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波乗り、雪板、ついでにラーメンと温泉の記録

14/07/25 鼻内内視鏡的鼻腔手術

2014-07-25 | 

以前より、鼻の通りが悪くなってきた。最近では両方が閉鎖することも珍しい事ではなくなってきた。かかりつけの耳鼻科に相談したところ、狭くなっている箇所を拡げるオペがあるそうだ。アレルギー自体は治らないが検討する価値はあるとの事。今使っている薬も抗体ができて効果が短くなって行く事もあると言う話も引っかかった。

数日後、総合病院。検診時はオペするほどではないかも、と言っていた先生もMRIの画像を見てオペを勧めてきた。下鼻甲介を削り曲がった鼻中隔軟骨を除去、さらに飛び出てる骨を削るオペだそうだ。

7月17日。入院。最初にオペの話を聞いた時は秋だった。仕事と病院の日程を考慮するとこの時期になった。その後の俺の鼻のやる気は以前にも増して無く、オペを待ちわびた。冬のシーズンも口呼吸が原因でゴーグルが曇るのでオペで治れば幸いだ。

大部屋の病室が一杯なので、個室が与えられた。後で調べたところ差額が一泊8640円の部屋だった。机に椅子、シャワー、トイレ付き。夕方、部屋のシャワーを浴びた。21時より絶食。翌日10時より水分摂取も不可。その日は、前日までの寝不足とあいまって、早めに就寝できた。

7月18日。オペ開始予定は15時なので余裕をかましていたら、朝から点滴が始まった。オペの予定所要時間は120分、麻酔の関係で全部で180分の予定。予定開始時間になった。オペ用ストッキンングを履いて点滴棒を引き連れ歩いてオペ室へ。オペ室が何個もある。さすが地域一番の大病院。緊張する。
前回の全身麻酔は病室でラリる注射を打たれて眠ってから移動だったので、改めてオペ室を見るのは初。他にも、前回はフンドシみたいの着用だったけど今回パンツは自分の物だった。オペ台に寝て、麻酔医、執刀医と挨拶。マスクをつけて『眠たいガスだしますよ』と言われると同時に記憶は無かった。

・・・・・・なんだよ、気持ちよく寝てるのに起こすなよ。そう思った。本当に気持ちよかった。最近にない熟睡だった。

起こされると、無事に予定通り終わりましたよと執刀医。ストレッチャーのまま、オペ室から出ると両親の心配そうな声。エレベーターで病室に着くと子供達の声。

当然だが、鼻呼吸ができない。鼻にはガーゼがたっぷり。だが、割と元気。麻酔医の指示により21時まで酸素マスク着用と歩行禁止。多少の尿意。水分は点滴で次々補充してくるから、21時までもたなそう。不本意ながら男性看護師により尿瓶がセットされた。が、がんばってみたが出ない。人間、ベッドの上でダラーんとしたまま放尿はなかなかできないようだ。21時前、何個か目の点滴が終わった時に自力で部屋の便器へ。大量放流。個室で良かった。

酸素マスクが外れて、お粥と少量の蒸しパンとゼリーを摂取。オイシイ•••

この時は、患部の調子も良くかった。点滴はこの後数日続く•••

ウトウトしていた。口呼吸だからスッキリとは寝れない。鼻から液体が流れる感覚!! 触ると、鼻の穴に詰めているところから血が滲み出てくる。そういえば看護師が言っていた、自分で綿球を替えろって。これのことか、初回は一緒にやってくれた。いい感じの色の血と体液がたっぷり染み込んでいて、外すと奥にはガーゼが詰まっている。そこから血と体液が垂れてくる。

ウトウト、もしくは息ぐるしくて寝れないが眠い、血がタラーン、綿球交換、たまに点滴交換、この作業を繰り返し朝が来た。朝が来てもこのルーティンに変更はないようだ。最高に不快だ。不快の理由はナンボでもある。喋るのが辛い、眠い、患部が病む、綿球交換etc•••。朝、こっちに泊まってくれた両親が再度見舞いに来たが、見当違いの事ばかり言ってくる。喋って訂正したいのだが、できずイライラして最高に疲れた。が、俺も親になり親の心子知らず状態を卒業したので、正直ありがたくも思った。

7月19日。点滴の本数が減った。検診はビックリするほど簡単だった。口をあー~~ん。よしオッケー。どうやら、ガーゼや血が喉に垂れていないか確認するだけらしい。この日も当たり前だが不快に一日が過ぎる。一番不快なのは睡眠。呼吸が苦しく全然寝れない。2時か3時ごろようやくウトウト寝れるが、ほぼ一時間おきに起きる。そしてこの日から夜になるとまた咳が出るようになった。

