ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧千畑町畑屋・旧六郷町六郷を往く(その4)

2017年05月24日 | 旧千畑町を往く

歩いた日:2017414日(金)

●歩いた所:八幡、南谷地、大荒田、浮池、鶴巻(以上「六郷」)、羽貫谷地(大字)、正婦堰、湯殿屋敷、築立、出川添(以上「畑屋」)

●歩いた足跡(ログ)(道のり:6.4km

(以上の地図:国土地理院)

 ログ(足跡)の地図にも、📷008の小さな流れが曲がりくねった青い線で記載されている。この流れを昔の航空写真(国土地理院)で探してみると・・・・・。

(S23年)

 右上の家々が集まっているところが、一回りした「築立」の一角。その南に東西に延びる曲がりくねった流れがくっきりと写っている。見やすいように流れ(のすぐ南側を並行して)を水色の線でたどってみる。

 当時、流れの北側はすでに区画整理されているが、南側は未整備である。

1」の矢印の先の木立のようなところ、「2」の流れが分かれているところに注目していただいた上で、S51年の航空写真もご覧いただきたい。

(S51年)

 この写真にも流れが鮮明に写っている。

 「1」のところにやはり木立が写っており、📷008の木立のようである。「2」は、S23年には流れが分かれていた点である。その先は、北側の流れは依然そのままであるが、南側にあった流れは区画整理によって無くなっている。が、青の矢印で示した田んぼ中に、昔の流れの痕跡と思われる線が浮き上がっている。

 流れの北と南の地名を調べると、「1」と「2」の真ん中辺りの、流れのすぐ北の家は「出川添」で「旧千畑町畑屋」の「羽貫谷地」、すぐ南の家は「鶴巻」で「旧六郷町六郷」に属している。この流れは昔の町村境であったと思われる。従って、田んぼの区画整理に際しても境界をそのまま残すために、曲がりくねったまま現在に至っていると考えられる。(想像ですので確信はありません。調べればすぐわかることだと思いますが。「ブラタモリ」の雰囲気になってしまいました。)

 昼も近くなったので帰りを急ぐことにし、南に少し行った丁字路を右に折れて西に進む。「鶴巻」、「南谷地」を歩いて広域農道に出、さらにスタート直後に歩いた道を進んで「コミュニティーセンター」を目指す。車に戻る直前でカメラを取り出す。

📷009:「本館小学校跡」

 右の新しい建物が「コニュニティーセンター」、中央の神社が「八幡宮」。手前に冒頭に記述した旧小学校の石の門柱が写る。神社の左に私の軽が見える。

 車に戻ると、スタートする時には気が付かなかったが、すぐ近くに「本館小学校廃校記念碑」がある。

 刻まれた校歌を読むと、「そのかみ古館の古城蹟 由緒も深きわが学園」で始まる。「本館」は「館、古城の本拠」に由来する地名なのであろう。

 この写真を見ていて、今、石碑に公園の築山と「東山」が写っていることに気付く。

(終わり)

●ブログ掲載ログ(足跡)の累計(累計の道のり:143.0km)

  赤い線がだいぶ延びてきましたが、空白のところがまだまだあります。そこも埋めて真っ赤になるまでどれ位でしょうか。これからも頑張って続けますので、よろしくお願いいたします。

 ここしばらく好天の日が続いており、歩くには絶好の季節ですが、農作業で出かけることができません。次回は、昨年歩いたところの記事を掲載したいと思います。


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