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ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧太田町横沢・長信田を往く(その4)

2017年09月28日 | 旧太田町を往く

●歩いた日:201794日(月)

●歩いた所:相野、窪関南、堤田、堤東、久保関北(以上「横沢」)、新田、太田、新田熊野堂、新田熊堂尻、新田中島、新田田尻、新田街道上(以上「長信田太田」)、伊勢堂(横沢国見)

●歩いたログ(足跡)(道のり:9.5km

(以上の地図:国土地理院)

 「御堰跡」の標柱を過ぎて右に曲がり、「新田」の集落に足を踏み入れる。曲がってすぐのところに墓地があり、「湯野澤家」と刻まれた墓がある。珍しい姓である。さらに進むと、道の右手少し離れたところに古い小さな社があるので立ち寄る。

 社の脇に「湯野澤某」と書かれた顕彰碑が立つ。碑には、用水路・道路を整備し産業振興に尽くしたとあり、昭和68月に「新田」が建てたとある。

 「新田」は文字通り「新しく拓かれた田」の意味で、この後歩いた道沿いには「新田〇〇〇」という地名がずらっと並んでいる。

 両側に家が立ち並ぶ中の道を進み、家並みが途切れた集落端の角で振り返ってカメラを向ける。

📷009:「新田」の道角

 右奥から手前に歩いてきたところである。脇に立つ6本の杉は、下の方の枝が払われてヒョロヒョロと弱々しい感じであるが、かなりの高さで遠くからでも目立つ。右手に少し入って行ったところに「新田生活改善センター」が建つ。

 この交差点すぐ近くから家の間を通っている道があるのでそちらに向かう。家の間を抜けると満々と水を湛える大きな水路がある。

📷010:「田沢疎水」の用水路

 近くに「命をはぐくむ水、くらしを潤す田沢疎水」の看板が立つ。前述した「御堰」に代わって、「旧田沢湖町」の「抱返り渓谷」で「玉川」から取水し広大な「仙北平野を潤している幹線用水路である。

 ログ地図をみると判るが、この水路はこのすぐ下流で「窪関川」を横断している。写真008に写るように、この川は田んぼより23m程も低いところ流れている。どのようにして横断しているのかと思い、よく見ると、川の手前で水路が消え、向こう側でまた水路が出現している。水路は低い川床のさらにその下を通って繋がっているようである。

 水路沿いのあぜ道を北に進み、大きな集落の手前で「角六線」からまっすぐ延びる道にでる。この道を引き返すことにしてここから西に向かう。少し進むと、自動販売機をいっぱい並べてある商店があり、そこで缶コーヒーを買って一休み。休憩中に南にカメラを向ける。

📷011:「新田」方面を望む

 右手の道奥に📷009のノッポ杉が写る。その左の大きな屋根の家の向こう側を左に向かって「田沢疎水」に出たところである。

 一休みしてまたしばらく西に進む。途中ログの赤い線が南にほんの少し突き出ているのは、ここにも「御堰跡」の標柱があるのでそれをのぞいたもの。

 この道沿いには「新田熊野堂」、「新田熊堂尻」、「新田中島」の地名が並ぶ。「新田中島」の丁字路で振り返ってカメラを向ける。

📷012:「熊堂尻」を望む

 道の右手の二つの大きな屋敷林は「熊堂尻」、その間の奥は先ほど歩いた「新田」である。

(その5に続く)


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