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<平城京>南端の羅城跡に築地塀

 奈良県立橿原考古学研究所は26日、平城京の南端に位置し、羅城門跡の西脇にあたる同県大和郡山市観音寺町などの発掘調査で、土を固めて作った「築地塀(ついじべい)」とみられる羅城(城壁)跡を発見したと発表した。羅城門跡の東約500メートルでは、質素な木造の羅城跡が確認されていたが、外交使節などの行き交う羅城門近くでは、天皇が暮らす平城宮と同様に格式の高い築地塀だったことが分かった。橿考研は「羅城門周辺の景観を復元するための成果が得られた」と評価している。

 日本の都は中国を参考に造営された。中国では城壁で都を囲っており、城壁のことを羅城、羅城に開けた門を羅城門と呼び、日本でも踏襲された。文献史料には、平城京の羅城門で外交使節や中国の高僧・鑑真を出迎えたことが記され、国家の威厳を保つための役割も果たした。

 発掘調査は、72年に見つかった羅城門跡のすぐ西側で、河川改修に伴って7~9月に実施。05年に羅城門跡の東約500メートルで、大和郡山市教委などの発掘調査によって、羅城跡が初めて確認されたが、構造は防御性の弱い柱に板を張った瓦ぶきの木造と判断された。

 今回、見つかったのは、羅城門跡から西約40メートルの場所で、東西方向に並ぶ六つの柱穴(直径約50センチ)。大量の瓦も発見され、瓦ぶきの羅城跡の一部と判断。柱穴から推定される柱の直径は10~15センチと細く、羅城の構造は木造ではなく築地塀で、柱は築地塀を作る際に外枠材として使われた「寄柱(よせばしら)」とみられるという。

 羅城の北側には、道路を含めて南北幅27メートルの空間があったことも分かり、外交使節の出迎えなどに使った可能性があるという。

 発掘現場は埋め戻されており現地説明会はない。27日~11月20日、橿考研付属博物館(橿原市畝傍町)で出土品が展示される。月曜休館。【高島博之】

 舘野和己・奈良女子大教授(古代史)の話 平安時代の律令の運用などを定めた「延喜式」によれば平安京の羅城は築地塀だ。後の時代とのつながりを考えても、平城京の羅城が築地塀であることには納得できる。しかし、羅城の途中から木造になっているのはなぜなのか、解くべき課題が残された。


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