<「北飯詰」の風景>
●歩いた日:2023年2月23日(木)
●歩いた所
・飯 詰(飯詰):南中島、藤原、南飯詰、北飯詰、水上、槻木、沓形、轌町、北中島
・境 田(飯詰):上中野町、前村、箱出
・金 沢(金沢):中関、鞍掛、稜威女、向小屋、野中、小山城、北向小屋、小杉山、寺田
・野荒町(金沢):籠林、前谷地
●歩いたログ(足跡)(道のり8.4km)
(以上の地図:国土地理院)
東屋(📷006の位置)から「北飯詰」の家々が建ち並ぶ中を北へ少し行くと寺がある。
(「北飯詰」の「本明寺」)
入口の右側の門柱には「慈光山」、左側には「本明寺」と刻まれている。本堂は参道の左手にある。
「北飯詰」には、「飯詰山」の頂上に総鎮守の社が、そして麓に寺がある。この地域の中心地であったと言える。
少し行って、家並が途切れたところで振り返る。
📸007:「北飯詰」の風景
道の突き当りが「飯詰山」への登り口。何やらこれから登城するような気分になってくる。
先ほど通って来た時、おしゃべりに夢中になっていた3人、しゃべり終えたらしく、あちらとこちらに別れて歩き始めた。
北に大きく向きを変えた「出川」沿いの道をさらに少し行くと、東西に走る道に突き当たる。すぐ脇に「出川」にかかる橋がある。
📸008:「橋本橋」から東を望む
右手、「北飯詰」から橋の東詰めに出て来たところ。
「出川」にかかるこの橋の名称は「橋本橋」である。ログ地図には橋の近くに「橋本」の記述があるが、字地名を調べると「橋本」は出てこない。「地名へのいざない」には、「橋本」は「橋の袂(たもと)の意もある」とのことなので、橋に因んでこの辺りを「橋本」と呼び慣わしてきたのだろうか。
ところで、写真の道の右(南)の字名は「稜威女」。これを何と読む?。調べると「エイイヅメ」と読むとようだ。「稜威」の一般的な読みは文字どおり「リョウイ」(天皇・神の威光という意味)で、難読として「ミイズ」ともある。この読みが転じて「エイイズ」となったのだろうか。いずれ、「女」が付いて「エイイヅメ」となったとして、早口でいうと「イイヅメ(飯詰)」ともなり、紛らわしくなるなぁ~~。
なお、「橋本橋」の東側(奥)は、「稜威女」を含めて大字「金沢」である。
「橋本橋」から東に少し進み、振り返る。
📸009:「北飯詰」を望む
「飯詰山」と、その北麓に連なる「北飯詰」の集落。大きな木立が聳えるところは「本明寺」のようだ。
さらに少し行くと、「ここは下前郷です」の案内板が立つ十字路がある。その十字路から左手をのぞくと、やや細い道が東に向かって並行に走っており、両側に家が建ち並んでいるので、その道が昔からの道のようだ。
という訳で、ここから古い道を進み、また元の道に合流したところで振り返る。
📸010:「下前郷」の一角
右手の除雪した細い道(歩道?)を来たところ。車が通れる道は中央の小屋のすぐ向こう側で左手の広い道と合流している。細い道は通学する児童のために除雪してあるのだろうか。
ところで、「下前郷」はログ地図に記入されており、すぐ東側には「上前郷」もある。しかし「前郷」はこの辺の字地名には見当たらない。「地名への・・・」によると「前郷」は「本村は本郷集落の前方に発達した集落」とある。ここは旧「金沢町(村)」で、その中心部(ログ地図右下の街部)の前方に位置するので「前郷」と呼び慣わされてきたと考えられる。
(④に続く)
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