7月20日。患部が病むのが落ち着いた以外は、ほぼ前日と変わらず。が、夜になり新たな苦痛が。シャワー浴びたい!! 気持ち悪くて寝れない。3時過ぎに 我慢しきれず許可無く下半身のみ部屋のシャワーを使用。上半身と頭はタオルで拭くだけだが最高にスッキリした。坊主頭にして良かったとこの時つくづく思った。長かったら頭が痒くて気が狂っただろう。

まったくもって、いやになるぜ。だが、以前の下顎前突のオペに比べれば全てがマシだ。我慢する辛さも時間も余裕で下回る。あの時は、本気で飛び降りを考えたから•••

7月21日。この日もこっそりシャワー。ビバ個室。

7月22日。朝からバッドニュース。大部屋に移動しなきゃならん。ま、予想してたけど。21日の月曜日は祝日だから退院する奴はいないだろうが、週明けはいるだろう。

そしてビッグニュース。いよいよガーゼ除去。今回で一番痛いらしい。なにせ行程表には鎮痛剤の使用を相談、とある。診察を待ちながら、鎮痛剤どうしようかなぁーー、俺って痛いの強いけどなぁ、鼻の奥はなぁーー。なんて考えていたら、俺の番。さ、取りますよー。って、先生!鎮痛剤のそうだ•••ってうちに、右の鼻の穴から10×300ミリくらいのガーゼがピロロロロー~ンって。口から国旗を出す人じゃね?俺? あー、スッキリって間にさらにもう一枚。「最後の一枚ですよ。」って、まだはいってるんかい! 本当に奥の奥からラスト。で左の穴も同様。左の最後の一枚だけ、ちょっと固着があったが苦痛と言うほどのレベルでも無かった。

つーか、人間の鼻の中ってどんだけデカイのよ! ってな具合のガーゼの量だった。そして、NEWバージョンの俺の鼻腔の空気の流量に感動。もう、片方で以前の両方を凌駕。抵抗がないのね、スムーーース。軽のエンジンをV6-3000ターボに載せ替えたみたい。これは期待できるわ。ぶっちぎりで優勝だね。

その日、初めて鼻洗浄をした。生理食塩水で鼻を洗う。最初からすんなりできた。それもそのはず、サーフィン終わりに鼻から水が垂れまくる時と同じ感覚。そういえば、最近してないな。あれの後調子良かったもんな。海水は生理食塩水に近いはずだから理にかなってるな。

この日の夕方、最後の点滴が終わり、ようやく腕から針が無くなった。最後の方は違和感タップリだった、抜いた針は曲がっていた。

初めての大部屋の夜。ガーゼは無いももの、綿球は入りっぱなしのため、やはり口呼吸。今日も寝れない。

7月23日。久々のシャワー。公式には6日ぶり、考えられないわ。頭の泡立ちの悪い事ったら•••。
そして、本日ビックリするほどの暇。やることは、飯三食、その後の飲み薬。朝夕の吸入と鼻うがい、そして回診のみ。今回、iPadにネット環境与えといて良かった。それでも、飽きまくり。あまりにも暇で定年後ってこんな感じになるのかなぁーって考えた。さすがの俺も毎日これはヤバイ。速攻で老人性痴呆だな。

先生に寝る時に綿球外す許可をもらい、その夜は就寝。綿球取るのはなんと無く左だけにした。でも空気量は十分。久々に朝まで直通で寝れた。

7月24日。昨日が暇なら、今日はもっと暇。昨日と比べシャワーとお見舞いのイベントが無い。が、時間はあっという間に過ぎた。東野圭吾様々、ガッツリハマった。最近、親子の想い的な話に弱いな、涙腺を刺激される。

7月25日。退院。次の患者が来るから、と、速攻で病室を追い出される。久々の我が家は落ち着く。


今回の入院と手術を振り返って・・・・

基本、ずっとマスク。鼻が開通する前は喉の保護、開通後は鼻の保護。マスクのゴムで耳が痛い。

鼻が使えないので、食事の味がしない。食欲がわかない。コンビニいっても甘いもの食べたくない。ハーゲンの抹茶喰ったが、ありえないことに最高においしくなかった。ガーゼを取ってもその傾向は続き、暇でお菓子を食べまくるという心配は杞憂に終わった。おかげで3キロ減。この生活がいつまで続くかな。

大部屋に異動して思った。入院はしたくない!! が、この先、特にジジイになったら入院なるだろう。是非ともその時までには、個室を使える男になっていたい。

今回は、先が見えたので良かったが、治癒の見通しがつかない治療とかは大変だろうな。精神的な何か目標が無いと闘えないだろう。出来れば、短期と長期の目標。

喉が痛い。づーーーーーと痛い。口呼吸と咳のせい。おかげで口数が少なく、喋るときも、ゆっくり小声だ。これも暫く続けたい。カッーーとなって、怒鳴るのはカッコ悪い。

まだ、お風呂禁止とか制限あるけど本当に良かった。この鼻なら、アレルギー出ても鼻呼吸出来そうだ。鼻うがいも覚えたしね。

色々な人にお世話になりました。あざっす!

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