4月に入ると、田老町漁協の状況は、より具体的な形(数字・画像等)で入ってきました。
そして、見えた概算の被害額、さらに金額と言う形では計算できない部分も含めれば、その甚大さに圧倒されました。
そんな中、やっと4月中旬には、田老町漁協の本所を訪問することになりました。
トップの写真は、その時、本所から45号線側を見た風景。
あまりに変わってしまった街並に、何度も訪れた場所でしたが、通りすぎてしまったほど。
本所の周辺には、当時はそれこそそこで生活していた皆さんの品々などがまだ散乱していました。
田老町漁協では、来年の3月まで、どのような取り組みができるのか、また必要なのか、小林組合長などと確認することができました。
実際、12月まで行なってきた活動は、その多くがこの時の計画に基づいて実施されてきています。
その後、本所を後にしたあとは、震災後加工場にはじめて移動。
変わってしまった、誰もいない場所。
散乱する見慣れた商品パッケージ。辛い瞬間でした。
そして、見えた概算の被害額、さらに金額と言う形では計算できない部分も含めれば、その甚大さに圧倒されました。
そんな中、やっと4月中旬には、田老町漁協の本所を訪問することになりました。
トップの写真は、その時、本所から45号線側を見た風景。
あまりに変わってしまった街並に、何度も訪れた場所でしたが、通りすぎてしまったほど。
本所の周辺には、当時はそれこそそこで生活していた皆さんの品々などがまだ散乱していました。
田老町漁協では、来年の3月まで、どのような取り組みができるのか、また必要なのか、小林組合長などと確認することができました。
実際、12月まで行なってきた活動は、その多くがこの時の計画に基づいて実施されてきています。
その後、本所を後にしたあとは、震災後加工場にはじめて移動。
変わってしまった、誰もいない場所。
散乱する見慣れた商品パッケージ。辛い瞬間でした。