つらつら日暮らし

2月29日 忍辱の日(令和6年版)

2月29日、いわゆる「うるう年」にしか無い日付になる。実は、旧暦の頃は2月は29日か30日であったので、かつての文献を見ると「2月30日」とかもあるから、今更に「2月28日・29日」という話は、むしろユリウス暦に因んだ話なのである(何故、「どうして2月だけ28日しかなくて、日数が変わるの?(国立天文台)」参照)。

さて、今日2月29日は4年に1度しか無いが、やはり目指すべきは「語呂合わせ」による記念日の策定であろう。「2・2・9」なので、すぐに思いつくのは「にんにく」の日であり、実際、薬味などに用いられる「ニンニクの日」は今日らしい。ただ、仏教的に、ニンニクは「五辛」であるので、基本的に否定されるものとなる。

よって、同じ発音で「忍辱」の話をしておきたい。

人天の閑供養を辞せず、外道の訕謗を忍辱す、おほよそ一化は行持なり。浄衣乞食の仏儀、しかしながら行持にあらずといふことなし。
    『正法眼蔵』「行持(上)」巻


これは、道元禅師が釈尊の道業を讃歎された一節である。その中で、釈尊は仏道以外の者達から誹謗されたのだが、それを「忍辱」していたという。そこで、「忍辱」とは耐えることなのだが、大乗仏教で説かれた「六波羅蜜」では、3番目に配置されて「忍辱波羅蜜(羼提波羅蜜)」となっている。

そこで『般若経』系の経典では、その六波羅蜜相互の関係性が説かれるのだが、註釈書の1である『大智度論』から見ておきたい。

 云何が持戒、忍辱を生ずるや。
 持戒の人、心に自ら念いて言く、「我れ今、持戒して持心と為すが故に。若し持戒して忍無ければ、当に地獄に堕すべし。破戒せずと雖も、忍無きを以ての故に、悪道免れず。何ぞ縱に忿して、自ら心を制せざるべきや。但だ心を以ての故に三悪趣に入る。是の故に応当に好く自ら勉強して、忍辱を勤修すべし」。
    『大智度論』巻14「釈初品中尸羅波羅蜜義之余」


これは、持戒から忍辱への展開であり、他にも布施から忍辱への展開など、一律に書かれているのだが、以上の内容はとても分かりやすいと思う。つまり、持戒すれば「持心」となり、それが「忍」になるのである。この場合、「忍」で否定されているのは「瞋恚」である。六波羅蜜の中でも、布施・忍辱・智慧は、それぞれ「貪・瞋・痴」の解消に対応している。

よって、恣に瞋恚の心のままにするべきではなく、「心を制」するべきなのである。

その意味で、「行持」巻で示されるように、釈尊は能く自らの心を制した人であるから、当然に「忍辱」も成し遂げておられたわけである。拙僧などは、世間の人々による日本仏教の僧侶批判を見ると、どこか怒りを禁じ得ないのだが、まだまだ修行が足りないなと思うのである(とかいうと、敢えて怒らせるようなコメントをしてくる性格が悪い人もいるけどな・笑)。

今日は忍辱の日であるから、怒りの心を発さないように努めたいと思う。

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