つらつら日暮らし

持戒の菩薩がいる国土は?

以下の一節をご覧いただきたい。

浄戒を修するの土、是れを菩薩厳浄仏土と為す。菩薩の大菩提を証得する時、十善業道を円満成就し、意楽する有情の其の国に来生す。
    『説無垢称経』巻1「序品第一」


上記の通り、浄戒が修行される国土は、厳浄仏土になるのである。そして、理由としては、菩薩が大菩提を明らかにした時には、十善戒が全て円満に成就するため、そのような土地に来たいと願う有情が、その国土にやって来るという。ところで、この『説無垢称経』には註釈書が存在しているようなので、それも見ておきたい。

二には浄戒、調伏寂静と云う。尸羅とは、即ち浄戒なり。広律毘奈耶を調伏と名づく。〈中略〉寂静とは、身語意を寂し、六根中を静にす。
    慈恩大師基『説無垢称経賛』巻2


まず、浄戒については、調伏・寂静の二義でもって理解されている。そして、尸羅が浄戒で、『律』を調伏というため、これは毎日の生活を仏道に準えて行うことをいう。一方で、寂静とは身口意の三業を静かにすることであり、この辺は十善戒に通じることだといえる。よって、先ほどの経典の本文にも繋がるといえよう。それから、菩薩もまた、「広律毘奈耶」を修行するのであれば、やはり菩薩といえど、声聞戒を受けるのは当然だと考えられていたことになろう。

応に是の如き厳浄仏土を以て、諸菩薩、一切の勝行を修むべし。厳浄土と名づく。厳浄土を名づくる因は、修因なるが故に厳と曰う。此の中の意を説けば、諸衆生の随いて、応に是の如き菩薩の妙行に悪の息むるを得る。即便ち此の菩薩妙行を摂し、自ら持する如し。戒の他悪を調伏す。厳仏土は、利生の本なるが故に。
    同上


厳浄仏土とは、菩薩が勝れた修行が出来るという。そして、その勝れた修行が出来るからこそ、厳浄土という。そこで、諸衆生が、菩薩の妙行によって、悪が止まり、自ら持戒し、同時に他の悪を調伏するという。つまり、厳仏土とは、他の衆生を利益する場所でもあるという。

よって、厳浄仏土については、往生した者が自ら修行が出来る場所でもあり、しかも、その土地に来た者へ修行を促すからこそ、利益する場所でもあるという二重的場所である。しかし、実は菩薩自身も、自利利他という二重的な修行の利益を持つ者である。仏教は本来、その悩める者が自ら修行して、自らその苦悩を解消する宗教である。しかし、今回の厳浄仏土に於ける利他とは、他の衆生の修行を促すという意味での利他・利生である。

ただ、救われるという漠然とした内容ではないという意味で、改めて注目しておきたい。

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