つらつら日暮らし

そもそも「戒名」という用語はいつから使われたのか?(3)

これまでの記事については、【(2)】をご覧いただきたい。そこで、拙僧の関心の対象は、我々は仏弟子となったときの名前をどう総称していたかについてなのだが、どうも「法名・法諱・法号」などが古く、「戒名」というのは江戸時代の元禄期以降であるとの結果が見えてきた。

それに因んで、今日も古い用例の1つかもしれないということで、以下の一節を紹介したい。

 ■戒名
 去る寺へ死人を送り行き、葬り終って帰るに臨み、納所は戒名を渡すとて、予て長老の書き置かれたのを取違へ、八百屋の書出「三分五厘」とあったのを与へた。施主頂帰って見た。所が「三分五厘」とある。『マサカ三分五厘といふ名はない筈ぢや。』とて、仏壇へ倒に張りおいた。回向に参る人々透し見ては、『南無厘五分三…………。』
    露の五郎兵衛『元禄笑話』辰文館・1913年、162~163頁


この「露の五郎兵衛」とは、1643年(寛永20)?~1703年(元禄16)の人とされ、江戸時代前期の落語家(名跡の1つだが、現在は空席とのこと)である。そして、この人は元々日蓮宗の談義僧であったらしいが、還俗して辻咄を始めたという。評価の1つでは、上方落語の創始者というものがある。

それで、拙僧が興味を持っているのは、落語家としての評価ではなくて、同時代の日本の習俗を伝える一面である。上記一節をご覧いただきたい。或る人の葬儀をしたところ、寺の役僧(納所)は、檀徒に対して渡すべき戒名を誤り、八百屋への書き出しである「三分五厘」を与えてしまった。

しかし、施主はこれは間違いだと気付き、上下・裏表逆に貼っておいたが、それでも簡単な字であるから、読めてしまう。結果、その施主家に弔問に来た客達は、透かし見つつ「南無厘五分三……」と読んだようだ。これ自体はただの笑い話だが、戒名の取り違えというのは、起こり得る話である。

さて、主題に戻るが、本書で語句としての「戒名」が用いられている。元々日蓮宗の僧侶であった五郎兵衛が、その時の知識を元にして用いたとするのが妥当だろう。生没年からすれば、元禄時代には既に「戒名」語が使われていたことを意味する。ただし、それだと『塩尻』と大きな年数の隔たりがあるわけではないので、同時代的な事柄を確認出来たのみである。

また、更には『元禄笑話』の底本の確認が必要であろう。どうも、『元禄笑話』の凡例を読むと、五郎兵衛の著作から集めたものだそうだが、一本ずつは具体的にどの著作からかが知られない。拙僧の手元にある『元禄期 軽口本集―近世笑話集〈上〉』(岩波文庫・1987年)には露の五郎兵衛『露休置土産』が収録されているから、それくらいは確認してみたのだが、先に挙げた「戒名」話は収録されていなかった。

現段階で、これ以上の典拠探索は、やや困難であるので、まずは以上としておきたい。

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