澁谷wednesday

チタラダ水曜日を受け持つ佐々木と下東によるブログです。
「仕事中に見辛い」との要望からテンプレートとりました。

代行告知(佐)

2008年11月27日 | Weblog
代行です。
12月3日(水)チタラダ入門初級
12月19日(金)レーング入門初級
をMr.ムエタイ(メールアドレスがこうなってる)、中村先生に代行してもらいます。水チタの人はもうおなじみですね。例の僕のクラスを荒らしてる先輩です。
体で知ってるとおもいますがの強いので気をつけて下さい。
気をつけて、その強さを教わってきて下さい。

特に中村先生の事を気に入って、日曜レグルスの中村クラスをアレやコレや訊き、レグルスの場所を調べ、行く気満々オーラを出しながら結局行かなかったO野君。是非。

もっと、心で(さ)

2008年11月27日 | Weblog
インストでした。
入門クラスからフランス人男性がご来場。黒い道着パンツを着用してクラスにご参加下さいました。
フランス語…学生時代の記憶をたどり、どうにか「ボンジュール」、「メルシー」、「ジュテーム」と3つのフランス語を掘り出す。
日本の親父だって「飯」、「風呂」、「寝る」でなんとかやってきたらしいし。3つ分かれば何とかなるだろう。
ボンジュールはこんにちわ、メルシーはありがとう、ジュテームは…
はて?ジュデームって意味はなんだったっけ?
まあ大事なのは気持ちだ。仲良くしたいという気持ちを全面に押し出しながら、青い瞳に世界で最も美しい言葉を放ってみる
「ボンジュール!」「オーメルシー!」「ジュ、ジュ、ジュデーム?」

紆余曲折を経ながらどうも「ジュデーム」は「愛してる」らしい事に気が付く。

初級クラスでパリ留学経験者、フランス語圏ばかり旅行して、さらには週一でフランス語会話まで頑張っているY田君がご来場。
後光がさして見えました。彼こそは我らが水チタとフランスの架け橋や~…

だが残念な話だがY田君はフランス語可だが初対面が不可だった為、ジムの日仏関係を盛り上げてはくれず。
むしろ「外人と話す時はがんばって日本語で話す」と語るN村先生がランダム(マススパ)とガンダムを引っ掛け、パリッ子の心をキャッチ。漫画大国日仏に超合金製の橋を掛ける。

今日の教訓:文法よりもガンダム。

ウォーダンス(さ)

2008年11月25日 | Weblog
東京都写真美術館にて映画「ウォーダンス」を観てきました。
10時半からの回だったのに恵比寿に着いたのが10時20分頃。最悪立ち見を予想しながらダッシュして着いたミニシアターは物の見事にガラガラだった。

アフリカのウガンダ北部。反政府軍が町にやって来ては虐殺・誘拐・強奪を繰り返す、といった環境が20年続く街パトンゴのアチョリ族の小学生が音楽大会の優勝を目指してがんばる姿を追ったドキュメンタリーフィルム。
(以下しばらくグロい話)
 ウガンダの反乱軍での地位は兵の多さで決まるらしい。その為、児童を誘拐し少年兵隊に育て上げる、といった行為が横行している。フィルムの中心人物である小学生、木琴が得意なドミニクも反乱軍の兵士に銃を突きつけられながら無抵抗の農民の頭を叩き割るという「訓練」を受けた過去を持つ。「この事を話すのは初めてだ」と苦しんだ胸の内を語る。
 他の小学生も凄い。
 母親の生首を突きつけられた少女は「気が狂うかと思った」と思い返す。
目の前で兄のリンチを見せられた少年は「僕にはまだその夜を詳しく話す勇気がない」と口をつぐむ。
父親の墓前で泣き崩れた少女は反乱軍に見つかってしまわぬよう声を殺して泣くよう言われていた。血潮飛ぶ体験が小さな唇から語られる。

