つらつら日暮らし

「三帰戒」という呼称について(2)

この記事は、【「三帰戒」という呼称について】の続編である。それで、拙僧が集めた資料の中に、「三帰戒」という項目があることを確認したので、それを学んでみたい。

  三帰戒
 汝等、帰戒を求めんと欲せば、先づ当に懺悔すべし。〈壱反〉
  我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、
  従身口意之所生、一切我今皆懺悔。〈三反〉
 更に応に仏法僧の三宝に帰依すべし。〈一反〉
  南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧、
  帰依仏無上尊、帰依法離塵尊、帰依僧和合尊、
  帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟。〈三反〉
 三帰戒を受くこと是の如し、今身より仏身に至る迄、此の事能く護持せよ。
    『日用行事書』写本、原典の訓点に従って訓読、漢字も現在通用のものに改める


こちらの『日用行事書』であるが、現在の愛知県内寺院で用いていたものだと判明している。なお、内容に甘雨為霖禅師(1786~1872)のお名前が見えるので、半田市の龍台院さまで用いられたものかもしれない(ただし、巻尾には別の寺院の名前が書かれている)。

さて、上記の「三帰戒」は、文字通りの内容である。具体的には、懺悔から、三帰戒のみを授けていて、ここで論じる内容は終わりの印象もあるが、少しだけ掘り下げてみたい。それは、「今身より仏身に至る迄、此の事能く護持せよ」の箇所である。この箇所は、戒の内容が「菩薩戒」であることを示すのだが、三帰戒は声聞戒・菩薩戒に共通するので、ここで「今身より仏身に至る迄」とはいわれないのである。

例えば、道元禅師が将来された『仏祖正伝菩薩戒作法』でも、三帰戒には「和尚合掌して之を授く。教授、并びに受者、皆、合掌して受く」とあって、その場に居合わせた全ての人が関わり、いわゆる初めて授けるものではなくて、既に帰依している人に授けている。

一方で、菩薩戒である「三聚浄戒」には「汝従今身至仏身」が付く。そして、『梵網経』由来の「十重禁戒」を授け終わった後で、三帰・三聚浄戒・十重禁戒の「十六条戒」について、「汝従今身至仏身、是十六条事、能持否」とあるから、三帰も菩薩戒か?という話になるのだが、この場合、三帰戒は「十六条戒」の「仏祖正伝菩薩戒」に組み込まれているので、菩薩戒扱いだろうが、三帰戒のみを菩薩戒として見ているわけでは無いのである。

その辺、『正法眼蔵』「受戒」巻を見ると、もっと明確になる。同書では「第一、摂律儀戒。汝従今身至仏身、此戒能持否」のように書かれ、明らかに菩薩戒として扱うが、これは三聚浄戒・十重禁戒のみなのである。

しかし、本書は「三帰戒」のみで、「今身より仏身に至る迄」と明言している。この辺が特徴ではある。転ずれば、ただの三帰戒であっても、菩薩戒として授けるという決意の表れというべきなのだろうか。本来、三帰戒は仏道への帰依と、仏道以外への帰依を止めることを目的としている。

だが、本書ではその部分を強調していないので、もしかすると、既に檀信徒であった人向けへの内容だったのかもしれない。そんなことを思わせる内容であった。

仏教 - ブログ村ハッシュタグ#仏教
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事