喪場を特に寺又は他に設ける場合は、行列が喪場に到着のころ、維那は、「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼」を挙し、霊棺、式場を右遶三帀して所定の位置に安置する。
『行持軌範』「檀信徒喪儀法」項
以上の通りだが、実は現行の宗門で設定している三種の喪儀法の内、行列に因んで「大宝楼閣」を唱えるのはこの「檀信徒喪儀法」のみとなっている。「大宝楼閣」はいうまでも無く、宗門で読誦する経文の中では、『甘露門』に入っているけれども、そこからこちらにまで出て来たわけである。
だが、何故、「檀信徒喪儀法」でのみ、「大宝楼閣」を読誦するのだろうか?今日はその辺を探ってみたい・・・とはいえ、結構難しい。理由は、宗門の「檀信徒喪儀法」というのは、明治時代以降に徐々に今の形に収斂されていき、本当の意味で制定されたのは、第二次世界大戦後だったりする。つまり、伝統的な文脈を余り持たない法要であり、差定なのである。
例えば、明治時代にこの辺をかなり詳しく論じられた来馬琢道老師『禅門宝鑑』では「在家葬法」という項目があるが、行列中の陀羅尼について触れない。原則的に、「亡僧葬法」と同じというスタンスのためだが、では「亡僧葬法」ではどうか?というと、こちらは出喪の「途上」にて、「維那は十仏名を挙して大衆之に和し、又は読経して」(597頁)とはあるが、具体的な経文を指示しない。どちらにしても、「大宝楼閣」に特化した様子が見えないため、説明が付かない。
さて、どうするか?と思っていたら、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師作成の切紙に、興味深い一節があった。
送亡訓訣
送亡を聞けば、則ち須く即時に牌を建て、焼香し菩薩三帰戒を授くべし。
時至らば、霊龕に向かいて、則ち心仏及び衆生、是の三無差別の観に住し、無差別の光を発して、霊龕を照らせ。是れ、無上大涅槃、円明常寂照の境涯なり。
因みに、法語を挙して、讃歎せよ。
経に云く、「如来涅槃を証し、永く生死を断ず。若し至心に聴くこと有らば、まさに無量の楽を得べし」と。宜しく亡霊を以て如来に同じて、法語、此の偈の意を含むべし。
法語畢りて、撥遣は常の如し。
一仏国従り一仏国に至り送るの観に住するなり。
牌を移す時、まさに宝楼閣印咒を以て安位すべし。諷経は宜しきに随うなり。
延享二年乙丑三月 面山授
『洞上室内訓訣』
最後の、「安位諷経」にて、「大宝楼閣」を用いていた様子が分かる。だが、行列ではないし、そうなると目的を共有出来るか不透明である。ただし、改めて面山禅師による導入だったと仮定すると、面山禅師が「大宝楼閣」をどう考えていたかで、結論に行ける気がする。
二手で合掌をなし、まさに心上に置くべし。二頭指及び二大指をもって屈し相い捻ること、なお環の如し。二中指蹙屈することなお宝形の如し。二無名竪に合わせ、二小指磔開く。これを根本印と名づく。かの諸衆生、この陀羅尼を聞くに由っての故に、常に安楽を獲りて諸地獄餓鬼畜生阿素羅道より離れ、諸悪趣門悉く皆関閉し、浄天の路を開き、かの諸衆生皆、阿耨多羅三藐三菩提心を観ず。
面山禅師『甘露門』
こちらは、『甘露門』の「大宝楼閣」の意義だが、「かの諸衆生、この陀羅尼を聞くに由っての故に、常に安楽を獲りて諸地獄餓鬼畜生阿素羅道より離れ、諸悪趣門悉く皆関閉し、浄天の路を開」くとあるので、いわば死後の世界で迷わないことを願って唱えることが分かる。この場合は、施食作法だが、この世界の衆生ならざる存在への供養という点では同じであろう。
つまり、行列を組んで喪場に向かいつつ、最後の段階で続く引導に向けて、供養する人の御霊に対し、迷わず成仏するように願うことを目的に導入された可能性がある。現行の作法の、直接の典拠は見出していないが、これも発見出来そうな気がするので、その際には続編を書くかもしれない。
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