親に甘えたい気持や、おびえずにいたい気持。ささやかな気持を泥靴で踏まれてきた小学生達が、手作りの楽器でアチョリ音楽や聖歌を練習し全国大会に出場、奮闘する中で表情を変化させてゆく。

ハレとケ。柳田國男の民族学では、生活は儀礼や祭などのハレ(晴れ)と、日常生活であるケ(褻)に分類される。また、ケ(褻)の生活が順調に行かなくなることをケガレ(気枯れ)という。
難民キャンプで余儀なくされるケガレに近いケの生活。家族の死を常に胸に漂わせ、生きるだけの幅で毎日を送っていた彼らが練習した音楽は、おそらく生まれて初めてのハレの文化だった。
アチョリ族の原色の華やかさを持つ衣装、ダンスの歩幅、木琴のリズム。
練習する中で、親や先祖が閃いた自分達を美しく見せる格好や、美しく響かせるテンポに触れてゆく。
知識より前から知っているリズムを体で表現する中で、大地を背景としたアチョリ族の自分を取り戻してゆく。

「キャンプでの生活や家族を殺された事を忘れられるから、踊っている時が一番好きだ」というナンシーの言葉が小学生らしくて愛しかった。
木琴の賞をとり「僕はアチョリの未来だ」と語るドミニクが可愛かった。

少年期にだけ存在する、あの何を観ても輝いていて、何をしていても終わらない、子供の時間を彼らが獲得してゆく姿がまぶしい。

タイ旅行記8(さ)

2008年11月20日 | 旅行したい場所
まだまだ色々書きたいことがあるけれど、ここら辺でタイ旅行記の記事は終了します。
ソーチがもうすぐ潰れてしまうので、書けるだけジム日記を書こうと思います。

旅行記は古い物も手直ししてあるんで、是非読み返してください。読んで頂ければ、成田からパタヤまでの事はだいたい分かるかと思いますので初旅行でパタヤに行かれる方は参考にして下さい。
なんだかタイ旅行記好評らしく、アクセス数が普段より2~300多いです。誤字脱字の指摘断固拒否します。多いだろうから。

今回の旅行、行ってる時はとにかく楽しかったが、記事を読み返すとなんだかつらい旅行だった様な気がするのは気のせいだと信じたい。
身体に一番衝撃を与えてくれたものはボビー君の蹴りだった。モーションが小さく、タイミングがずれた所で蹴ってくるからよけられなかった。
心に一番衝撃だったのはカオサンもパタヤも白人に作られた街だった事と、青柳さんに言われるまで自分がその事に気付けなかった事だった。
 カオサンは代官山に似ている。(パタヤは黄金町に似ているらしい。)
オープンカフェにダイニングが並びオシャレなおみやげを売っている。排気ガスがひどい仏具通りや中華街からカオサンに帰ってくると静かさと清潔さに安堵を覚えてしまう。
 見知った街を思い出させて僕を安堵させてくれるカフェやレストランを青柳さんは嫌悪した。
「旅行に来てなんで現地の屋台に行かないんだ」、「なんで自分らの生活を持ち込んでオープンカフェでピザを食うんだ」、と。これが今回の旅行で一番衝撃的な言葉だった。
 日本人が自主的に真似たのか、アングロサクソンが無遠慮に日本の街を自分達仕様に変えたのかは分からないけれど。
 現状として僕らは、知らない間に自分たちの歴史が作り上げた文化ではなく、白人が作り上げた文化の中で生活をしている。そしてそのことを自覚せずに居る。青柳さんの言葉を持ってカオサン通りを通って初めて気がついた事だった。
 食べて寝るだけなら問題は無いけれど。文化や創造をしたいと願った時、ひとりぼっちじゃ寂しくて家族や祖先や文化に寄り添いたくなった時、生活から歴史の厚みが奪われているという事実は大きな損害になる。
 情報化社会。文化の流入は仕方が無い。自覚して生きる事が必要なんだろう。生活の便利さと引き換えに、生きる難しさが課されているらしい。

すみません文硬くなりました~