題名について、本来宗門は「第一義」を志す宗派のはずだが、敢えて、それ以外の供養や軌範などをまとめたものという意味で、「妄想分別を志(こころざし、ではなくて、書き記すの意)して集める」という題名になっていると思われる。草書体で書かれる一字目について、拙僧も何度か「莫」ではないか?と思ったが、どうやってもそちらでは読めないので、諦めて先に挙げたような解釈を施したわけである。
さて、本写本の冒頭に『彼岸之弁』という一章が見られる。おそらくは、誰かの法語などを写したものだと思う。一応、玄道という人の『彼岸通俗辧』というのがあるらしいのだが、書誌情報から判断すると、『彼岸之弁』は圧倒的に短い。よって、別物であろう。よって、読みながら典拠などを徐々に検討していければと思っている。無論、写本の書写者による独自の研究結果の可能性も残るため、底本については分かれば良い、位の気持ちではある。
今日から全5回に分けて、『彼岸之弁』を検討していきたい。
○標 △抑も春秋二季に彼岸法会と云て、平生よりも改め一七日は善根功徳をはげみ、仏事を修行すること如何となれば、仏説彼岸経に到彼岸と説玉ひて、此の三界火宅の迷ひ此の岸より、寂光浄土の悟りの彼岸やす々々とわたらんため、生々世々造り重子たる悪業を消滅する為めに在家は世財を施せよ、とありて、或は民の貧苦を救ひ、善行をなして、未来成仏の得果の固となし、又、出家は仏に代りて法財を施し、人をして出離解脱の道を得さしめ、如来の正法輪を転じて、永く救済の念に住すべし、とあり。
是に依て、天竺にては南天の龍樹菩薩が彼岸経の中より天正記を作り玉へ、此の旨を広くしろしめし玉ふ。
又、唐土にては善導大師、観経の定善儀の第一日想観の中に於て、此の経を説き玉ふ。
又、我朝にては聖徳太子四天王経の中より彼岸の事を熟覧ありて、天下にこれをしらしめ玉ふ。然しより格別に彼岸法会と云事世にしり伝へ勤むる也。
『志妄想分別集』1丁表・裏、カナをかなにし、漢字も現在通用のものに改めるなど見やすくしている
まず、本論の立場は、『仏説彼岸経』に由来するという。具体的には知られないが、日本で中世以降に偽作されたという『彼岸功徳成就経』『速出生死到彼岸経』『彼岸斎法成道経』などのことを指すのであろう。そして、同経の意図については、三界火宅の迷いの世界を逃れて、寂光浄土の悟りに世界に赴くことを願い、在家は世財を捨てて、民の貧苦を救い、善行を行って、未来成仏のための功徳を積むように促している。出家は法財を施して、人々に出離解脱の道を得させるように、如来の正法輪を説くべきだという。
この辺は、極めて基本的な「布施論」であると思われる。
そして、『彼岸経』に基づいて、印度・中国・日本では、それぞれ彼岸を示すための論書などが示されたといい、まずは印度の龍樹尊者の『天正記』を挙げている。これは、中陽院に於ける、いわゆる「閻魔帳」の記載について示すものであり、覚如上人『改邪鈔』に関連して見たこともある。
また、中国浄土教の善導大師の『観経疏』も採り上げられている。これは、日想観に於いて、彼岸中日に、真西に沈む太陽を見ながら、観想を行うことで、その先の極楽浄土を見る修行である。
聖徳太子の件だが、大阪四天王寺のことを指している。同寺の西の門から、大阪湾の方角に西方浄土を観じたという一事を示していると思われる。ただし、これは同寺の伝承というべきことである。記録上、日本での彼岸法会の濫觴は、『日本後記』巻13の大同元年(806)3月辛巳の条に、崇道天皇の祟りを抑えるために諸国の国分寺の僧をして、春秋二仲月別七日に、『金剛般若経』を読ませたのが初出とされている。
それから、上記内容の通り、本論の作者は彼岸法会について、印度にまで遡るとしているけれども、『天正記』については龍樹尊者親撰とは認められないため、何とも言いようがない。また、『彼岸経』も偽経の一種とされる。そもそもが、日本で始まったとされる彼岸法会である。どこまでも、日本に於ける中世から近世にかけての信仰を知ることしか出来ないのである。
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