そこで、今回はこの問題を採り上げてみたい。
そもそも、『曹洞宗宗制(以下、『宗制』)』では、檀信徒(在家信者)の定義については『曹洞宗宗憲』第9章(33条・34条)で規定されているが、服装の規定は無い。一方で、我々のような僧侶の服装を定義した箇所としては、『宗制』「曹洞宗服制規程(以下、「服制規程」)」の「第1条」で、以下のように謳われている。
この規程は、曹洞宗の僧侶の服制について定めるものとする。
以上の服制を見てみると、授戒会の参加者への記念品について、絡子か?輪絡子か?という議論について、『宗制』上からは根拠を導けないことが分かる。結果として記念品となった「輪絡子」についても、「服制規程」では出家者の服制(略服)として記載されているのである。
以前、【宗門に於ける「得度」の位置付けに関する一考察】という記事を書いたことがありましたが、宗門では何故か、在家信者の方への規程が総じて曖昧で、そこから今回のような問題も出て来るが、道元禅師は在家信者の服制について、何か論じておられるのだろうか?この問題意識をもって、御著作を拝読すると以下の御説示を拝することが出来た。
居士、あるとき仏印禅師了元和尚と相見するに、仏印さづくるに法衣・仏戒等をもてす。居士、つねに法衣を搭して修道しき。居士、仏印にたてまつるに無価の玉帯をもてす。ときの人いはく、凡俗所及の儀にあらずと。
『正法眼蔵』「渓声山色」巻
これは、蘇東坡に対して、仏印禅師という方が、その力量を認めて、法衣(今では、直綴を意味しますが、元々は袈裟を意味)・仏戒(菩薩戒)を授けたという。一方で、居士はそのお礼かどうかは、文面からは判断できないが、世俗の価値で計ることの出来ないほどに勝れた「玉帯」を渡した。道元禅師の文面をそのまま採れば、居士である蘇東坡が、袈裟を着けて修行している様子を肯定しているように見える。また、以下のような記述もある。
ただまさにこの日本国には、近来の僧尼、ひさしく袈裟を著せざりつることをかなしむべし、いま受持せんことをよろこぶべし。在家の男女、なほ仏戒を受持せんは、五条・七条・九条の袈裟を著すべし。いはんや出家人、いかでか著せざらん。
『正法眼蔵』「伝衣」巻
このような道元禅師の見解からすれば、結局、在家の方の服装は今の僧侶と同じということになる。ただし、江戸時代の洞門学僧達の議論で、やや異なる結論を得た場合もある。それはそれで、丁寧に学びたいので、別の記事としておきたい。
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