つらつら日暮らし

盂蘭盆と裏盆(高田道見先生『盆の由来』参究5)

盂蘭盆会は何故7月15日なのか?(高田道見先生『盆の由来』参究4)】の続きである。昨日とは正反対の記事の内容になるが、実際に、盂蘭盆会は7月15日だけではない。その辺の説明の1つとして、早速に高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。

◎問ふ、然らば盆と云ふは、必ず七月十五日のみに限るが如し、然るに今時は十四日十五日十六日の三日を以て盂蘭盆斎と為すが如きは如何、何にか理由のある事にや、又は自然の習慣より斯くなりしものなりや
○答ふ、そは理由なきにあらず 律文には僧は十四日に自恣し、尼は十五日に自恣せよとあり、或は三日自恣せしむる事あれども、多くは十四十五日の両日を以て重なりとす、而して十六日は送行とて四方八方に分散して、或は頭陀行を為すものあり、或は講法度生乃ち布教伝道を為すものあり、其他思ひゝゝの方向を取りて諸方に遊化す、今ま禅家にては正しく此方法あり、而るに十五日を正しく盆の正当と為したるものは、盂蘭盆経に十五日とあり、又三日の中なるを取りたるものなり、そして十四日十五日を重なる盆と定めたるは、全く律文にある僧尼の自恣の定日によりたるものならむ、而して十六日を裏盆と云ふ、或は盂蘭盆と裏盆とを混ずることあり、宜しく注意して可ならむのみ
    『盆の由来』第十問答・14~15頁


上記の指摘と同様、現代の盂蘭盆会は7月15日のみではない。拙寺などは八月盆であり、しかも、14~16日までとしている。或いは、多くのお寺では13~15日という場合もある。それで、このような日付となっている理由について、高田先生は『律』を参照して説明しているというが、中々実際の文章は見当たらない。しかし、以下の一節を見出した。

七月十五日は、前三月の夏安居竟るが故に自恣すべし。自恣に三日有り。或いは十四・十五・十六、今、中間を挙するなり。
    圭峰宗密『盂蘭盆経疏』巻下


おそらくだが、高田先生はこの辺を読まれたのだろう。ただし、これだと尼僧の件が出てこない。それも探ってみた。

比丘僧、十四日に自恣し、比丘尼僧、十五日に自恣す。
    『四分律』巻29「一百七十八単提法之六」


それで、十四日と十五日で、比丘と比丘尼の自恣の日付が分かれることについては、ここが典拠になるのだろう。

後分からないのが「裏盆」についてである。これは、正直なところ、勉強不足の拙僧は聞いたことが無い。いや、聞いていたのかもしれないが、「盂蘭盆」だと思っていたのかも知れない。高田先生がご指摘の通り、両方とも読み方は「うらぼん」であるから紛らわしい。

なお、「裏盆」については主たる漢訳仏典にも記載が無い。おそらくは日本国内の一部で用いられた表現なのだろう。余りに記載が無かったので、とりあえずグーグルで調べてみたところ、「裏盆」が引っかかった。

(1)盂蘭盆(うらぼん)の期間終わりのころ。盆の裏。一般的に7月20日頃を指すとされる。
(2)「盂蘭盆」の誤記。
    weblio―裏盆


(2)の可能性があるといっても、高田先生のように用いられている場合もあれば、(1)の解釈があったということなのだろう。とはいえ、上記のネット辞書では「7月20日頃」としているが、高田先生は「7月16日」だという。この辺の相違については、現段階では良く分からないが、とりあえず「裏盆」の紹介のような記事となった。

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