそらく、何度目かの俳句ブームとなっているわけである。

ところで、今日はまだ全国的に猛暑の地域も多いようだが、暦的には既に「立秋」を過ぎているので、秋となる。よって、秋に因む俳句を幾つか紹介しておきたい。

・萩すゝき我が行く道のしるべせよ 良寛上人

萩はちょっと良く分からないのだが、すすきは頭を垂れる様子から、以前より道しるべの喩えにされることがあり、例えば、「十五夜」ですすきを供えるのは、月の神を招くためという話もあるらしい。しかし、良寛上人の場合は、自分自身の行く道の道しるべになって欲しいと願っている。この場合の道について、拙僧どもであれば仏道だと思いたくなるが、良寛上人の場合もそう考えて良いのだろうか。

・悠然と草の枕に秋の庵 良寛上人

これは、拙僧が好きな俳句である。「草の枕」とは、仮に草で作った枕を意味し、旅先で使うものを指す。つまり、心がゆったりとして、秋の庵の中で草の枕に寝ているという様子を詠んだものである。秋の庵についても、どこか気温が下がりつつあり、また風が抜けたりして、寂しさを感じるものであるが、その中で、草の枕に寝る良寛上人自身の心は、悠然としている。その対比が面白いし、或る意味、無常に徹した様子も見られるのである。

・幾連か鷺のとび行く秋の暮 良寛上人

これはもう、景色の俳句である。拙僧も、この時期、田んぼの中に真っ白な鷺(アオサギとかもいるけど)を見ると、ちょっとビックリしたりもするし、飛び去る時もバサバサ行くので、アレなのだが、空を悠々と飛ぶ様子を見ると、良寛上人の気持ちに迫れるかもしれない。

・仁王立つ門 朝靄からかなかな 天神九十五

お盆終わりの拙寺で朝に散歩をしていたら、ヒグラシ(日暮らし)が鳴いていた。ヒグラシって、朝も鳴くんだったよな、とか思いながら、ただそれを詠んだだけ。才能ナシでお願いしたい。

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